大阪市の真田山陸軍墓地について
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旧真田山陸軍墓地は明治4(1871)年、当時の兵部省が大阪に陸軍を創設した際、日本最初の埋葬地として設置され、昭和3(1928)年に「陸軍墓地」と改称された。 pic.twitter.com/YxWMBOtoyH
2015-03-22 18:51:27墓地には陸軍創設期に亡くなった兵士の墓のほか、明治10(1877)年の西南戦争や、日清、日露戦争に関わって戦病死した将兵の墓がある。 pic.twitter.com/zrecUEC0TA
2015-03-22 19:07:01この墓地には戦死者だけでなく、兵役従事中の平時の病死者や事故死者も埋葬されている。墓碑の総数は5299基以上あり、戦死者が急増した日露戦争以降は合葬碑や納骨堂が建立されている。 pic.twitter.com/fY0kUq4osI
2015-03-22 19:13:54墓域は、死亡後も階級に規制されており、軍役夫・兵卒・下士・将校の墓碑が区画ごとにまとまっている。(以上見学のしおりより抜粋)陸軍墓地は全国に約80箇所あるそうだ。知らなかった。 pic.twitter.com/cyl6BX2UsC
2015-03-22 19:19:22生兵(徴兵後の訓練兵で、二等卒の階級を得る前の兵)の墓。農家から徴兵され、慣れない軍隊生活で体を壊して病死したり、訓練中事故に遭ったり、自死したり様々な理由で亡くなっているようだと案内人の方。 pic.twitter.com/VFPCbKR9vu
2015-03-22 19:25:35この人は謹慎処分にされたり、外出先で飲酒酩酊してなんかしたりして罰を受けたりして、脚気にかかって病院で亡くなったと細かに書いてある。軍隊つらかったんだろうなと思った。 pic.twitter.com/ypdiVak5f4
2015-03-22 19:33:34広島の比治山にある陸軍墓地は、ABCCの建物が造られる際に大幅に面積を縮小させられたときいた。だからこんなぎっしり。元々は真田山みたいに間隔があった。真田山も元々は一基につき面積が一坪あったという。 pic.twitter.com/L1bsinbiob
2015-03-22 21:35:27@Martin_0905 こちらはほんとに墓石だけを都道府県ごとに寄せ集めた感じでした。中国人捕虜の墓は日本人のそれより小さく、ドイツ人捕虜、フランス人捕虜のものは大きくて立派でした…。
2015-03-22 21:45:14これは横浜の久保山墓地。わたしの子どもの頃の遊び場であり探検場所だった。子どものときの記憶では、これらは整地されていない芝生に並んでいた。碑には名前ではなく、番号だけが彫られている。 pic.twitter.com/Mx9OqWvpgx
2015-03-22 21:40:16@Martin_0905 わたしの記憶の話に興味をもって調べてくれた人がいたのですが、その人によると戦前~戦中の囚人のお墓だそうです。しかも1基につき数人または数十人まとめて「○号」とされていたそうで。ひどいですね。くわしくは国会図書館の「行刑実録」に載ってるそうです・・・。
2015-03-22 22:19:05@Martin_0905 わたしもずっと気になってるんですよ。青シャツ部隊という囚人で構成された部隊もあったそうです。
2015-03-22 22:30:30@urokosmile 旧日本軍と言っても、様々な構成があったようですね。墓標から簡単に戦場で「戦死」しただけではないことをurokosmileさんから学びました。きちんと解明されていない領域のようですね。硫黄島や沖縄では、民間人を含む遺骨がまだ眠っているそうです。
2015-03-22 22:38:36