ナチスドイツの海軍の軍艦にはワイマール時代に予算承認・起工されたものが多く含まれています。

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こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

Panzerschiffつまりポケット戦艦が艦これに実装されるときは、種別は戦艦になるの? 高速戦艦になるの? 重巡洋艦になるの?

2015-04-26 18:06:50
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

ポケット戦艦、好きなんだよね。建造が決定された時のワイマール共和国でのすったもんだのゴタゴタが

2015-04-26 18:07:43
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

装甲艦「ドイッチュラント」いわゆるポケット戦艦は、設計から建造決定まですべてにわたってヴェルサイユ条約や当時の大連立政権での利害調整など政治の事情が絡んでいて、作る方は「こんなもん良いモノのはずがない」って思ってたんだが

2015-04-26 18:13:41
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

「あーもんこんなのクズだよクズ」って作ってみたら諸外国からは「……長大な航続距離に戦艦並みの砲力、ヴェルサイユ条約にも抵触してないだと……こいつ、通商破壊に特化した艦を出してきやがった……!?」と大騒ぎになり、競って同種の艦が作られるようになった。これにはドイツも苦笑い

2015-04-26 18:15:41
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

うっかり忘れてしまいそうになりますが、ナチスドイツの海軍の軍艦にはワイマール時代に予算承認・起工されたものが多く含まれています。

2015-04-26 18:23:14
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

装甲艦「ドイッチュラント」の性能的なアレコレについては諸兄に譲る

2015-04-26 18:45:07
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

1928年2月に中央党・国家人民党・ドイツ人民党・バイエルン人民党の保守連立政権が宗教問題で連立を解消し、国会を解散。1928年5月、選挙でドイツ社会民主党が比較多数を獲得し、6月に中央党・ドイツ人民党・国家人民党・ドイツ民主党と大連立を組んでミュラー内閣が発足。

2015-04-26 19:14:17
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

この時の連立の顔ぶれは ドイツ社会民主党=左翼 国家人民党=バリ右翼で帝政万歳 ドイツ人民党=カトリック政党、中道右派 バイエルン人民党=中央党のバイエルン版 ドイツ民主党=リベラル左派 と、政治信条も宗教も地域もバラバラという本当に「大連立」

2015-04-26 19:19:04
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

そしてドイツ社会民主党はこの選挙で福祉の充実を訴え、海軍が計画していた「装甲艦」の建造に反対していた。で、第一党になった

2015-04-26 19:20:27
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

ちなみにこのときの国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)つまりナチスは491議席に対して12議席という、へっぽこぷーでおじゃ。しかも2議席減らしている

2015-04-26 19:21:43
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

が、「装甲艦」の建造中止をマニフェストにしていたにも関わらず、見てのとおり右派を含んだ大連立政権でははいそうですかと建造中止にできるはずがなく。1928年8月に「装甲艦」の建造が決定。ドイツ社会民主党の議員団は抵抗して国会に建造中止を動議するもざっくり反対にあって建造決定

2015-04-26 19:24:43
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

なおこの時の選挙では、選挙民は右翼だの左翼だのでてんでまとまりを見せず右往左往する議会政治にウンザリしはじめ、「農民党」「経済党」などの利益団体の代表政党が躍進した。これらの新興の小政党と、選挙の回を重ねるごとに議席を増やしていたドイツ共産党(KPD)に対抗するための大連立だった

2015-04-26 19:30:57
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

で、ドイツ社会民主党が(選挙民の側から見ると)「装甲艦を建造中止すると言ったな。あれは嘘だ」をやらかした直後の1928年11月、戦間期ドイツにおける最大の労働争議「ルール鉄鋼闘争」が勃発。

2015-04-26 19:34:36
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

1929年4月~5月、ヴェルサイユ条約の天文学的な賠償金の軽減とライン地方からの連合軍の撤退を盛り込んだ「ヤング案」が提案・承認。ところが右翼(国家人民党・鉄兜団・NSDAP)が「売国奴の計画である」と猛反発し、全国で反対のキャンペーンを展開し、政府を中傷・攻撃した

2015-04-26 19:38:30
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

こうしてドイツ人たちが「議会政治」というものに対する極度の不信に陥り始めた頃、1929年10月24日、ウォール街でアレが起こってしまう。

2015-04-26 19:40:36
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

1929年10月24日、大恐慌が発生。当時のドイツ経済は、アメリカ資本を中心とした海外からの投資で経済を回している状態だったので、その余波をアメリカ本国に次いでモロに受けた。12月にはドイツ国内の失業者数が300万人近くにまで増大。

2015-04-26 19:47:48
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

1929年12月9日、ドイツ社会民主党出身の経財相から急速に悪化した財政を再建するための改革案「ヒルファーディング案」が発表。その内容は、所得税や不動産税その他の減税という企業優遇措置に加え、所得税の免税点の引き上げやタバコ税・ビール税の引き上げ等、庶民に厳しいものであった

2015-04-26 19:51:06
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

このドイツ社会民主党出身の経財相と首相が発表した「改革案」に、ドイツ社会民主党の議員団が反発。当たり前だ。そして大連立を組んでいるブルジョワのドイツ人民党は政府側に立ち、もう連立なんだか連立じゃないんだかよくわからん状態へ突入していく

2015-04-26 19:53:20
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

こうして混迷を極めていくドイツの議会政治にうんざりしていたのは選挙民だけでなく、ヒンデンブルク大統領を中心としたアッパークラスの人々もであった。ヒンデンブルクは、議会政治に見切りをつけ始め、国会議席数に関係なく意中の人物を首相に任命する「大統領内閣」という半独裁性を志向し始める

2015-04-26 19:55:44
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

さらには1929年暮れから1930年初頭にかけてのドイツ各地の地方選挙において、NSDAPすなわちナチスが上昇傾向を見せる。破局への足音が聞こえてきた

2015-04-26 19:57:57
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

1930年3月、ヒンデンブルク大統領は中央党のブリューニングを首相に指名。この時点で本質的にはドイツから議会民主主義が消えた。ヒンデンブルクはブリューニングにドイツ社会民主党、共産党つまりヒンデンブルクから見て「サヨク」な連中の排除と、帝国の復活に向けた右傾化を指示。

2015-04-26 20:00:36
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

1930年7月には、ヒンデンブルク大統領とブリューニング首相による「大統領内閣」の実態が明らかになった。ブリューニングは財政再建のための「救援法」をドイツ国会に提出。が、どの政党とも利害関係の調整や根回しをしていない法案だったため、あっさり否決

2015-04-26 20:05:01
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

これに対し、ヒンデンブルクとブリューニングは歴史上悪名高い手段をとる。とってしまう。憲法第48条2項において定められた「大統領緊急令」で、国会で否決された法案を公布してしまうのだった。大統領緊急令は治安維持を目的とした緊急時の立法手段で、こういう時に使わないのがお約束のはずだった

2015-04-26 20:07:20
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

当然のように国会は猛反発。大統領緊急令で施行された救援法の撤廃が国会で動議され、賛成多数で可決。それに対しヒンデンブルクとブリューニングは国会を解散し、その隙に改めて大統領緊急令で救援法を成立させるというムチャクチャなことをやる

2015-04-26 20:09:56
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

この「解散」がドイツの運命を決めた……

2015-04-26 20:10:36