佐々木敦『ニッポンの現代思想』第1章『「ニューアカ」とは何だったのか?』の最後の頁に野々村文宏さんが登場します。一気にとっつきやすくなってきました。同じ頁に「連合赤軍事件」の名も出てきて興味深い。だんだんサブカルっぽくなる予感
2015-04-11 22:22:11連合赤軍事件が1971年。中森明夫、田口賢司、野々村文宏の三人による共著『卒業ーー"Kyon²に向って"』が1985年。 「小泉今日子や菊池桃子といった当時人気絶頂だったアイドルを「現代思想」のタームで語りまくる奇書」だとか。
2015-04-11 22:37:58中森明夫と野々村文宏と菅付雅信の3人が「新人類」と言われてたんだけど、言われてた当時大学生だった私は一切そのことを知らなかったという。この3人のうち2人と仕事をしたが、普通のおっさんですよ笑
2015-04-11 23:00:01野々村さんは90年代の前半に私にコンピュータのことをいろいろ教えてくれた人。音楽雑誌でマルチメディアやインターネットの特集をやった。打ち合わせのために事務所に行くと死ぬほど散らかっていてドン引きしたが、そこで漢字TALK6で動く、登場したばかりのクイックタイムの説明を受けた笑
2015-04-11 23:02:59当時野々村さんはナレッジ&エクスペリエンスという会社をやっていて、その人と今カウンターの現場でしょっちゅう顔合わせるの、すごい必然感あるよね。まさにこれKnowledge & Experienceですよ。
2015-04-11 23:07:38@kdxn 入ってないですね。彼は世代的にちょっと下だと思います。「新人類」がメディアを賑わしていた頃は彼はまだ下積み時代で世間には出て来ていないんじゃないですかね。「新人類」はチャラさを売り物にしていたので当時の自分は苦々しく思ってました。信州でアルチュセールとか読んでたので。
2015-04-11 23:42:30@kdxn @naokisatoasyl 私も中森さんら「旧・新人類」wプロデュースしてた人に「キミも新人類に入らないか」と言われたことあったよ
2015-04-11 23:52:20@rkayama @kdxn ちなみに「新人類」という言葉が流通し始めた頃に僕は「青生舎」と「日本はこれでいいのか市民連合」を訪ねたことがあります。そのことに関心を示してくれる同世代の者は周囲にひとりもいませんでした。それで「共感者がひとりもいない」ことに慣れることができました。
2015-04-12 00:06:21