【シューニャリアーナゲーム論】何故初心者は…どころじゃない
- L_O_Nihilum
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初心者なりにこれについては1意見として …これはMTG勢ではなく、格ゲー勢としての意見だけども 初心者が本当の意味で「そのゲームの初心者」になる瞬間はいつか
2015-04-10 16:01:48『そのゲームで戦って負け(たまに、運込みで勝ち)⇔反省したり考えたりする』 この『』内を「楽しむ」心の余裕ができたときだと思う 「なんで言う通りにしたのに結果が出ないんだ!」という経験を必ず何度もすると思うので この最中の人を無理やり1プレイヤーとして認めちゃうから問題になる
2015-04-10 16:02:32「正しい戦い方を知らない人がいる」→「その人に基礎的な遊び方を教える、あるいはそれくらいなら会う前から知っている人だった」⇒「なぜか中級車以上がやらない間違いが多い」→「”初心者”という認識がコミュニティに生まれる」→「自分は初心者、なのだと思わされる」
2015-04-10 16:03:37⇒「弱いと思ってしまう」→「言われた事を自分なりに理解して実践してみる」→「言われた事のタイミング等、裏の意味が多すぎて結局理解と実践がかみ合わない」→「結果が出ない」→「初心者認識」→ループ、という事が起こってしまう
2015-04-10 16:04:36つまり遊ぶ人たちの間でのプレイヤーの性質の認知の段階で、 「その人のプレイにどういう癖があるか」や「どう教えたらより手短により勝率の高いプレイに近づけていけるか」を各人が調べようとする前に、コミュニティでその人の立ち位置が決まり、当人がそれを認識しちゃうことで⇒
2015-04-10 16:05:35⇒(負けず嫌いだったり努力で見返す性格の人間ならまだしも)そうでない人間だってもちろんいるわけだから、性格の違いが簡単にコミュニティ内の疎外を生み出す。 こうして「疎外」された『初心者』が、「自分初心者です」とレッテルを公開しながら今後を行動しなければならなくなる
2015-04-10 16:06:30つまり「ゲームを楽しめばいい」のに、「ゲームが楽しめなくなる」。というか、「ゲームを楽しむ事」と「それでコミュニティの付き合いに慣れること」が本当はそれぞれ別々のことなのに、上級者共々混同して理解してる節があって、その混同を紐解かないまま初心者も鵜呑みにしてしまう。
2015-04-10 16:07:36人付き合いで、そのコミュニティにいたいからゲームをするの? それとも、そのゲームが面白いからそのゲームをするの?を どっか自分の心の中で固められるようになって、それを受け入れられる段階になって、初めてその中でゲームでの勝ち方を学ぶ心の余裕ができる
2015-04-10 16:08:22「そっか、たくさん負けてもいいんだ、負けた原因ははっきりしてるんだから」と心のどこかで思える場所が、出来るだけ早く「初めてのプレイヤー」に生まれなければならない それが生まれてから、「そのゲームでの戦い方を学び始めた人」つまり《初心者》という道が始まるんだと思う
2015-04-10 16:09:23MTGで私は最近よく負けてるが、要するに相手のコントロールの性質を分析できて無い時や、自分のデッキが求めてるものを私が知らないからだ、と理解できる時間は最近増えた。 そういうのが奥深さを形成している=ゲームの面白さなんだ、と理解してきたから、今は負けても楽しいよ
2015-04-10 16:10:18メカニズムがわからなければ奥深さがわからない わかってきてから、この奥深さのなかで揉まれる独特の感覚に楽しみができるんだと思う この「楽しみ」ができるところまで、初心者を導く技術が、いわゆる上級者にも足りないし、
2015-04-10 16:10:59同時に初心者も、その中でこういう心の余裕を持とうとする訓練が足りない気がする。 格闘ゲーム、麻雀、各種TCG、スポーツ、あらゆる「教科書の存在しない(※)遊び」が持っている共通の『初心者問題』はこれではないか?と最近は思うようになった。
2015-04-10 16:12:01※部分:
「教科書のない遊び」とは、たとえば学校の教科書に載っているスポーツのように、教える人も学校も社会的に認められていて、職業として成立している類の遊びのこと。
将棋、囲碁、野球、サッカー等のゲームがこれにあたる。
しかるに、格闘ゲームはこれに当てはまらない。意外なことに、麻雀もこれに当てはまらない。愛好者のコミュニティが社会的マイノリティである環境で攻略法や必勝法等を集団で積み重ねていくなかで、高度なゲーム性として「主にそのプレイヤーの間で」認識して高めていったゲームの類であるためだ。
そういったゲームには、ふらっとどこかで立ち合いやすく、それなりの知名度も持っていながら、「教科書」にあたる文献や論文のようなものがない。あっても、それが一面からの観点に依ったものでしかなく、体系化されているとは言い難いものが多い。それを学ぶことが社会的に「学んでおくべきである」と認知されていないため、それらの基礎教養にあたるものがそのゲームの世界の「外部」に存在しない。「内部」にだけ存在していて、外部に認知される形でアウトプットされてはいない。
近年ではこうした「教科書のないゲーム」でもお金を得るほどのプロフェショナルが生まれてきているゲームも増えているため、それを育成する学校も作られようとしてきているため、「教科書のないゲーム」とそうでないゲームの境界線も、今後曖昧になってゆくと思われる。
ゲームって ・状況判断(インプット ・思考 ・行動の決定(アウトプット の三要素だけどmtgのプレイヤーの技術って行動の決定、アウトプットに集約されてるから初心者が負けるのはさほど問題ないでしょ
2015-04-10 12:33:33ゲームに馴れていないプレイヤーが苦痛に感じるのは 思考→アウトプット この過程とアウトプットそのものの難易度。 要するに「思っているように行動できない」。
2015-04-10 12:48:28この2ツイートが示していることがその内実。 「想っているように行動できない」という事が、実は「あなたは自分の思うように動こうとしてさえいない」という事に頭の中でつながるまでには時間と余裕が必要。
2015-04-10 16:13:21あと動画勢とか上級者様とか言われる人たちがどうしてわくのか?もこの同じ図式から分岐で説明できるんですよな
2015-04-10 16:17:52「正しい戦い方を知らない人がいる」→「その人に基礎的な遊び方を教える、あるいはそれくらいなら会う前から知っている人だった」⇒「なぜか中級車以上がやらない間違いが多い」→「”初心者”という認識がコミュニティに生まれる」→「自分は初心者、なのだと思わされる」⇒ 大体ここまで同じ
2015-04-10 16:18:13こっから「弱いと思ってしまう」→「強い人のプレイを眺めて楽しんでいる」→「上級者が使っているトリックがわかってくる」→「それを頭の中・口頭で復唱できるようになる」→「身に沁みついてもいないのにそれを口に出して楽しむようになる」 さて何故でしょうか
2015-04-10 16:19:12なぜなら 「その用語がわかっていれば、(たとえ実際にプレイはできなくても)それを遊ぶ人たちのコミュニティの中に混じっていられる」 という安心感があるというのもあるし
2015-04-10 16:19:44なによりプレイしてないんで 「実際にできなくてもその場にいなければ遠目に眺めていられる」 という別の種類の安心感も生まれてしまうからです
2015-04-10 16:20:12動画勢、しったかぶり、口だけ坊主、視聴者様、といった有り方が出てくるのも、プレイヤーの間の格差とコミュニティのこう着性が遠因である。 コミュニティが生み出した疎外が、プレイヤーのマナーの低下を引き起こす。
2015-04-10 16:21:23寛大さが欠落することが、人を取り込み、ともに歩ませようとする力の欠落を生む。 なぜカエサルが多くの人々を束ねることができたのだろう?彼は何の神を信仰していたか? クレメンティアではなかったろうか?
2015-04-10 16:22:27で、それを「産業の側」が実際に生み出してしまう場合もある。 TCGはこれを引き起こしやすい産業だ なぜなら、如何に知識やプレイングのテクがあっても、「持ってなかったら意味がない」という世界が必ず生まれてしまうからだ
2015-04-10 16:23:17