【シューニャリアーナ享受論】外世を見る者、楽しむ者、扱うもの
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L_O_Nihilum
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問題

MTGには奇妙な魔力がある。いや、おそらくこれはMTGに限らない一般的な効果かもしれない。 先日、ゲームセンターでヴァンパイアセイヴァーのゲーム画面を眺めていたら、ほとんどのキャラの絵や背景を見ていてMTGでの色の役割が浮かぶ。そして、かっちり違和感がないと来る。
2015-04-02 10:47:31
世界の在り方とその思想の接続という構築の仕方は、確かな外世の輪郭を描くのだろう。 その世界が自然なるものであると、享受者は改めて理解するのだ そして、それが哲学的にも汎用的であることを、自らの世界を以て知る。
2015-04-02 10:48:36世界の在り方とその思想の作り方…
例えばマジック・ザ・ギャザリング(ここでのMTG)を例にとってみると。。。
The Value of Pie――『カラーパイの価値』
http://imatoki.diarynote.jp/201502171132364667/

小難しい用語が多い割に、日本のアニメ・コンテンツは意外にもこの効力を持っていない。たまに比喩的にノリやジョークで使うことはできても、現実にすっくとその意味を適用して現世で考えるほどのパワーがその概念にない。
2015-04-02 10:49:43
いちおう、それがある意味、僕が「外世」という概念を考えだしてしまい、アニメやゲームを虚構から追い出してしまった原因でも、あるといえばあるだろう。なぜなら、「向こうの世界はこちらとまったく関係ない概念があってもおかしくない」という考えを、いち早く手に入れる直接の原因と言えるからだ。
2015-04-02 10:50:43外世とは:こちらを参照。(このまとめのトップにも掲載)


そしてまた、翻ってみれば、MTGのような物語と舞台設定の現実性・その自然との接続は、それこそまさに「ゲーム」という用法を虚構に押しとどめない現代のゲーム思想の遠因であるようにも見える。
2015-04-02 10:51:52
こちらの理由は、まずゲームの世界が持つ画定されたルールさえも、いち「言語ゲーム」の部分であり、ほかのルールや作用によって変転し外化されるものであると考えることで、安易にゲームの世界を「記号=言語上の世界=虚構」として理解できるようにしているという点と、
2015-04-02 10:53:16言語ゲーム:
このページを読むと分り易い。
http://anond.hatelabo.jp/20130722013200
要するに「ゲームや会話などのやりとりは、それに参加した人がみんな共通の理解のもとで行われるとは限らないのだ」という哲学的な考え方、およびその態度のことである。
時代によって非常に多くの意味で用いられている言葉だが、コアとなっているのはその考え方にあり、
例えば、文脈主義の考え方のもとでは、「言語ゲーム」とはおおかた、日常語でいう「話題の土俵」のような意味を持ち、おおかた「論壇・思想集団のなかでの立場」を保障するものという意味を持つ(例:村上隆氏のいう「言語ゲーム」等)。グリーンバーグの用語。
また、本稿のゲーム論のなかでは、「テレビゲーム」のように、ゲーム作品、タイトル(ゲームの名前、商品名)によって遊び方が定義され、集団である程度共通認識されたコンテンツであっても、等しく「言語ゲーム」という形の一定でない、一般的な意味での『ゲーム』の一部として考える人の立場が登場する。

またそうであるからこそ「現実の世界の様々な要素の組み合わせで、虚構の要素ができる」と一辺倒に考えられる根拠になる。さらに言えば、それを技術で言語ゲームの拡張を行えば、それがARやヴァーチャルリアリティ、ゲームシステムだけを応用したゲーミフィケーションの思想へと繋いでゆけるのだ。
2015-04-02 10:54:25AR:Augumented Realityの略。Vurtual Realityでもほぼ同義。『拡張現実』のこと。
ゲーミフィケーション:課題の解決や、顧客のロイヤリティの向上などに、ゲームデザインの手法を使う、という考え方。要するに「テレビゲームでないもの(仕事や勉強、などの社会活動における作業云々)」にテレビゲームのデザインの手法を取り入れようとすること。
『ゲームのように夢中にさせて虜にする(はまらせる)仕組み』を利用して、ゲーム以外のものを進展させようとする試みのことである。

ゲームやアニメ、漫画の世界を「全く別」の世界として切り取る方法が、おそらく日本と海外では180度違う(たぶん海外でも、そういったものの分け方にはそれぞれ微妙な違いがあろう)。というか、ゲームを論じる人間とゲームを遊ぶ人間の間の違い、むしろそっちのほうか。
2015-04-02 10:58:42
ゲームに触れた人が感じた世界を、ゲームの理論はいつも置き去りにしたまま話す。ゲームがこちらの現実のなかにある、一種のシステムであるものとしてしか見ていない以上、あれは外世を理解しない。
2015-04-02 10:59:17
だからなんだってんだ。それにしてもゲームというものを言語ゲームという軸で理解した場合と、外世論込みの世界観理論として理解した場合。この差が乖離するのは、なにも思想だけのせいなのかえ?思想に触れる人々の国民性のせいなのかえ?
2015-04-02 11:00:29
たしかにそういったゲーム理論をしゃべってんのはウィと玄だかノイマンだか、西洋人ばっかだし、日本のゲームに関するシステム論、批評論もベースは大体海外の哲学だの批評だのを踏襲してる。だがそれだけで、西洋性をそのままかこつけてええんかねえ?
2015-04-02 11:01:36
それが違和感で、「ギーク」の濃さみたいなのをふと思いだした。 ギークはまさに外世論的な見方をいさんでするタイプの人間で、対外的には普通の人間のふりしていながら、心の奥底では隙あらばこの世の中をコミックの世界観で読み解いてやろうとしているでしょう。
2015-04-02 11:02:42ギーク:Geek,おかしな人の意。転じて、アメリカ英語などで、『コミックなどの重度のオタク』くらいの意味。

それこそ、ガチのトレッカーは、クリンゴン語を日常語に取り込むことだってしているのですよ。
2015-04-02 11:03:06トレッカー:
Treker.
TrekとはStar Trekという映画シリーズのことであり、要するにそれのギークのこと。
私の母がこれです。スポックの真似ができますw。

むしろそれをしないでスパイクやティミーみたいな消費に傾いているのは日本人のギークではなかろうか。そんな妄想を広げるよりも、いかにそれがそのゲームをするなかで重要な位置づけになるか、ということの方が主眼になる。
2015-04-02 11:04:10