【ホトトギスが】4月10日は獅子王記念日【鳴いたから】
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そうそう、近衛帝の御世、鵺退治をしたこともありましたかな。摂津源氏の祖、源頼光の弓から山鳥の尾で作った尖り矢を射り、部下の猪早太が取り押さえてとどめを差しての。これにより帝も治られ、褒美に獅子王という刀を頂戴したのですよ。ほっほっほ(´ω`)
2015-04-01 20:07:50【平家物語 巻四 鵺】 抑源三位入道とも薄は、摂津守頼光に五代、三河守頼綱が孫、兵庫守仲政が子也。(中略) 近衛院御在位の時、仁平のころほひ、主上夜な夜なおびへたまぎらせ給ふ事ありけり。(中略) 御脳は丑の刻ばかりでありけるに、東三条の森の方より黒雲一村立来て御殿の上におほへば
2015-04-10 12:38:17○源三位入道と申すは ☓源三位入道とも薄は RT @自分【平家物語 巻四 鵺】 抑源三位入道とも薄は、摂津守頼光に五代、三河守頼綱が孫、兵庫守仲政が子也。(中略) 近衛院御在位の時、仁平のころほひ、主上夜な夜なおびへたまぎらせ給ふ事ありけり。(中略)
2015-04-10 16:05:30→かならずおびへさせ給ひけり。(中略) しかればすなはち洗礼に任せて、武士に仰せて警護あるべしとて、源平両家の兵物共のなかを選せられけるに、頼政をゑらびいだされたりけるとぞ聞こえし。(中略) 頼政は頼みきたる郎党遠江國住人井早太に母衣の風切はいだる矢負はせて、唯一人ぞ具したりける
2015-04-10 12:41:20☓洗礼に任せて
○先例にまかせて
→我身は二重の狩衣に、山鳥の尾をもてはいだるとがり矢二すぢ、滋籘の弓にとりそへて、南殿の大床に伺候す。(中略) 日頃人の申にたがはず、御脳の刻限に及んで、東三条の森の方より、黒雲一村立来て、御殿の上にたなびいたり。頼政きッと見上げたれば、雲の中に怪しき者の姿あり。
2015-04-10 12:44:33→これを射そんずる物ならば、世にあるべしとはおもはざりけり。さりながらも矢取ってつがひ、南無八幡大菩薩と、心のうちに祈念して、よッ引いてひゃうど射る。てごたへしてはたとあたる。「得たりをう」と矢叫びをこそしたりけれ。(中略) かしらは猿、むくろは狸、尾はくちなは、手足は虎の姿なり
2015-04-10 12:47:03宇治の左大臣殿(藤原頼長)是を給はりついで、頼政にたばんとて、御前のきざはしをなからばかり降りさせ給へるところに、頃は\卯月十日/あまりのことなれば、雲井に郭公二声三声音づれてぞ通りけり。
2015-04-10 12:50:03其時左大臣殿 ほとゝぎす 名をも雲井にあぐるかな とおほせられかけたりければ、頼政右の膝をつき、左の袖を広げ、月を少し側目にかけつゝ 弓張月の 月のゐるにまかせて と仕り、御剣を給はッてまかり出づ。
2015-04-10 12:53:07この時は大炊御門右大臣公能公との間に 五月闇 名をあらはせるこよひかな とおほせかけたりければ、頼政 たそかれ時も 過ぎぬとおもふに と仕り、御衣を肩にかけて退出す。 そしてこの段の締めは よしなし謀反おこいて、宮をもうしなひまいらせ、我身も滅びぬる事こそうたてけれ
2015-04-10 12:58:20「獅子王が下賜された時に小狐丸を佩いていた」ということではありません。小狐丸を佩いて石清水八幡宮に参詣した等の記録があります(台記) RT @資盛 ちなみに、帝の下賜された獅子王を源三位殿に渡した悪左府頼長殿は小狐丸を佩刀してました。
2015-04-10 14:45:32おねいさん!! RT @puchi0122 @資盛 左府様も刀剣に色々とご縁があったのですね(´ー`*) 小狐丸のガッチリ体型は左府様のお気に入りだったのかな(違)
2015-04-10 13:07:26ちなみに、悪左府頼長殿の嫡子・妙音院殿(師長)は私の琴の師匠です(・∀・) あれ?じゃ私も小狐丸見たことあったのかなぁ(すっとぼけ)
2015-04-11 01:12:12保元の乱についてはツイログをご参照ください #保元の乱2013タグでやってました(・∀・) twilog.org/sukemori_t/sea…
2015-04-11 00:47:17