【間違ってるのは俺じゃない】叛逆の直冬【親父の方だ!】
だいたい私、戦前だったらかなりの確実で思想犯として逮捕されてると思いますけどね。何しろ、後醍醐天皇と足利尊氏の政治が本質的に同じだと主張しているんですからねえ…。偉大な天皇と大逆賊を同列に並べるとは何事かと…ww
2015-04-26 14:33:32@fool_0 尊氏を評価しただけで大臣を辞めさせられた時代ですからね。まして、政権の本質が同じという主張はさらに過激ですw
2015-04-26 18:18:17@kamedatoshitaka しかし後醍醐天皇もそうですが尊氏という人物も正直よく分からない人物で、後醍醐天皇を尊敬していただけならまだしも(この辺の事情は亀田さんの著書を読んで理解できましたが)、庶子・直冬に異常なまでの憎悪を抱いていたのは理解に苦しみます
2015-04-26 18:22:03足利直冬とはこんな人物↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/足利直冬
ツィートで触れた亀田さんの著書はこちら↓
『南朝の真実』
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b176614.html
@fool_0 その点は私もよくわかりません。最初から喧嘩腰ですからねえ…。ちなみに新田義貞も子義興を嫌っていたらしいですが、不和が顕在化する前に敗死します。
2015-04-26 18:25:22@kamedatoshitaka それは初耳ですね。いずれにしても今の価値観では推し量れない事情があったのかもしれませんが、正直何もそこまでという思いが無くはありません。
2015-04-26 18:30:43@fool_0 当時の価値観でもちょっとめずらしい極例だと思いますよ。庶子でも優遇されてる例はたくさんありますから。北条時宗が庶兄時輔を殺害した例とかはありますが、一応六波羅探題まで昇進してますしね。まして親子であそこまで…。
2015-04-26 18:35:06@kamedatoshitaka 実際尊氏の弟である直義が直冬を引き取ったのも、打算があるにせよ憐れみも多分にあったんだろうなあと。直冬も直冬で名前すら付けてくれなかった父に代わり自分の一字を与えてくれるほど厚遇、というより育ててくれた叔父を慕うのは当然の帰結かと。
2015-04-26 18:43:27@fool_0 従兄弟や甥や又甥などを養子として引き取るのは、当時の武家ではよくあったことみたいですね。直義は尊氏の子基氏も養子としていますし、高師直も師冬や師兼を猶子(養子)にしています。ただ、直冬の場合は、おっしゃるとおりの事情があったのは確かです。
2015-04-26 18:47:38@fool_0 それと、尊氏自身も実は庶子で父貞氏にあまり愛されず、なかなか足利宗家を継承できなかったことが最近の研究であきらかにされているのですが、だったらなおさら直冬へのあの仕打ちは理解しがたいところです。
2015-04-26 18:55:33@kamedatoshitaka そもそも直冬以外の兄弟(妾腹含めて)は溺愛と言っていいほど可愛がっていた訳で、それが直冬になると途端に冷たくなる、というより憎悪を抱くようになっていたのはやはり異常です。直冬が叛旗を翻したのも納得できます。
2015-04-26 19:31:20@fool_0 ただまあ、他の庶流の子はみな出家し、政界に残ったのは嫡流の義詮と基氏だけですからね。そういう意味では首尾一貫はしていますが…。
2015-04-26 19:56:29@kamedatoshitaka 見込みが無い、或いは後を継がせる気が無いと割り切っていたのなら他の庶子を可愛がっていたのも理解できるのですが、それなら尚の事直冬を憎悪していた理由が分かりませんよねえ……
2015-04-26 20:15:43@fool_0 もちろん直冬も僧侶にする予定だったのですが、直義が養子にして政界に引き入れたんで話がややこしくなったんですよ。
2015-04-26 20:18:38@kamedatoshitaka 戦歴を見る限り直冬は無能という訳でも無かった(むしろ尊氏の子というアドバンテージがあったとはいえ、曲がりなりにも九州で独自勢力を築き上げているからかなり有能)ですから、その辺りを見込んで直義は引き入れたのかなあと。
2015-04-26 20:23:53@fool_0 尊氏にしてみたら、直義め、ほんと余計なことしやがってって感じだったでしょうね。徳川将軍家もそうですが、有能な身内は外様より脅威だったりしますし…。
2015-04-26 20:26:44@kamedatoshitaka 徳川家康も家康で妾腹どころか嫡男・信康との不仲説まであるくらいですし、源頼朝は言うに及ばずですから、天下人というのはどうも身内の扱いを誤る傾向があるらしいですね。もっとも天下人だからこそという解釈もできるのですが。
2015-04-26 20:30:03@fool_0 皇室でも後醍醐天皇と護良親王の関係も似たものがあるでしょうし、平安初期まではほとんど殺し合ってますからね。本人にその気がなくとも担ぎ上げる奴も出てくる可能性ありますし、まあ難しい問題だったんでしょうね。
2015-04-26 20:34:06足利直冬もきっと潜在的な人気があるでしょうね。ただ、直冬については瀬野精一郎氏の業績がありますし、あれを超えるのはなかなか至難の業だろうなあと…。まあ、瀬野氏の直冬評はちょっと低すぎる気もしますが…。
2015-04-26 20:42:49