DedicateToSkatingさんによるイリモスの記事訳文
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今シーズン、感銘を受けたイリシェチキナ&モスコビッチ組。ブランクを経てロシアからカナダに渡り、「この国に住みたかった」というカナダチームの一員になったルボフ・イリシェチキナ選手がシーズン終了時に寄せたFBコメントから。ざっくり訳で、全訳ではありません。あしからず。
2015-04-02 21:57:03①初めてのワールド、(ディランとの)初めてのシーズンが終わった。いろんな感情が入り交じっている。たくさんの幸福感、プライド、わき出すエネルギー、怒り、悔しい気持ちと。モスコビッチと私は長い道のりを進んできた。時間としては長くはないが、距離としては長かった。
2015-04-02 21:57:33②波のようにうねる道を全速力で突っ走ってきた。幸いにも、私たちは電車の路線に乗り換え、道も真っすぐ、スムーズなものになってきた。そして私たちは立ち止まり、一息つくことになる。氷上で、オフアイスで、私たちを助けてくれたみんなにお礼を言いたい。
2015-04-02 21:58:02③みなさんなくして、これほどのこと(初年度を成功裏に終えること)はできなかった。まずはありったけのありがとうを、私の素敵なパートナーのディランに。ディランの家族のみなさん、ありがとう。カナダのスケート連盟の方々、クリケットクラブのコーチ、チームの皆さん、ありがとうございます。
2015-04-02 21:59:11イリ&モスコビッチ組の道のりは遠く険しいものでした。何のつてもなくロシアからカナダに移ってきたイリちゃん。いつ露連盟から解放されるかもわからない中、ディランは貯金を切り崩して資金面でもイリちゃんをサポートしました。ナショナル2位、四大陸、ワールド出場と、報われてよかったです。
2015-04-02 22:05:35イリモス記事の訳をあげてくださってた😊
加のスポーツライター、ビバリー・スミス氏の昨年11月のオンライン投稿記事より。 「セカンドチャンス――イリシェチキナとモスコビッチ」 長いので要素をつまんで。とにかく心にぐっと来るワンフレーズが満載です。淡々とした文面の中に、カップル競技の難しさ、当事者の苦悩がにじんでいました。
2015-04-05 12:40:16①2年も試合から遠ざかった23歳のロシア人のルボフ・イリシェチキナ。そして、パートナーがこの先2度の五輪出場を見据えて去っていき、30歳を前にして突然、優秀なパートナーを失ったディラン・モスコビッチ。二人は困難な中、セカンドチャンスに恵まれた。
2015-04-05 13:00:37②ディランはむしろスケートを続けることに懐疑的だった。「人生における変化に直面して、ちょっと揺れていたんだ」と彼は言う。「(新たに組んだところで)残された競技生活の中で、以前と同じレベル(のペア)に戻せる確信がなかった」と。
2015-04-05 13:01:22③いくつかのトライアウトを考えていて、14年5月、デトロイトで、ルボフとのトライアウトの場を設けた。彼女はカナダではなくアメリカのビザを持っていて、はるばるロシアから駆けつけた。ライバルとして何度か戦っていたが、個人的なことは知らなかった。1週間の滞在予定だった。
2015-04-05 13:05:53④やってみると全てがうまくいき、すぐオフアイスで複雑なリフトができた。ルボフは2年間実戦を離れていたが2日目にはスロートリプル成功。フライトをキャンセルしてデトロイトに残り、ルボフがカナダ入国ビザを得るまで、コーチなしで練習することにした。他のトライアウトの予定もキャンセルした。
2015-04-05 13:08:54補足)別の記事などによると、トライアウトを見守っていたのはディランの親友で現コーチ陣の一人でもあるブライス・デヴィソン。「どうだろうか」とディランから問われ、「やってみる価値があると思わせるものが二人にはある」と背中を押したのだという。
2015-04-05 13:10:46⑤ルボフがカナダ代表として滑るためには、ロシア連盟が彼女を放出するかどうかが問題だった。マイスラゼとの有望なパートナーシップは突如解散となり、彼女はヤニック・ココンとのペアでフランス代表になろうとも試みたが、ロシアが彼女を手離さず、そのペアでは一度も国際舞台で戦うことはなかった。
2015-04-05 13:11:36⑥だが、秋には解放が実現した。ディランは肩の荷がおりる思いだった。計り知れない重荷を背負っていただろうルボフは「3年かかった」と振り返る。「やっとこの時が来ました。ロシア連盟への思いはたくさんあります。私のキャリアに多大な投資をして下さり、とても感謝しています」
2015-04-05 13:13:29⑦「でもいろんなことがあり、私はもはやロシアのために戦うことはできなくなっていました。残念ですが、連盟が私の事情を酌んで、(次のステップに)行かせてくれたことを幸せに思います」。マイスラゼとのペアで、彼女は09年ジュニア世界王者になり、11年のユニバーシアードで優勝している。
2015-04-05 13:15:58⑧ルボフは、10年、キングストン開催のスケートカナダでGPS初タイトルを手にしている。このキングストン訪問が、実は彼女の人生の重要な転換点なのだ。その時、カナダという国に恋をした。どんな巡り合わせか、彼女はディランと組み、15年のカナダナショナルをキングストンで戦うのだ。
2015-04-05 13:17:38補足)キングストンは犯罪者の矯正・社会復帰のための処遇施設が多く、「刑務所の街」として知られる。キングストンのナショナルで2位になった時、ルバは「ここは私のラッキーシティ」と笑顔で言い、その様がまた、カナダファンの心を動かしたようで、新聞記事にも書かれています。
2015-04-05 13:20:37⑨「カナダを代表することは、私にとって大きな意味をなします。夢にまで見た、あこがれの国だったから」とルボフ。「今年、カナダにたどり着いた時は信じられませんでした。今、ここが私の場所になりました。居心地が良く、あったかい国です」
2015-04-05 13:22:35⑩「ここで自分自身の心をオープンにして笑顔を見せたいと思いました。みな礼儀正しく、フレンドリーでした」。彼女は、カナダに移住する意思があるとディランに告げた。 ※補足 別記事には「色んなことがあり、心を閉じていた」とも。カナダという国がルボフの笑顔を引き出した、といえそうです。
2015-04-05 13:24:46⑪カナダ人パートナーとの巡り合いは、思いがけない贈り物となった。「ディランと滑れて幸せです。すてきなパートナーで、人間的にも申し分ありません」とルボフ。「彼には何でも話せるし、いい助言を得られることは間違いない。とてもプロフェッショナルなのです」
2015-04-05 13:25:23⑫ディランは、ギャンブルのようでもあり先行き不透明にも思える中、資金、心情面で大きな犠牲を払ってきた。前ペア解消前、リンクメートのジョーンズ&レーガンと家を共同購入したが数か月後、家を出て行かざるを得なくなり、しばらくトロントの実家に身を寄せ、今は弟とアパートをシェアしている。
2015-04-05 13:27:31⑬ディランは活動費の全てを負担してきた。ルボフには資金援助がなく、仏でも援助を受けず9か月滞在した経験がある。彼女はカナダ政府から様々な許可証を受けるための資格がまだない。「自身でこのペアに資金援助しているようなもの。貯金の全てを費やしている。これまで稼いできた全てを」。
2015-04-05 13:28:59⑭彼にそうさせるのは、小さな5フィートのルボフの存在に依るところが大きい。「彼女がどれほど熱心に練習し、どれほど競技をしたいと切望し、過去にどれほどの困難を乗り越えなければならなかったのか。そのことを僕は知っているから……」とディラン。
2015-04-05 13:29:44⑮ディランは「自分が望んでそうしている部分もあるし、彼女のためでもある。彼女は、それらをつぎ込むのに値する選手だ。勝者のマインドがあり、競技に対しても多大な影響を与えてきた選手」と。
2015-04-05 13:30:48⑯彼女は柔軟性に優れている。(ディランにとっては)ペアとしての動きに、新しい可能性を提供することができる。「そんなことは人間には出来ないだろうと思うようなことでも、彼女はやってのけてしまう」と彼は言う。さらに、彼女は分析家で、かつ創造的だ。
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