陸前高田災害FMの記録

(阿部裕美さんの記録~)twitter上で収集出来る限りの軌跡を集めました。 5/1で更新を終了→放送の断片をたまに更新しています
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陸前高田災害FM @RikuzentakataFM

15日から切り替った盛土の上の大町線。輝いてます!ここから新しい町が始まります。圧と権に屈した7日間。もう負けずに前へ踏み出します。支えてくれたのは陸前高田市の皆さん、そしてリスナーさんでした。出来る事から1つ1つ明日朝から始動です pic.twitter.com/AJayA2BbLJ

2015-12-16 16:14:53
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2015年12月10日 陸前高田災害FM開局4周年 記念生放送

おおつちさいがいFMさんからのメッセージ

陸前高田災害FMをお聞きの皆様、こんにちは。おおつちさいがいエフエムの金崎です。
地域に密着した情報を届けようと頑張って、もう四年になるんですね。
お互いに当初は時間に追われ、一日があっという間に過ぎ去ったことを思い出します。
私達も、日々微力ながらも頑張っていますが、大槌町は、復興計画の見直しの一つとしておおつちさいがいFMの廃止を町議会に提案しています。
役場では、防災行政無線個別受信機の配布などにより、FMの役割は終えたと考えたからです。続けるかどうかは全て町の判断です。
このような状況の中で、町民の皆様から沢山のお電話をいただいています。
『どうしてやめるの?』『目が不自由でラジオだけが頼りです』と、本当に困って電話を下さいました。
大槌町では仮設から災害公営住宅、また再建した人などで、今現在コミュニティが大事なことは分かっていると思います。今後は仮設の集約化も始まります。これからがFMを必要としている時期です。
今後も陸前高田の皆さんと共に頑張っていきましょう。

2015年9月8日 9:00生放送
「情報エヴリィ陸前高田」
パーソナリティ 大久保暢子さん

昨日の夜に、たまには夜9時過ぎか10時過ぎか、たまには災害FMを聴きながら眠ろうかと災害FMを自分でかけてみました。そのときにたまたたま気仙の風景をしていまして、しみじみと自分の過去の番組を聴いたんですが、そのときに再放送を夜聞かれている方から偶然にも嬉しいメッセージをいただきまして、ちょっと夜感激してそこから眠れなかったという、そういうことがあったのですが、そのメッセージを、ダイレクトに入ってきたメッセージを、ご紹介したいと思います。

初めまして
ここ数か月ラジオ自体聴けなくて、久々に地元のfmを聴き、
竹駒小学校の校歌の歌詞に泣きそうになり、
また、釜石の歴史について詳しく深い部分まで話されていて、
釜石の友人を思い出したり、家族で釜石の観音様へ何度も行った記憶などがよみがえってきました。
当時の流行歌も間に加わり、引き込まれてしまいました。
大げさかもしれませんが、遠くにいる私にとって、陸前高田災害FMって、とても大切な存在です。
これからもお身体を大切に、無理をせずに頑張ってください。
いつも応援しています。

というメッセージが、まさに、その夜の再放送プログラムの気仙の風景の間、自分が聴き入っている時に、聴き入っているというのも自分の番組に可笑しいのですが、聴いている時に入ってきたこの直のメッセージ、興奮もそうなんですが、何気にこう葛藤と色々な感情で打ち砕かれそうになりながらも、ガキッと起き上がって頑張ろうとしている私に更に糧になるようなメッセージをいただきまして、昨日は結構眠れなくて起きてましたね…。雨と共に…。
雨音を聴いたら眠れるという方もいらっしゃるのですが、昨日は余計に興奮材料になって、更にこの嬉しいメッセージと共に、更に更に良い気仙の風景にして、より良いお話を詰め込んで頑張って行きたいと思います。中々、今の現状だと、途中まで仕上がっていて後の部分が…というものもあったりするのですが、少しずつ少しずつでも、気仙の風景を出していきたいなと思います。

ちなみに今現在、宮沢賢治を特集していまして…、秋も深まって読書の秋でもあります。本を中々読む機会がないという方にも岩手県の郷土の詩人でもあります、雨ニモマケズ風ニモマケズ…端折って、そういう人に私はなりたいという、宮沢賢治のその人となり、これをお伝えしたいなと思います。
すごく、距離を短くして、陸前高田から花巻の方へ向かいまして、花巻の旧道、今は縦貫道が通って一気に進んでしまうんですが、敢えて縦貫道を通らずに、本当に昔通った道を通りながら、宮沢賢治記念館、新渡戸稲造記念館、童話村、そのあたりをすごく詳しく話してみたいなあと思っています。一度、宮沢賢治を小学校の時の気分になって聴いてみるのもいいかなと思ったりして、現在、陸前高田から花巻に向かって頑張っています。


2015年3月11日 15:15生放送
「気仙の風景~いっぷくどうぞ~第5回」
「平成23年3月11日~東日本大震災その1日から~」
パーソナリティ 大久保暢子さん

駄菓子屋の曲がり角
朝市の匂い
人のざわめきも 
まだ 
心の中に生きている

変わらない風景
空青く 果てしなく
山の青 海の青
心の中にある景色は変わらないのに
一変してしまった街

混乱と混乱と混乱
そして
悲しみと悲しみと現実

なのに
空は青く 果てしなく
山の青 海の青だけは
変わらない

手を繋いで歩いた
お寺の脇の細道
一本松はきっと、何も忘れないから


気仙の風景いっぷくどうぞ 第5回は
平成23年3月11日 あの日からと題して、
東日本大震災が発災した風景をお送りいたしました。
この東日本大震災というテーマはとても大きくて、とても1時間ではおさめきれませんでした。
そして四年経ってもなお、被災地の人々の心の中には、いまだ大きく影を落としているのも事実です。
日を追うごとに復興は進み、目に見えて前へ進んでいるようにも見えますが、
新たな問題も、また、生じて来ています。
それでも私たちは、生きて、生きて、後世へ繋いでいくことが
今生かされている私たちが、すべきことではないかと思うのです。

この時間は大久保暢子がお送りしました。
途中、お聴き苦しいところがありましたが、ご容赦ください。
本日は、議会中継のため、黙とう番組はありませんでしたが、
この気仙の風景の中で、当時の陸前高田市を哀悼し、これからの陸前高田市を思いをめぐらしてきました。


【2015年5月1日 陸前高田災害FM 情報every 朝の生放送 大久保暢子さん】

今日から5月1日、さつき、とも言います。
現在では、五月の別名としてもこのさつきが言われますけども、本来このさつき、というのは、さなえつき、と言われていたそうです。
田植えをする月であることから、さなえつき、と言われていたのが短くなって、さつき、と言われたんだそうです。
5月1日、さつきの月が始まりました。

この5月1日から、今日より朝の情報everyは、今までの1時間から30分となって始まります。
一部の番組の予定時間が若干変更になって進んでまいります。

私事ではありますが、このさつきの月、田植えの時期もそうなんでけれども、昨日まではまるで暖かい温室の中にいたような気がします。
今日からはこの田植えになぞらえまして、田に植えられた苗一本そのものとなった気分で、今日は気をひきしめて、5月1日始めて行こうと思います。
今までの温室から、田に植えられた一本の苗となりましたので、雨風にさらされながらも、何とか私なりに出来ることを一生懸命頑張って伝えられる事を精一杯やって行きたいと思っています。
ここに、災害FMに来まして今月で11ヶ月目になります。
まだ1年に満たない未熟者ではあるんですけれども、皆さんの一番近くにある声になって行きたいと思っています。
色々な事が今後あるかもしれませんが、不慣れではありますが、どうぞ5月1日、今日からまた陸前高田災害FMをどうぞよろしくお願いいたします。

今日5月から始まりました、30分バージョンの情報everyですが、今後とも災害FMをどうぞよろしくお願いいたします。
私をはじめ、今日から出来ることを一つ一つ精一杯頑張って陸前高田の事を、色んな事を伝えられる様に頑張って行きたいと思っています。
ですから、「今日も出来る事から一つ一つ」頑張って行きましょう。


椿五〇郎 通信者 @onkloma

新体制の陸前高田災害FMを聞いている。 rikuzentakata-fm.blogspot.jp/2015/05/51.html 全国のみなさん、聞いて応援しよう。

2015-05-01 09:08:46
翼をひろげた跳ね馬 @haneuma1964

@RikuzentakataFM の新体制、メインパーソナリティー阿部さんの退職。それがなんで今なのか。当方が知る由も無いがそれが現地の【その時】に向けての新しい歩みでありますように。2014-09-27 陸前高田市気仙町 姉歯橋近辺 youtu.be/GMqPscJtV-0

2015-04-30 22:40:10
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Keiko Onoda @mad_bambi

のぼのさん、まとめをありがとうございます。陸前高田災害FMの阿部さん、陸前高田に、また会いに行きます。 RT @nobono_cyst @msfm795 ツイートを使わせていただきました。問題ありましたら対応しますのでご連絡ください。 togetter.com/li/813613

2015-05-01 01:36:50
榎 ありさ @arisa_kirari

陸前高田災害FMはまだまだ高田に必要とされています。 5月から番組編成はかなり変わるとのことですが、ひろりん 阿部裕美さんが作ってくれた縁を土台にして、ますます広がればいいなぁ。 番組終わっても、会いにいっちゃうからね♩淋しくない! pic.twitter.com/H3rNJXkltS

2015-05-01 00:32:50
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榎 ありさ @arisa_kirari

改めてブログで書こうと思っていますが…陸前高田災害FMのひろりんこと阿部裕美さんが、30日で退職されました。 ひろりんがいなかったら繋がらなかった縁がたくさんです。 ひろりんがいなかったら、存在しなかった番組がたくさんあります。 pic.twitter.com/PoekX8TyQU

2015-05-01 00:29:28
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南相馬ひばりFM @msfm795

RT @msfm795 陸前高田阿部さん「あの日、たった5分足らずで1700名を超える市民の命を奪われた、朝一緒にご飯を食べた家族や職場の人…。 もし時間があれば、生の声をインターネットで聴いてもらえたらありがたい。」

2015-04-30 22:57:29
南相馬ひばりFM @msfm795

今日で退職された私たちの同志、陸前高田災害FM阿部裕美さんも出席された2013年10月のフォーラムの映像です。 1:27:45ごろからのコメント、観てくださいね。 youtube.com/watch?v=mV_MeM… 復興ハングアウト -コミュニティの再生とラジオの役割 第二部-

2015-04-30 22:36:52
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南相馬ひばりFM @msfm795

今日で退職された陸前高田災害FM阿部裕美さんが立案&ディレクター、陸高の町の70歳以上の方?に思い出話、昔話を聴いてアーカイブするという番組も、素晴らしいアイディアでしたね RT @msfm795

2015-04-30 22:30:16
南相馬ひばりFM @msfm795

陸前高田災害FM阿部裕美さんがディレクターを務めた番組でしょうか?見習いたいアイディアでした→ ハートネットTV:シリーズ 被災地の福祉はいま 第2回 ラジオで“壁”をぶっこわせ ―障害者たちの挑戦 岩手県陸前高田― nhk.or.jp/heart-net/tv/c…

2015-04-30 22:27:59
南相馬ひばりFM @msfm795

RT @nobono_cyst 全く問題ありません。そして、こちらはまだ放送してませんので5~6月ぐらいにかけて、阿部さんの声をあらためて届ける予定です ↓ 昨日の陸前高田 阿部さんにも「ふたりとひとり」にご出演いただきました。blog.goo.ne.jp/yu_miri/e/80ea…

2015-04-30 22:25:47
椿五〇郎 通信者 @onkloma

陸前高田災害FMリスナーのみなさま、本日で阿部さんは退職なさるとのこと。阿部さんの豊かな企画力に頭が下がります。RT 陸前高田災害FM 阿部裕美さんの記録 - Togetterまとめ togetter.com/li/813613 @togetter_jpから

2015-04-30 21:14:04

◆↑最終回放送後の皆様↑

--◆4/30夕方最終回の模様
  ①オープニングの離任のご挨拶

【2015年4月30日 陸前高田災害FM 情報every 夕方の生放送 阿部裕美さん】

地区の方々が、ラジオで私が車で、歩いて、どこそこの何とか地区がこんな感じになった、という話を聴くのがいつも楽しみだった、と言って下さってとても嬉しかったです。
他にもそう思って下さる方がいたら本当に嬉しいなあと思います。
朝もご挨拶させていただいたのですが、本日この放送をもって災害FM卒業させていただくことになりました。
2011年12月10日の開局から3年と4ヶ月余りなんですが、本当にお世話になりました。

今日も、行く先々で声を掛けていただいて、お疲れ様の声を沢山いただきました。
本当にありがとうございます。
これまで市内や市外の沢山の方々と出会わせていただきました。
この出会いは私にとって一生の宝物で、とても大切な財産となりました。
本当にありがとうございます。

ラジオで声だけで情報を伝えるのは簡単と思うかもしれませんが、いかにその方の、聴いている方の耳に残るように届けたらいいのかというのは、全然勉強したこともありませんし、アナウンスの学校に通ったこともありませんし、これまで高田の中で地味に生きて来た私だったので、どうやったらいいのかなと毎日が本当に勉強勉強で、そして色々な方とお話したりインタビューさせていただく数を踏む内にちょっとずつちょっとずつ上達したのかな、成長したのかなと思っていますが、全然初期と変わっていないよという方もいるかと思います(笑)
本当にこれまでラジオに耳を傾けて下さってありがとうございました。

色々な所に取材へ行かせていただいたのですが、仮設住宅での生活を私はしておりません。
なので、仮設住宅を訪問して取材をするというそのインタビューは、とても私にとってハードルが高かったです、正直に言いますと、、
だけど、これまで全部はまわり切れなかったのですが、これまで36か所位仮設住宅を訪問させていただきました。
どこへ行っても、皆さん快く暖かく迎え入れて下さって、そして、マイクを向けると色々なお話を聞かせて下さいました。
そのたびに、私は、住民の皆さんから元気と勇気をいただきました。
本当にありがとうございます。

私のへたっぴなインタビューに応えて下さった市民の皆さんや、外から来られたボランティアや支援者の皆さん、そして、色々な番組に収録に「はまって」いただいてご協力をいただいた皆さんに、心から感謝を申し上げさせていただきます。

今日が最後ということで、どんなお話をしようかなとずっと考えてきたのですが、色んなこの3年ちょっとの間に色んな想い出があって、それを一つ一つ語っていたらば何時になるか分からないし、色々考えていたのですが、最後に一つだけ偉そうなことを言わせていただけたらと思うのですが、「元気の達人講座」という番組があったのですが、この番組の中で先生方から伺ったお話で、私がとてもこれって大事だなと思ったことが一つありますので、それをお伝えさせていただきたいと思います。

今丁度震災から4年、復興計画は8年ということで、今、丁度折り返し地点ということになっています。
この復興期、先生方は、市民力がとても重要だということを仰いました。
一人一人が出来る事を出来る範囲で役割を見つけて、そして自分が社会的な支援者になることで、それぞれの心の状態が安定していくということなんですね。
「市民力」、何も立派な役を務めろということではない。
婦人部長をやりなさい、コミュニティの会長をやりなさい、自治会長をやりなさい、そいうことではなくて、自分に出来る範囲の事、例えばゴミステーションの周辺がちょっと汚れているから、じゃあ、ほうきとチリトリを持ってちょっと掃こうかなと、そんな些細な事でも、それを自分の役割として自分の中で決めて何かをするということが、それが自分が社会的に支援者になっているということに繋がって、その心のモチベーションがこれまで大変な思いをしてきたその心を癒してくれる、その心の健康を安定させて行くことなんだよ、一人一人の市民力がこの復興を加速させ、素晴らしい街をつくって行くんだよという、そういうお話をお聴きしました。
番組で勿論聴いたことがあるリスナーの方もいらっしゃるかと思います。
でも、中々日中は聴かないし、夜もを聴かないしという方は知らないままかなあ、と思って、私はこの言葉が大事だなあと、ずっと心の中に残っているので、今日は最後に紹介させていただきました。
ちょっと偉そうでごめんなさい。

今日は私の退職の為に沢山のメール・メッセージ・プレゼントなどいただいております。
本当にありがとうございます。
この後6時まで、どうぞお付き合いください。

--◆ブログに投稿された阿部さんからのご挨拶

~ごあいさつ~
パーソナリティ阿部裕美
投稿者 陸前高田災害FM 時刻: 17:46

http://rikuzentakata-fm.blogspot.jp/2015/04/blog-post_30.html

陸前高田災害FM
岩手県陸前高田市にある「陸前高田災害FM(りくぜんたかたさいがいエフエム=80.5MHz)」の公式ブログ。

--◆4/30夕方最終回の模様
  ②おしまいのご挨拶

【2015年4月30日 陸前高田災害FM 情報every 夕方の生放送 阿部裕美さん】

 
夕方の「情報every・陸前高田」、いかがだったでしょうか。
あっという間に時間が過ぎてしまいました。
番組冒頭でもご挨拶させていただきましたが、本日この時間もって、卒業させていただきます。
沢山のメール・プレゼント、ありがとうございました。

3年ちょっと、開局の時からお伝えさせていただきました。
本当にお世話になりました。
卒業しても陸前高田におります。
その辺をブラブラしておりますので、見かけた時には、どうぞ声を掛けて下さい。よろしくお願いします。

この先のことはまだ決まっていないのですが、まだもう少し何か陸前高田の復興の為にお役に立てる事が、私に出来る事があれば、何かさせていただきたいなという風に考えております。
またどこかで、きっとお会いすることがあると思います。
今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。

沢山リクエストをいただいたので、自分がかけたかった曲をかけられませんでした(笑)
この番組が終わった後、かけさせて下さい。
トワ・エ・モワの『この街で』
最後に聞いて下さい。

それでは、みなさん本当にこれまでありがとうございました。
この後も、陸前高田災害FMの再放送プログラムお楽しみ下さい。
夕方の「情報every・陸前高田」、今日は阿部裕美がお送りしました。
それでは皆さん、さようなら


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