鶴と烏と時々狐 そして越後と伊勢と坂東の平氏

鶴丸国永と小烏丸と慕狐丸のエピソード、 そして平家と平氏についてざっくりとまとめました。
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          【ご 注 意】

*諸 説 あ り ま す
*伝 説 の 域 を 出 な い も の も あ り ま す

   
======鶴丸国永と小烏丸=======

平 資盛 @sukemori_t

鶴丸国永の最初の主、平維茂殿は伊勢平氏と同じ桓武平氏、繁盛流です。 伊勢平氏(平家)の祖である平貞盛公(将門公を討伐の折に小烏丸を下賜された方)の甥で、その養子となりました。

2015-02-17 23:12:28
平 資盛 @sukemori_t

私と同姓同名の平資盛(城資盛)はこの維茂殿の子孫で越後平氏。秋田城介として越後で栄えました。 鎌倉に入って、安達氏が秋田城介に任命されましたので、このとき鶴丸国永も安達氏の手にわたったのでしょうね。

2015-02-07 01:12:46
平 資盛 @sukemori_t

小烏丸は貞盛公の手にあった。 その甥で養子の維茂殿の手には鶴丸国永。 この二振りは同じ空気を吸っていた!となると小烏丸の実装が待たれるところです。

2015-02-07 01:15:58
平 資盛 @sukemori_t

鶴丸国永を手にした安達氏は霜月騒動で滅びますが、これにも私の伝・子孫が絡んでるんですよねー。 あの時貞時ではなく伝・子孫が手にしてたら長崎円喜経由で(中略)一番有名な伝・子孫に伝わってたかもしれない。

2015-02-07 13:02:19

私の伝・子孫
平頼綱(霜月騒動で安達を滅ぼすも、北条貞時により誅殺)
長崎円喜(鎌倉幕府内管領・北条高時とともに自害)
織田信長

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平 資盛 @sukemori_t

小烏丸の由来 【源平盛衰記】 小烏と云太刀は、彼唐皮出来て後、七日と申未刻に、主上南殿におはしまして東天を御拝有ける折節に、八尺霊烏飛来て大床に侍、主上御笏以て招召されけり。烏勅命に依り躍上、御座の御縁に觜を懸て奏し申さく、我は是、太神宮より剣の使者に参れりとて→

2015-02-13 18:08:18
平 資盛 @sukemori_t

(続き)羽刷して罷立けるが、其懐より一の太刀を御前に落し留けり。 主上御自此剣を被召て、八尺の大霊烏の中より出たる物なればとて、\小烏/とぞ名付させ給ひける。唐皮と共に宝物に執し思召す。されば\太刀も冑も同仏神の御製作/なり。→

2015-02-13 18:09:25
平 資盛 @sukemori_t

(続き)本朝守護の兵具也。仍代々は内裏に伝りけるを、貞盛が世に下預て、此家に伝て希代の重宝なり!!!

2015-02-13 18:09:47
平 資盛 @sukemori_t

将門公討伐の折に朝廷より賜り、以後平氏嫡流に伝えられてきた神剣です(・∀・)

2015-02-13 18:10:42
平 資盛 @sukemori_t

小烏丸が兄上から私に伝えられた事↓ 【源平盛衰記】 (維盛)「只是より屋島に行て、新三位中将、左中将達に有の儘に申せ、侍共いかにおぼつかなく思らん、誠に角とも知せねば、誰々もさこそ恨給らめ、。抑唐皮と云鎧、小烏と云太刀は、当家代々の重宝として、我まで嫡嫡に相伝はれり→」

2015-02-13 17:55:51
平 資盛 @sukemori_t

(続き) (維盛)「肥後守貞能が許に預置けり、其をば取て三位中将(資盛)に奉れ、もし不思議にて世も立なほらば、後には必六代に譲り給へ」と可申とて、雨々とぞ泣給ふ」

2015-02-13 17:56:34

兄・維盛は一の谷の合戦後、屋島の陣営を抜け出し熊野沖で補陀落渡海を遂げました。
その前に、私に小烏丸、唐皮の鎧という平家重代の家宝を届けました。
「いつか平家の世が来ることがあったら息子・六代に渡してほしい」と。

平 資盛 @sukemori_t

そして壇ノ浦で私が佩用し、共に沈んだ…はずだったのに、皇室御物ですなう!

2015-02-17 23:05:08
平 資盛 @sukemori_t

小烏丸=大神宮→桓武帝→(畏れ多くも略)→一条帝→平貞盛→(略)平清盛→平重盛→平維盛→平資盛(六代に渡すまでの一時預かり)→壇ノ浦ドボン→(とっても色々あって)→御物

2015-03-20 21:23:50

   ======城氏について=======

平 資盛 @sukemori_t

そうそう、鶴丸国永の最初の主、平維茂殿の子孫に私と同姓同名の平(城)資盛という人がいることや、城氏が秋田城介(官職名・人名ではありません)を務め、そこから安達氏に鶴丸国永が伝わったのだろうということはちらっとツイートしましたが、維茂殿は他に「慕狐丸」という太刀もお持ちでした。

2015-02-13 18:32:25
平 資盛 @sukemori_t

【吾妻鏡】 この長茂(本名資盛)は鎮守府将軍維茂(貞盛朝臣の弟也)の男、出羽城介繁茂七代の裔孫也。維茂の勇敢上古に恥じざるの間、時の人これを感じ、将軍宣旨以前に押して将軍と称す。而るを武威を以て大道を為すと雖も、毎日法華経八軸を転読し、毎年六十巻(玄義文句止観)一部を一見す。→

2015-02-13 18:36:02

【吾妻鏡 文治四年九月一四日条】
原文↓
此長茂本名資茂者。鎮守府將軍余五維茂貞盛朝臣弟也男

☓ この長茂(本名資盛)は鎮守府将軍維茂

○ この長茂(本名資茂)は

平 資盛 @sukemori_t

(続き) また恵心僧都に謁し住生極楽の要須を談る。 繁茂生まれて則ち逐電す。悲歎を含みながら四箇年を経て、夢想の告げに依って捜し求むの処、狐塚に於いてこれを尋ね得て、家に持ち来たる。その狐老翁に変ぜしめ忽然と来たり、刀並びに抽櫛等を嬰児に授くと。→

2015-02-13 18:36:55
平 資盛 @sukemori_t

(続き) 翁深窓に於いて養育せしめば、日本の国主たるべし。今に於いては、その位に至るべからずと。嬰児は則ち繁茂なり。長茂遺跡を継ぎ彼の刀を給い、今にこれを帯すと。

2015-02-13 18:37:25
平 資盛 @sukemori_t

平維茂殿の三男・繁茂殿が生まれてまもなく行方しれずとなり、四年後夢のお告げに従って探した所狐塚で発見!その後狐がおじいちゃんの姿になり維茂殿の元へやってきて刀や抽櫛などをこの子に授け 「この子を家で大事に育てればこの国の主となることができただろうが、今となってはできない」と。

2015-02-13 18:53:41