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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
昨夜のETV特集は、安齋郁郎氏のやり方を、ほぼ手放しで賞賛するものだった。 放射性物質で汚染された食物を食べることを住民が望むなら、(少量ならば)食べることを勧めた。汚染された環境での計測も作業も被曝防護なしで実施した。東電や政府に要求をしても通らなければ住民に自ら対応させた。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
手放しで賞賛する一方、安齋郁郎氏らが国や東京電力に(少なくとも一部は)要求や交渉を行っていることを、ほぼ全ての項目で取り上げた。同時に、国も東京電力も、安齋氏たちの要求に応じないことも報道した。それに対して安齋氏たちが住民と共に自主的に改善に取り組む姿も伝えた。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
この一連のツイートを、私は迷い、苦しみながら、続けている。 私もまた、文系の人間としてではあるが、それなりに論理的、科学的であろうと考えてきた。そのために、可能な範囲ではあるけれど、過剰な感傷的な言葉や情緒的な反応を避けようとしてきた。 しかし「非論理的な合理性」は承諾できない。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
例えば、営利企業が赤字を出したときの対応策を、 日本では「合理化」と呼ぶ。 具体的には、事業所の一部の閉鎖とか、従業員の一部を退職させるとか、従業員の賃金をカットするとか、非正規雇用を切り捨てること、などだ。 要するに、「企業の支出を減らすこと」を「合理化」と呼ぶのだ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
この「合理化」は、 企業が経営再建を果たし、再び業績を黒字にするためには、「合理的」な方法の一つだということは、私も否定しない。 では、賃金をカットされたり解雇されたりする従業員にとっても「合理的」と言えるだろうか?他に選択肢がないほどの優先性を与えられる程の優れた選択だろうか?
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
例えば、役員の報酬や賞与が、「合理化」の際に優先的にカットされるわけではない。バブル崩壊後ともなると、株主配当を何とか残そうとする傾向も強まっていると聞く。 何より、金融機関が必要と認める範囲内の交際費や広告費も残すだろう。 誰にとっての「合理化」なのか? それが問題だ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
日本の営利企業の「合理化」は 経営陣、出資者、金融機関が「合理的」と認める内容のものだ。 働くものや、一般国民が「合理的」と認めるものである必要はない。 では「ALARAの原則」 As Low As Reasonably Achievable の Reasonably とは何か?
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
As Low As Reasonably Achievable は、農林水産省の用語解説では、 maff.go.jp/j/syouan/seisa… 食品の毒性に関して、「無理なく到達可能な範囲でできるだけ低くすべき」と翻訳されている。 「無理なく」というのは、誰が判断するのだろう。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
As Low As Reasonably Achievableは、旧原子力安全委員会の資料に nsr.go.jp/archive/nsc/ha… ICRP(国債放射線防護委員会)の考え方の用語で 「経済的および社会的な要因を考慮にいれながら,合理的に達成できる限り低く」と表現されている
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
「 Reasonably」には「合理的に」という意味はあるが、 そこに「経済的および社会的な要因を考慮に入れながら」という意味を追加したのはICRPであり、 それを日本の核関係の規制の一部に取り入れたのは、原子力安全委員会だ。 これは「原子力ムラ」にとって「合理的」ということだ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
核関係者にとっての「ALARAの原則」とは、 「核関係者が認める範囲で『経済的および社会的に合理的な』」という意味であり、 「一般国民にとって『合理的な』」という意味ではない。 すべての人の利害関係が一致するような状況や、 一般国民に影響が及ばない状況では、違いは問題にならないが
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
東京電力原発事故発生後、状況は変わった。 一般公衆の追加被曝線量を年1mSvに保つことは、 著しく困難になった。 特に、日本政府と福島県、自治体でさえ避難指定を拒絶できなかった地域では、 避難の前後で1mSvを超える被曝をした人がいるのは、隠しようがない事実だ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
一般の住民にとっては、「合理的」でない被曝を強要された、という厳然たる事実がある。 しかし、それを「合理的ではなかった」と認めれば、誰かが責任を問われることになる。 したがって「原子力緊急事態」が発令されている最中は、被曝させる側にとって「合理的な」基準に変える必要がある。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
「被曝させる側」にとって「合理的な」基準が、 「緊急時の20~100mSv」であり、「現存被曝状況」の「年1~20mSv」である。 それは、「被曝させられる側」にとって「合理的な」基準ではない。 だからICRPも建前上は「被曝させる側と被曝させられる側が相談しろ」と言っている。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
原発事故が継続中の日本では、 「被曝させる側」も「被曝させられる側」も、 実はそれぞれ一枚岩ではない。 それぞれの利害が一致しないから、なのだが。 一致しない利害を調整する段取りについて、 日本社会は順当な方法を持ち合わせていない。 単純に権力や金銭面の強者が弱者を従わせるだけだ
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
せめて「被曝させる側」か「被曝させられる側」かのどちらかが一枚岩であれば、 もう少し分かりやすい状況が作れたのかも知れないが、 何より、「被曝させられる側」に回ってもおかしくないはずの 福島県庁、自治体役場、地元著名人の多くが「被曝させる側」に加担しているので、 話が複雑になる。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
例えば、 福島県在住の文化人でもある仏教寺の住職が「ALARAの原則」を事故発生後の福島県に適用することそのものに異議を唱えているほどである。 genyusokyu.com/essay11/shinch… 福島県に「何度も来た」「放射線防護学の専門家」が住民の被曝防護を放棄させるなど当然だろう。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
被曝防護に関する基準と、その根拠になる利害関係は、広く深く、複雑に入り組んでいる。まずは、その入り組んだ利害関係を整理したうえで、誰がどの利害の代表者として語っているのかを整理するところから始めないと、話し合いの入り口にさえ到達できないだろう。まだ、その入り口の手前の段階なのだ。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
東京電力原発事故によって「被曝させる側」の利害が一枚岩でなく、 そのために「被曝させる側」の基準も一枚岩にはならない。 それを踏まえて、「被曝させる側」が統一基準を出すまで待つわけにはいかないので。 「被曝させられる側」も単一の基準ではなく、各自の基準で防護させてほしい。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
事故発生後4年以上で、今も放射性物質の放出を止める目処が付かない東電原発事故で、 事故による追加被曝はゼロでした、という人は、ほぼいないと思われるので。 せめて、これからの被曝をどれだけ許容するかは、被害者側の各自で決められるようにしてほしい。まず、それだけは認めてほしい。

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