三歩下がってついていく女性、というのをちょっと見ると、斬りかかられた時に守るためで後からやられた時は女性の帯は大きいから守れる…みたいのがやたら多いけど、そもそも三歩下がるというのが江戸以前にあったのか?
2015-03-31 02:27:31「女性は三歩(三尺)下がって歩く」江戸期の本はまだ読んでる途中だけど、明治以降のでいくつか。明治41年の女子礼式作法及家訓と女子礼法教科書には目上の人と歩く場合として「其の人の右側に一足おくれ付き沿うて行くべし…何となれば日本の礼は左を貴ぶ故、右側に沿うて行べし」
2015-04-01 03:11:32これが明治43年の和洋女子礼式作法新書では、尊重する人と歩く場合は左側に雁行せよとある。左を尊ぶのは唐の時代の制度で今は右が上位だからと。しかし明治44年の国民礼法講義では右側に雁行せよになり上輩の場合は一歩乃至三歩離れる。貴人の場合は三歩乃至六歩離れろとある
2015-04-01 03:18:24一番影響が大きかったと思われる昭和の国民礼法(昭16)では「長上と同行する場合はその後又は左側に随う」だけとあっさりしてる。今日見たのは目上の人で夫ではないけど多少の参考にはなった。昭和の国民礼法から、並んでお客様をお見送り pic.twitter.com/CzAWlZQ4oL
2015-04-01 03:35:13天心流さんのツイートを追加。しかし、三歩と三尺だと、下手すると小柄で歩幅が狭い女性でも三尺のほうが近いかもね。 日本の女性が男の後ろを歩くのは斬られないため!?ホントか? - Togetterまとめ togetter.com/li/802156 @togetter_jpさんから
2015-04-01 12:27:15天明、寛政年間の摂津の酒造、八尾家の日記。寺社の参詣や祭礼、芝居の見物などには「伊都(妻)は八左衛門(夫)、母親、子供のいずれかと出かけることが多く、一人で出かけることはほとんどない。それは八左衛門についても同様で、これらの外出に際しては必ずといっていいほど伊都をともなっている」
2015-04-01 18:43:03日記に出ている参詣、芝居見物等の外出は伊都10回、八左ヱ門7回、母親14回。やはり女性が多いんだな。寛政元年の9月21日の石清水八幡宮であろう参詣には伊都、八左ヱ門、長男六三郎の家族旅行。一週間超えるような長旅だと下女や手代も同行してる
2015-04-01 18:49:32天保8年の紀州の下級武士の妻の日記を読んだけど、「(夫が)今日は学校当番」といった具合に主語が略されてるんでわかり難い。だがこれも参詣には母親と夫の三人で行っている。
2015-04-01 19:21:39江戸の外出に関して史料等から。公的性格の外出は一人の場合が多い。夫の藩の役目はもちろん、夫の代わりに妻がご挨拶届け物とか。商家の妻だとこの役割も非常に大きくなる。また男女それぞれの趣味サークル等でも別々の場合が多い。が芝居、参詣等の遊興は武家町人とも夫婦の場合も少なくない
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