『日本一のタイガースファンにしてミスタータイガース』岡田彰布 小話

まとめました。
雑談 阪神タイガース 岡田彰布 日本プロ野球史
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ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro
―もしも自分が好きな球団のプロ野球選手になって球団を優勝に導き、監督としても優勝することができたら…… 野球ファンだけでなくプロ野球選手でもほとんどの選手が夢見たことでしょう。 しかし、実際に成し遂げたことのある人はほとんどいません。
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現実にはプロ野球選手になれても、意中の球団に入団できるとは限らず、更に半数以上が一度も一軍に上がれずにグラウンドを去ります。 極一部の選手だけがレギュラーになったり、コーチになることができます。 監督になれるのはさらに極一部。 厳しい競争が日々繰り広げられています。
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そんな厳しい世界の中、夢を現実にした男がいました。 彼はタイガースの有力後援会の息子であり、幼少期から村山実選手や藤本勝己さんら名選手らと親交を持っていたというまさに『虎の血』を持つ男。 彼はまた、類希なる野球の才能を持っていました。
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『日本一のタイガースファンにしてミスタータイガース』岡田彰布 小話 pic.twitter.com/5R7en3xAmG
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鷹城TARO@白銀旅程 @TARO_TAKAJOH_23
どんでんキタ――(゚∀゚)――!!
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1960年代後半 甲子園 長嶋選手、王選手擁する川上ジャイアンツはV9全盛期。 子供達から『巨人、大鵬、卵焼き』と称されるほど絶大な人気を誇っていました。 しかし、ここ甲子園は違います。 今日も宿敵を倒すため多くの『T』を冠どった帽子を被った少年たちが一塁側に詰め寄っています。
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そんな甲子園であえてヤジを飛ばすためにジャイアンツ側三塁ベンチの上に居座る少年がいました。 『おい長嶋!今日は三タコやな!青ヒゲでバット磨いた方がええんちゃうか!?』 少年の名前は岡田彰布。 両親をタイガースの後援会に持ち、彼もまたタイガースの熱狂的なファンでした。
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多くの野球少年と同じく少年野球をしており、南海ホークスのジュニアチームに所属していました(当時はタイガースのジュニアチームは無かったため) 背番号は『11』 当時のタイガースのエースであり、憧れの村山実投手の背番号。 後にタイガースの永久欠番となります。
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エースピッチャーかつ四番としてすぐに頭角を現し、父が結成した草野球チームにも登板しました。 父のコネで相手チームにはタイガースの二軍が度々やってくるなど幼い頃から英才教育を受けてきます。 そして中学三年生の1972年。大阪府全中野球選手会で優勝を果たした彼に大役がやってきます。
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『タイガース史上最高のエース、村山実の引退試合の最後のキャッチボール相手』 かつて少年野球チームで村山投手への憧れから背番号『11』をつけた野球少年はタイガースの伝説の投手の最後を球を受けることになります。 pic.twitter.com/DR4mP9uOaO
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岡田少年は憧れの存在とのキャッチボールを通じてプロ野球選手、いえ、タイガースの選手になるという夢をはっきりと抱くようになります。 『タイガースの選手になって優勝するんや!』 と。
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当時の大阪の名門、北陽高校に進学後は本格的に打者転向し、一年生からレギュラー。一年生時にPL学園から決勝打を放ち甲子園に出場するもその後は甲子園に出場することはなく、プロはおろか、大学野球からの声もかかりませんでした。 そこで岡田さんは大学のセレクションを受けることにします。
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大学野球の名門、早稲田大学。 現在でも毎年のように数多のプロ野球選手を排出する大学のセレクションに岡田選手は参加します。 既に有望選手の囲い込みは終えた大学にとってはセレクションはそこまで気乗りするものではありません。 しかし、この大阪からやってきた少年は違いました。
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フリー打撃で15打数14安打14本塁打 驚異的な結果を残し、早稲田関係者の度肝を抜きます。 即合格し、一年生から三塁手のレギュラーに定着。 後にジャイアンツのエースとなる法政大学江川投手を滅多打ちにし、プロ野球界からも注目を浴びるようになります。
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ここで大学リーグでの通算記録。 88試合出場、309打数117安打、20本塁打、81打点、打率.379 打点と打率は東京六大学リーグ記録 5季連続でベストナイン 史上2人目のサイクルヒット 戦後4人目の三冠王 大学野球史上最強の打者として君臨します。
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日米大学野球の四番という大役も務めることになりました。この代表で自身の前の三番を務めたのは 東海大学で同じく三塁手の四番を務め、同年代にプロ野球選手として活躍し、選手時代はおろか監督としてもライバル関係を構築する事になる生涯の友でした。
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原辰徳 岡田選手の一学年下の内野手として大学野球を牽引し、ドラフト争奪戦の後、宿敵ジャイアンツに入団。 長く四番を務めた後に監督としても長期政権を確立。 岡田選手と何度も死闘を繰り広げることになる『盟友』との出会いでした。 pic.twitter.com/gWv6uhrN9u
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1979年秋 プロ野球ドラフト会議 ドラフトの目玉は当然大学史上最強の打者、岡田選手でした。 岡田選手を一位指名したのは6球団。 壮絶なくじ引き合戦の中、 指名権を得たのは
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タイガースが岡田選手の指名権を獲得。 マスコミとタイガースファンはくじを引いた名物オーナー小津正次郎氏を『神の手』と賞賛するほど歓喜しました。 しかし、誰よりもタイガースに入団できたのを喜んでいたのは他ならぬ岡田選手だったでしょう。 pic.twitter.com/FRhibitUtd
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鷹城TARO@白銀旅程 @TARO_TAKAJOH_23
阪神ってなんだかんだ言って大事なとこはくじ引き当ててくるよなぁ…江川卓とか当ててるし なお
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しかし、当時のタイガースは1964年以来優勝から遠ざかっており、決して強豪チームではありませんでした。 更に内野は三塁手には掛府雅之選手、遊撃手に真弓明信選手、二塁手には中村勝広やスワローズから移籍してきたヒルトン選手が定着しており、岡田選手には厳しい環境でした。
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また、野村克也監督の右腕として日本プロ野球に多大な影響を与えたドン・ブレイザー監督の方針もあり、当面は二軍で育成、外野手として育成するという方針が取られました。 これはMLB流に期待の選手を潰さないように、という判断でした。 しかし、タイガースファンは許しません。
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro
衰えの見えていた中村勝選手に変わってスワローズで活躍したヒルトン選手が二塁に入りますが成績が低迷、同時にタイガースも低迷していました。 岡田選手の出場を求めてタイガースファンはブレイザー監督に罵声だけでなく、当時妊婦だった妻が同乗する車を襲撃するなど混乱を極めます。
ベイ山城さん@2019シーズン復帰 @Bay_yamashiro
終いにはヒルトン選手の打席に『オカダコール』をするなど、一部のファンが暴徒化。事態を重く見たタイガースフロントは成績低迷と合わせてブレイザー監督を解雇します。 後任にはライオンズで主砲として活躍した打撃コーチの中西太監督が就任することになりました。
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結果的に中西監督の積極的な起用により、.290 18本塁打の成績を残し新人王を獲得。 当時、期待のルーキーとして入団しながらも活躍の場を与えられなかったブレイザー監督に岡田選手は不満を漏らしており、自信を証明する結果となりました。
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コメント

🏳️‍🌈K2 @k2gtr 2015年9月27日
泣きながら夢中になって読んだ。
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