というのは、既に何度か書いたことだが、研究者というのは概ねあーゆー感じのもので、自分の専門分野においても素直に間違いを認めたりましてや謝罪したりしないものだから。
2015-03-30 22:46:11それはなぜか、というのはこれも何度か書いたけど例えばラトゥールが提示した問題だけど、では彼がそれに意味がある解答をあたえているかというとあんまりそうは思えない。
2015-03-30 22:46:18が、少なくともそういう 2 つの顔があること、研究者自身はその 2 つを区別できているわけではないことはまあ認めてもいいのではないかと思う。
2015-03-30 22:46:22Science in Action のイントロダクションでは、ラトゥールはこの 2 つを ready-made science と science in the making というふうに区別している。
2015-03-30 22:46:25これはまあ、何か知識のようなものが信用を獲得する過程というのは結局のところ社会的プロセスで、その中でその知識のようなものが本当に信用できる知識かどうかということは全くなんの役割もはたさないわけではないがそれで全てがきまるわけでもないというだけの話。
2015-03-30 22:46:31まあ、で、原発の事故とか、例えばワクチンとか薬で当初知られていなかったことになっている副作用とかがいろいろでてくると、それは信用できるように見える体系的知識みたいなものを信用できない側に戻して再検討しようという圧力にはなる。
2015-03-30 22:46:34でも、それには既に獲得された信用やそれに依存する色々 ( 利害関係を含めてだがそれだけではない ) に由来する抵抗があって、圧力が弱いと抵抗に負ける。
2015-03-30 22:46:36で、私の考えとしては、こういう、科学的知識みたいなものが信頼を獲得する過程、というのは、実際に確かに信頼できるものもある、ということに基づいた、ある意味間違った帰納法というか一般化みたいなものに基づいているのではないかと思う。
2015-03-30 22:46:40例えば、科学は信頼できるものであるから、科学者個人も信頼できるものである、ないしはそうあるべきである、というのは、まさにそういう間違った一般化といえよう。
2015-03-30 22:46:43ほんでもって、シングルボイスとかユニークボイスとかいう例のアレは、まさにその信頼がゆらいでいるところで信頼を維持しようという抵抗が理念化したようなものである。
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