太郎太刀と次郎太刀と真柄切(青木兼元)と痣丸【6/20更新】

熱田神宮の太郎太刀と次郎太刀の来歴について 太郎太刀の持主とされる真柄直隆を倒した人と真柄切 について資料と妄想の忘備録 6/20 太郎太刀の奉納者、山田さんの詳細について追加
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太郎太刀と次郎太刀の奉納にはなぜ時間差があるのか

フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

太郎太刀が、次郎太刀より熱田への奉納が遅れた件。太郎の拵えは、奉納にあたり新調されたと聞いた事があるので、これが本当なら、タイムラグの何割かは拵え新調に要した時間かもしれない。そうなると、太郎の奉納者山田さんは入手してすぐか、最初から熱田に奉納するつもりだったということになるけど

2015-04-16 21:11:31
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

太郎太刀の持主だったとされる真柄直隆は、姉川で討取られている。強者と名高い武者が戦いの始めから終りまで何もせずやられるとも思われないので、姉川までの連戦で太郎の拵えがボロボロになった可能性がある。次郎太刀は、逆に然程拵えが傷んでいなかったのですぐ奉納に回されたのかもしれない。

2015-04-16 21:17:31
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

(というか、拵えに不具合があったり、装飾用の拵えを振り回すと大変危険なので、最後の最後で潔く諦めた真柄の態度(信長記)は、連戦による疲労や手傷でまともに戦えなくなったことと、同じく連戦による太郎太刀の状態の悪化、その両方と言う可能性もあるよね)

2015-04-16 21:22:53

次郎太刀の奉納者(らしき人)

mrsk @Dmurasaki

太郎太刀と呼ばれてるあの刀は、姉川の戦いの6年後に山田甚八郎吉久という人が奉納したそうだ pic.twitter.com/RRVdhxePnK

2015-04-17 10:44:10
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mrsk @Dmurasaki

おまけ 次郎太刀と呼ばれるやつは姉川の戦い直後に奉納されたんで間違いなさそうだけど、やっぱり勝ったほうが奉納してるのが興味深いというかなんというか pic.twitter.com/PvMHSOTWBH

2015-04-17 12:14:20
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フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

RT次郎太刀の奉納者と思しき切付銘について補足すると「熱田大明神奉寄進御太刀 信長御内熊若夫婦之者」で、御内とは、大まかに、○○の所の(家の)所領や物、従者などの事。従って、信長の従者である熊若夫妻が次郎太刀の奉納者と思われる。夫婦二人で次郎を奉納しに来たのが少し面白い。

2015-04-17 22:48:58
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

熊若は雑兵か信長の従者として姉川に参加し次郎太刀を入手する機会があったと考えられる。更に、熊若の名前のみで苗字がないことから、熊若さんは信長の従者とはいえ武士ではなく、下働きの下っ端である可能性が高い。

2015-04-17 22:57:01
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

姉川当時は、後に大名になる山内一豊や藤堂高虎がモブ兵士として参加していた。しかし、一豊は岩倉織田氏の重臣の息子、藤堂家は落ちぶれてはいたが、元は土豪で藤堂は生来の名字である。つまり、次郎太刀の奉納者の熊若さんは、モブ兵士の中でもさらにモブである。どういう経緯で入手したのか

2015-04-17 23:03:21
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

なので、切付銘を信用するなら、と言う但し書きが著者によって書かれているのではないかと思われる。逆に太郎太刀の奉納者が山田で確定されているのも、熱田などの複数文書で山田さん奉納した事の裏付けが取れているからだと思われる

2015-04-17 23:36:32
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

個人的に次郎太刀の切付銘はともかく、熱田の家紋が入った目貫は奉納後にやったんじゃないかなあって気がする。外観が然程ボロボロじゃないから普通に熊若夫婦は奉納して、奉納後の手入れで不具合が分かって熱田の家紋入り目貫に交換して巻き直したとかね。

2015-04-17 23:57:16
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

山田さんモブとか言うてごめんよ、次郎ちゃんの奉納者の方が多分真の意味でのモブだ。

2015-04-18 00:02:28
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

もしかしたら切付銘も熊若夫妻が自らやった訳じゃなくて、 奉納時に誰かを問われて自分の所属と名前を名乗っただけで記名はしてなくて、後で熱田の中の人か職人が、信長様の所に仕えてる熊若っていうのが夫婦で奉納しに来たってことを思い出して刻んだかもしれない、修繕時に。

2015-04-18 00:27:40

奉納する際の慣わしから、太郎と次郎の奉納時を考える

フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

熱田神宮の資料によると、 ・神社へ何かを奉納する時は、御師(参拝客の案内や世話をする役職)などを介して行うのが一般的である ・(刀剣?を)納めるに当たり、最も礼を尽くしたやり方は、拵えや専用の箱を用意し、願い事をしたためた文書などを添えることであったという

2015-04-20 21:40:49
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

・熱田にはその(拵え・願文・箱などの事だろうか)一部しか残っていないけど、それでも刀身に奉納銘を直節切り付けた物が沢山残っている とあるので、太郎太刀が奉納にあたって拵えを新調したのが事実であれば、山田さんは、ちゃんと正式の手順を踏んで太郎太刀を準備して熱田に奉納した事が分かる。

2015-04-20 21:46:17
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

逆に、姉川の戦いからすぐに奉納された次郎太刀は、拵えや箱を新調する暇もなく、資金的にも刀身に奉納銘を切りつけたり、目貫を変えるのが精一杯の、簡略化された奉納故に記録に残っていないと思われる。これは切付銘にある、(名字を持たない)信長の奉公人熊若夫妻の立ち位置に符合する

2015-04-20 21:54:47
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

つまり太郎太刀は、山田甚八郎吉久が、良い礼遇で熱田に太郎太刀を奉納したため、熱田の文書で名が残った。実際に真柄直隆の太刀かは別として、山田さんがこの刀を奉納したことに異議を挟む人はいない。 また、これだけ礼を尽くしたやり方が出来るのであるから、ひとかどの武士であると考えられる

2015-04-20 22:01:23
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

次郎太刀は、太郎と逆に、切付銘しか奉納者を特定出来る要素がない、すなわち、相当な略式での奉納のために、信頼性の高い文書などで裏付けが取れず、また名字の無い(それなりの職人商人は屋号などを入れているがこれにはない)人物がどう次郎を入手したかを考えると疑問が挟まれるのだろうと思われる

2015-04-20 22:10:25

真柄直隆を討取ったのは誰か・複数文献について

フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

さて、太郎太刀の主、真柄直隆を討取ったのは誰か、という点で文書は混迷を極める。 信長公記(太田牛一・江戸初期)では青木一重、信長記(小瀬甫庵・江戸初期)では匂坂式部、当代記(作者不詳・寛永年間)は匂坂式部、寛政重修諸家譜(幕府編纂・寛政年間)では青木一重。非常にややこしい

2015-04-18 01:06:52
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

信長公記は信長の一代記であり、著者の太田は信長の祐筆(筆記係)を務めていた。 信長記は、上記信長公記を下敷きにしつつも、小瀬甫庵の独自解釈を大幅に盛り込んでいる。蜻蛉切と太郎太刀の一騎打ち、真柄直隆討死の場面は、此奴が追加した物で、信長公記では、青木が討取りましたの1行である。

2015-04-18 01:13:01
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

信長記については、著者小瀬甫庵の別の著作『太閤記』などと合わせ、戯作や創作の趣が強いとされ、すでに当時からその指摘はあった。有名な長篠の鉄砲三段撃ちも彼の創作と言われている。また、信長公記について事実を羅列しただけで面白くないという事も述べている。

2015-04-18 01:20:06
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

ただ、小瀬甫庵の創作を多大に含んだ著作は確かに読み物としては面白く、広く一般に親しまれた事で、後世の人々の歴史観に与えた影響は非常に大きい。 なお、現在では文学作品として評価されているが、歴史資料としては評価されていない。 端的に言うと、江戸時代の司馬遼太郎である。

2015-04-18 01:26:36
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