「どちらが悪かったのか」がはっきりしたところで「目の前で起きている問題が解決する訳ではない」という状況はわりと頻繁にあって、むしろ善悪を決めるよりも先に、状況の改善策を打つことや、再発を防止することが大事だと思うんだけど
「y=x+1」を満たす(x,y)の組み合わせは無限にあるんだけど、自分が(x,y)=(1,2)という組み合わせを見つけたら、それしか正解がないと思い込んだり、その組み合わせが正解だと教えられたら、それ以外の組み合わせを認めないような人って、それこそ腐るほどいるよね。
2015-04-15 18:13:54最近、ご縁があって週に一回、小学生の学童のお手伝いをやっているんだけど、ひと月ほどやってみて気になることがある。それは「揉め事が起こると『相手がいかに悪かったか』を伝えようとする子供」の多さです。何があったのか、どういう状況なのかを聞こうとしても、なかなかそういう話ができない。
2015-04-20 11:45:56何というか、ある対立があったときに「どちらか一方が正しくて、もう一方が間違っている」ということは実際にはそれほど多くなくて「どちらにもそれなりの理由があるが相容れない」だけだと思うんだけど、それを「善悪を付ける」ことで解決しようとするのは、すでに小学生から始まってるんだなと。
2015-04-20 11:50:23「どちらが悪かったのか」がはっきりしたところで「目の前で起きている問題が解決する訳ではない」という状況はわりと頻繁にあって、むしろ善悪を決めるよりも先に、状況の改善策を打つことや、再発を防止することが大事だと思うんだけど「自分は悪くない」にこだわる人って実際には結構いるんだよな。
2015-04-20 12:17:25例えば「海のど真ん中で誰かが船の底に穴を開けて沈みかけている」ときに、誰が穴を開けたのかと犯人探しをしていたら、誰一人助からないですよね、みたいなこと。誰が穴を開けたとしても、その責任の追及は危機的状況を抜け出してからでも遅くはないし、実はネズミだったってこともあったりする訳で。
2015-04-20 12:22:03もちろん、状況次第でまず善悪をはっきりさせる必要があるときもあります。僕が言いたいのは「善悪をはっきりさせることが何よりも優先されるべき唯一の事項ではない」ですよねってこと。
2015-04-20 12:24:04いまのRT3つは、親や教師が何か起こるたびに「誰が悪いの!」「何を(悪いことを)したの!」と叱ることが原因の一つのような気がするんだよな。問題の解決を、「悪い人(こと)をあぶり出す→謝罪させる」というプロセスでしか教えていないんだもの。
2015-04-20 17:57:28僕も明らかに大きな一因はこのツイートが指摘する点にあると思っています。ただ、一連の流れの中では、あえて触れませんでした。これはこれでまた、教育における大きな課題点だと思っているので、少し分けて考えたいという個人的な理由なんですけども。twitter.com/ayammin/status…
2015-04-20 22:17:55「価値観の多様化」を認めるということは、裏を返せば、例えば「善悪」という「単一の価値観での判断の終焉」を意味しているんだと思うんです。これから先にあるのは「0か100か」という世界ではなく、ある種「妥協による共生」の世界なんだと思うんです。
2015-04-20 22:40:18@isa_kent 子供に社会ルールを教える上で「善か悪か」という分かりやすさはある意味必要なのかなと思いますが、大人になっても「善か悪か」という一か百かの考え方から脱却できないでいると、人を「敵か、味方か」でしか考えられないような極端さにつながるのかなあと思っています。
2015-04-20 23:45:42@ayammin そうですね、基本的におっしゃる通りだと思います。細々とでも子供の教育に関わり続ける中で、当時の自分を振り返ったりすると思うところもあり、善悪の概念の必要性と意味、そのから考え方がどのように広がっていったのかなど、未だに考え続けている感じです。
2015-04-21 00:00:06うちの娘と息子も「悪いこと」をしたとき、まず「自分は悪くない」ということをまくしたてるよ。 そこは諭すように叱るけど、人ってそういうもんじゃんねとも思うし。
2015-04-21 23:06:47