@marianna_ave 今、東京に到着しました~。このまとめについてですが、私もセンセの考えとほぼ同じで、知的障害、発達障害、精神障害といわれるものは、実体のあるがんなどと同列に扱うことはできなくて、それを社会がどうみなすかという視点が障害を作るのです。
2010-12-17 19:54:20@marianna_ave センセが言及されてましたが、”自閉症”や”発達障害”と言われる観念は過剰なまでに他者の心理を読みとる必要性が出てきてから、障害や病気といわれるようになりました。読み書きできないことが、障害とされるようになったのも、学校制度が整えられてからのことです。
2010-12-17 19:57:01@marianna_ave 中井久夫が「精神病と人類」で述べていますが、精神病といのは実態ではなくて社会概念にすぎません、ADHDやASDと現在呼ばれる人が主流を占めるようになれば、そうでない人が病気と呼ばれるようになります。また、ここには機能主義の病理もあります。
2010-12-17 20:00:14@marianna_ave 人の価値がその人が何者であるか?ではなくて、何ができるか?という機能ではかられるということになれば、当然、たまたま、その社会の要請される基準に届かなければ、それだけで、その人の本来の価値とは関係なく、機能で病理と呼ばれるようになるのです。
2010-12-17 20:02:16@marianna_ave またASDやADHDと呼ばれた場合確かに、脳の構造が定型者と異なる場合があるのは事実ですが、センセも言及されているように、その定型者と違うことははそれを理由に、その少数者を配乗してよい理由にはなりませんね。
2010-12-17 20:04:55@yutakioka 横レス失礼します 天才とか呼ばれる人もたまたま運が良くて自閉症みたいな症状の人がたまたま天才と呼ばれているだけかも知れません その価値を評価する人がいなければ変人を通り越しておつむの足りない人で終わってる確率高いと思う
2010-12-17 20:04:56@marianna_ave 脳の違いを基に差別が正当化されるのなら、それは特定の個人Xが特定の個人Yを排斥することを許すことになりますから、定言命法により、否定されます、なぜなら、個人の脳可塑性なり、発達には個人差が大きいので一人として同じ脳を持つ人はいないからです。
2010-12-17 20:07:16@yutakioka 説明ありがとうございます。私はynabe39先生の話がよくわかってなかったと思います。瀧岡さんの説明のほうが理解しやすいです。
2010-12-17 20:10:52@bornekiller そうなんですね、本人のそのような、特質そのものではなくて、社会がどう評価するかがその人の価値を決めてしまうんですね。自閉的行動があらわれたときに、それを協調行動ができない、”病気”ととらえるか、集中力がほかの人よりも格段に優れてるとみるかで違いますよね。
2010-12-17 20:11:40@marianna_ave よかったです~、少しでもお役に立てて、私も病気とは何かを後日書こうと思います、これらの社会的概念による病気とは何か?ということを。
2010-12-17 20:15:43@yutakioka はい、ブログ楽しみにしています。ただ、まだ少し混乱しているのは、「1) 病気/障害の原因を遺伝子、脳の違い、生活習慣の違いなどに求めて研究している現状」があるわけですが、今までの話からすると、これらは意味をなさない…となりそうです。
2010-12-17 20:25:15どうやら“精神病は実態ではなくて社会概念にすぎない”らしいんだけど、そういった特殊な精神状態、特に、並外れた集中力や計算力を構成するメカニズムには興味ある。ってなこと言ったら「やっぱりお前はなにも分かってない」ってことになるのかな?
2010-12-17 20:27:43誰かが何らかの都合で人間を分類することがあります。しかし、どんな区分けであれ、それにしばられることなく生きていく自由を、誰もがもっています。
2010-12-17 20:28:53@marianna_ave はい、機能主義的観点から考えるのでなければ意味をなさないと思われます。RT1) 病気/障害の原因を遺伝子、脳の違い、生活習慣の違いなどに求めて研究している現状」があるわけですが、今までの話からすると、これらは意味をなさない…となりそうです。
2010-12-17 20:30:16@yutakioka 今後も平均値は変化していくでしょうし所謂典型てのはないですからね 折り合いが付けられない相手を異常(病気)とするならばそれは相手の問題であると同時に自分自身の問題でもあるのでしょう…と思います
2010-12-17 20:31:53@bornekiller はい、そう思います。人を病理認定するよりも多様性を受け入れられる社会を作るべきと思います。 RT折り合いが付けられない相手を異常(病気)とするならばそれは相手の問題であると同時に自分自身の問題でもあるのでしょう…と思います
2010-12-17 20:35:39@bornekiller 思考の効率上そうならざるを得ないでしょうね、しかし、その捨象があまりに問題を簡略化しすぎている気がします。例えば需要といいいましても、個人が必要性を感じる過程は一律ではありませんよね。RTそゆのは普段は捨象して「需要-供給」という一つの観念でまとめてる
2010-12-17 20:39:09@yutakioka 横から失礼いたします。他の臓器疾患では環境要因や遺伝子多型がもととなる疾患がいくつかあると思われますが、脳を含めた神経系の発達だけは、そのような影響を受けないというような考え方になりませんか?ちょっと受け入れ難い考え方のように感じてしまいます。
2010-12-17 20:41:57@marianna_ave 人にすぐにレッテルを張りたがる方に反発を感じるのは、分類は便宜上のくくりにすぎないのに、自分とは異なる他の人達と十把ひとからげに論じられるのが不愉快だから。誰かが何を基準にして僕にどんなレッテルを張ったとしても、僕はそれにしばられる必要ないからね。
2010-12-17 20:45:57@yoshi871 いえ、そうではなくて、環境要因や遺伝子多型がもととなる疾患、疾患の過程やプロセスが問題ではないのです。ここでの問題は機能主義なのです。RT脳を含めた神経系の発達だけは、そのような影響を受けないというような考え方になりませんか?
2010-12-17 20:48:29@marianna_ave 例えば、「この人は常人とは比較にならないほどに優れた能力を有している」というフラグを一つ立てることで評価がでんぐり返るわけだから社会てのを想定した上での診断しか無理でしょうね。数値化して基準を任意に設定すること自体に例外を無数に作らねばならなくなるから
2010-12-17 20:49:59@learnologist 主治医から「あなたがどういうことで困っていて、どうやったら解決できるかが一番重要」と言われました。現実に私はずっと「変人、おかしい」と言われ疎まれ、自分の人格を否定された気分で生きてきたので、正直言うと『レッテル』を便利に思う気持ちもあります。
2010-12-17 20:51:03@yutakioka 「機能主義が問題」というのは、何かができたり、できなかったりということをそのヒト固有の問題ととらえて差別する、というような考え方でしょうか?
2010-12-17 20:53:40@yoshi871 おおざっぱにいえばそうです。それでそのできるできないといった機能の判断基準でさえ社会的価値に依存しているがために流動的であるわけです。RT何かができたり、できなかったりということをそのヒト固有の問題ととらえて差別する、というような考え方でしょうか?
2010-12-17 20:56:04