Twitter小説『裏切りの星』

インフルエンザで倒れた「私」が3日ぶりに出社すると、女性の多い職場は本社から移動してくる「アサクラさん」の話題で持ちきりだった。不倫が会社にバレたためらしい。私は噂話はあまり好きではない…。 虚構の飲み屋『赤ランプ』の常連物書きS氏による、大人のショートストーリー。眠れない夜のお供にどうぞ。
s氏
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figment @aka_lamp
まさか自分が職場でのインフルエンザ第1号になるとは、思いもしなかった。 健康だけが取り柄みたいな所があったし、念のために予防接種だって受けたばかりだったのに、それでも罹る時は罹るものらしい。
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普段風邪すら引かない人間には急転直下で具合が悪くなったのは辛くて、私死ぬかも、とすら思った。ワクチンで劇的に楽になったものの、全快したとは言いがたい体を半ば引き摺るように3日ぶりに出社すると、この前まで半分物置のようになっていたデスクが片付けられ、PCが設置されていた。
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「ここ、誰か使うんですか?」 何気なく質問してから、場の空気が氷つくのを感じてしまった、と思った。隣の席の羽山さんが「後で」と小声で耳打ちし、ああなんか嫌だな、と思うまま、ランチの時間。
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前置きのように私の体調を心配してくれた後「それにしても今朝はちょっと焦ったわね」から始まり、待ってましたとばかりにうちの部署でムードメーカー的な存在の鈴原さんが口火を切った。「今度本社からアサクラさんて女性が異動してくるんだって」
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思わず「本社からですか?」と聞き返してしまう。私の反応は期待どおりだったようで、私以外の5人全員がこぞってその「アサクラさん」の情報を口にし始める。どうもアサクラさんは今いる部署の上司と不倫関係になり、それが会社にバレた為異動させられ、うちの部署に来ることになったらしい。
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本社の企画部なんて花形なのにねー」「こんな関連子会社の委託部署に飛ばされるなんて」「でもあんまり懲りてないらしいじゃない」「そうそう、なんか騒動のすぐ後で後輩の男の子食べちゃったらしいよ」「このご時世クビにならないだけマシなのに、よくやるわ」
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「まぁ休んでたから仕方ないけど、知らないの、山岡さんくらいだよ」最後の一言がトドメとばかりにグサリときた。
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この手のものに限らず、噂話はあまり好きではない。良い子ぶりたいわけではないし社会人になった以上、上手く受け流せるようになれ、と自分で自分が嫌になる時もあったが、それでも苦手なものは苦手だった。
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同僚は皆、決して悪い人たちではないが、女性の多い職場だとどうしたって、どんなに避けようとしても噂は耳に入ってくる。それでも、こんなに耳を塞ぎたくなったのは久方ぶりだった。退社するまで気分が晴れず、家まで持ち帰ってしまったくらいだ。
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きっと体調が万全ではないせいだ。ジョキングも今週に入ってから一度も出来ていないし、早く元気にならなくちゃ、それくらいしか取り柄がないんだから、と言い聞かせて無理矢理眠った。
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翌日、まだ重たい体を抱えるように仕事をしていると、上司が女性を伴ってやってきた。一目見た瞬間、それが「アサクラさん」だとわかった。好奇と緊張が入り交じった空気に私の方が息が詰まりそうになる中、あくまでも愛想よく儀礼的に挨拶をしている。
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「山岡さん、鍵の場所とか教えてあげて」上司に言われ、はい、と返事をしながら、何で私が、と思いはっとする。本当に、私はどうしてしまったのだろう。浅倉さんに事業所の中を案内する事になり、二人で歩いていると「ねぇ、新人研修の時どこからスタートだった?」と浅倉さんから話しかけてきた。
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質問の意図がわからず、面食らって返答出来ずにいると「覚えてないかな、私たぶんあなたとは初めましてじゃないよ」 そう言われて思い出した。随分雰囲気が変わってしまったからわからなかったが、笑った時の八重歯に確かに見覚えがあった。
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新人研修の時、最初に配属された部署で面倒をみてくれたのが浅倉さんだったのだ。もう3年くらい経つのだろうか。印象でしか覚えていないが、浅倉さんは派手になった。服装とかメイクとか、そうゆう見た目ではなく、なんとなく醸しているものが明け透けとゆうか、やや荒んだ感じになったと思う。
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けれど反面、さっぱりとした表情で、自分がした事や置かれた立場を悲観したり嘆いたりはしていないようだった。それが余計に周囲の者たちの口を喧しくさせるだろうと思い、胸の奥が塞ぐ。
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その晩、私は滅多にみない夢をみた。 私は右も左もわからない新人社員で、ミスをしたらしい、浅倉さんが代わりに上司から注意を受けていた。私はそれを心の底から申し訳ないと思っていて、ともすれば泣いてしまいそうだった。
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しかし浅倉さんはミスした事自体は責めなかった。「わからないことはどんどん聞いて、って言ったじゃない」
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「仕事はチームでやるんだから、聞かれることよりも聞かないでミスされた方が皆の迷惑になるって、最初に言ったはず。だって何かあった時、新人のあなたに出来ることなんて何もないでしょ。責任を取るのは上司よ。その事をよく覚えておいてね」
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跳ね起きて、時計をみる。午前4時を回ったところだったが、もう眠れそうにない。体から怠さがなくなっている事に気付き、走るのが無理でもウォーキングを、と思い支度をして家を出た。
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外は寒いはずなのに、なんだか心臓がバクバクして体の芯が熱かった。既に息が上がっている。それでも何かから逃げるように、私は早足でずんずん歩いた。あれは夢であって夢じゃない。実際、研修の時浅倉さんに言われた事だ。言葉自体は刷り込みのように残っているのに、誰に言われたか忘れていた。
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何も考えないように、歩いて、歩いて、プラネタリウムの前を通り過ぎる。一昨年リニューアルオープンしたらしく、宇宙船を模した近未来風の建物は町のシンボルでもあったが、他に誰もいない早朝、木々の中のプラネタリウムは巨大な要塞のように沈黙して、不気味さすらあった。
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冬の夜はまだ明け始めたばかりで、空にはいくつか星も見える。ふいにまた、先ほどみた夢を思い出しそうになり、それを振り払うように金星を探そうと空を仰いだ瞬間、私はようやく気付いた。
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何故だろう、私は彼女に、浅倉さんに、裏切られたような気がしたのだった。
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「裏切りの星」  了。