戦争中の「八紘一宇」の公的な使われ方
昭和13年発行の『建国』ってコレか? 一言で言って「スジが悪い」。 清水芳太郎著『建国』九州日報社、昭和13年 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 【目次】 親の行者たれ 建國讀本 創作大日本建國 滿洲娘と結婚せよ 曲玉を作りて 日本教 東洋經略の三原則 皇道經濟
2015-03-16 19:23:01参議院インターネット中継で確認したけど、三原じゅん子の発言もさることながら、「八紘一宇の塔」についての意味のない薀蓄を垂れ流しただけで、「八紘一宇」についてひとことも否定しない麻生太郎財務相のほうが問題だと思う。 webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
2015-03-17 15:31:31「八紘一宇の塔」のために集められた礎石は日本全国だけではなく、植民地(朝鮮、台湾、南洋群島)からも外国(中国、フィリピン、シンガポールなど)からも集められている。つまり塔の礎石自体が「八紘一宇」を示している。
2015-03-17 15:34:51なお戦前は「八紘一宇の塔」、戦後は「平和の塔」と言いかえられていますが、正式には「八紘之基柱」(あめのしたのもとはしら)。
2015-03-17 15:36:13「八紘一宇」の語源は『日本書紀』《神武紀》の「掩八紘而為宇」(八紘をおおいて宇[いえ]となさん)で、確かに字義通りには「天下をおおって一つの家にしよう」という意味ですが、実際は「立派な都作るよ」という程度の意味の漢文的文飾です(出典は『文選』所載「呉都賦」・「蜀都賦」)。
2015-03-17 15:47:21これをもとに「神武天皇の精神にもとづく世界統一」という意味で「八紘一宇」という語を案出したのが、日蓮宗系の宗教運動家である田中智学。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 田中智学『日本国体の研究』(1922年)
2015-03-17 15:53:11で、この「八紘一宇」を満洲事変後に陸軍が使うようになり、 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 『満洲事変勃発満四年 日満関係の再認識に就て』(陸軍省、1935年)
2015-03-17 15:57:31日中戦争勃発後は政府自身が積極的に使い始める。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 『何故の支那事変』(内閣情報部、1937年)
2015-03-17 15:57:51dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 文部省教学局のパンフレット『大東亜戦争とわれら』(1942年)。戦争中の「八紘一(為)宇」の公式な使い方。
2015-03-17 16:03:11『大東亜戦争とわれら』より:「大東亜戦争完遂の大目的は、国民こぞつてこの大御業を扶けまゐらせ、もつて東亜を安らかにし、世界に平和をもたらし、万邦が各々その所を得て、あひともに栄えゆくやうにすることであり、それこそは…「八紘を掩ひて宇と為す」の大精神に基づくもの」
2015-03-17 16:04:11ところでアジ歴で極東国際軍事裁判の裁判記録を公開しているのはいいのですが、縮小し過ぎで読めないくらい字がつぶれているのはどうにかならないもんですかね。
2015-03-17 16:16:23東京裁判の判決では、「八紘一宇」は「一人の統治者のもとに世界の隅々までも結合する」「世界を一つの家族にする」という意味で、「伝統的な文意は、究極的には全世界に普及する運命をもつた人道の普遍的な原理以上の何ものでもなかつた」が、のちには「武力による世界支配の象徴となった」とている。
2015-03-17 16:22:44ただし、この件については検事側(連合国側)がさほど熱心に主張せず、弁護側(日本側)の主張がおおむね受け入れられたためと思われる。
2015-03-17 16:24:44出典:『極東国際軍事裁判判決速記録(和文)』1947年11月4日, JACAR jacar.go.jp ref. A08071311400 16画像目。
2015-03-17 16:27:20八紘一宇:「八紘を掩(おほ)いて宇(いへ)と為(せ)む」、全世界凡ゆる民族、凡ゆる国家をして各々其の処を得しめ、相倚り相扶けて万邦協和斉(ひと)しく平和な生存を享有せしむることは、広大無辺なる御歴代の、大御心の存するところで、又実に国史を一貫してかわらぬ我が国是である。1937年
2015-03-18 21:51:09←『何故の支那事変』 「国民精神総動員資料」第二輯 内閣・内務省・文部省発行 p101「皇国史観」という問題 長谷川亮一 より@noharra
2015-03-18 21:54:25「また、第四輯として刊行された「文部省」名義による『八紘一宇の精神 日本精神の発揚』(一九三七年一一月一〇日発行)では、「八紘一宇」は以下のように説明されている。 「八紘」は「八荒」ともいひ、前者は八方の隅、後者は八方の遠い涯といふ字義であって、共に「世界の涯」@noharra
2015-03-19 11:16:22とか「天の下」とかいふ意味である。「一宇」は「一家」といふ字義で、全体として統一と秩序とを有する親和的共同体といふ意味である。従って「八紘一宇」とは、皇化にまつろはぬ一切の禍を払ひ、日本は勿論のこと、各国家・各民族をして夫々その処を得、その志を伸さしめ、かくして @noharra
2015-03-19 11:17:01各国家・各民族は自立自存しつつも、相倚り相扶けて、全体としてあい然たる一家をなし、以て生成発展してやまないといふ意味に外ならない。それは外国の覇道主義の国家に見られる如く、他国を領有しようとする侵略的思想とは、せう壊(じょう)の差をなすものであって、禍を除き、@noharra
2015-03-19 11:17:39道を布き、弥々高く益々広く向上発展する我が国の進路を示すと同時に、各国家・各民族をして道義的・平和的世界を実現せしめる創造の道を示したものである。この道は、実に肇国以来、一系連綿たる天皇の天津日嗣の大御業であり、又我々臣民が一身を捧げて皇運を扶翼し奉る窮極の目標@noharra
2015-03-19 11:18:03である。 (p102「「皇国史観」という問題」白澤社 長谷川亮一) より@noharra 長谷川亮一 @boumurou さま、「国民精神総動員資料」からの二つの文章、引用させていただきました。よく読んでから否定しないとまずいと思ったからです。
2015-03-19 11:26:05