夜鎧明姫『婚騎廃飾』 - 前日譚

夜鎧明姫『婚騎廃飾』 - 灰色と金色。若葉と萌葱。白金と蒼灰。 ——トーナメントに至る以前の、『夜鎧』と『明姫』。
ログ 夜鎧明姫
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アッシュ @ash_nkat
「ドゥオデキムス卿」 男を背後から呼び止める声があった。男は踵を揃えて立ち止まる。荘厳な響きのある呼び名ではあるが、実の所それは『最下位の爵位』を示すものに過ぎない。苗字の無い者に与えられる便宜上の貴族階級だと言ってもいい。 「何か?」 振り返った男は刺すような目付きをしていた。
アッシュ @ash_nkat
「いよいよですな。お嬢様を、頼みましたぞ」 貴族風貌の壮年の男が、振り返ったまだ若い男へと微笑みかける。 若い男は眉間に皺を寄せたまま表情を変えなかった。首の後ろで束ねた灰色の髪は、前髪が束ねきれずにざんばらに散っている。眼鏡越しの刺すような灰色の瞳が、眼前の微笑みを不躾に睨む。
アッシュ @ash_nkat
「……ご心配には及びません」 言葉選びこそ丁寧なものだが、その口調は完全に断定するものだった。相手を威圧するようだとすら言ってもいい。 「お嬢様は、私(わたくし)がお守りします。故、どうか不要な気遣いはなさらぬよう」 微笑みが、苦笑いに変わった。それに一礼をすると、男は踵を返す。
アッシュ @ash_nkat
場内の廊下である。親しげに話し掛けてきた貴族風貌の壮年に愛想を尽かされた男は、歯牙にも掛けぬ様子で歩みを進める。伸ばしていた背筋が、歩数を重ねる毎に曲がっていく。 「お嬢様」 猫背のまま半眼で歩く姿勢は、とても目上の者を探す態度には見えなかった。 「どちらにおいでですか、お嬢様」
シーリカラピス @silicalapis
その頃、男が進む方を横切る廊下を、ふわふわと歩く女がいた。良く言えば羽のような軽やかさだが、その実、地に足がついていないと言って差し支えない歩き方だ。 布を贅沢に重ねたドレスもふわふわ、腰下まで伸びた金色の髪もふわふわ。 「次は、どこに行くのだったかしら」 声もふわふわしていた。
シーリカラピス @silicalapis
ふわふわ、ふわふわ。 「アッシュ、アッシュ、どこに行ってしまったのですか?」 あどけなさを残したその姿は女というよりも少女と言われた方が納得がいくだろう。浮世離れは、すなわち現実みにとぼしいということだ。 瑠璃色の瞳は、しきりに辺りをきょろきょろと見回してばかりで落ち着きがない。
シーリカラピス @silicalapis
胸元に両手を重ねて、ふわふわ。髪に結ばれたリボンも、ふわふわ。重さなどないような動きで、ふわふわ。 彼女の名を、シーリカラピス・フラキシヌス・エクセルシオーレと言った。 「アッシュ、アッシュ、私はここよ」 このたび新たな領主を決める闘技大会を開催するフラキシヌス領城主の娘である。
アッシュ @ash_nkat
男の灰色の瞳が、角を横切る柔らかなドレスの裾を視界の端に見止めた。 男は片手で覆うように眼鏡の位置を直す。一度背筋を伸ばしたその姿勢は、頭を抱えるようでもあった。 「……お嬢様。私(わたくし)はこちらです」 威圧的な声はそのままに、男は多少速足に曲がり角の向こうに消えた姿を追う。
アッシュ @ash_nkat
「お嬢様。そろそろ模擬戦が始まる時間も近付いております。貴族衆への挨拶周りも済んだ事ですし、余り私のお傍から離れられては……お嬢様」 話しながら歩みを進めるも、曲がり角の向こうから聞こえてくるふわふわとした声は止まらない。 「お嬢様。私はこちらに……おいシリィ、俺はこっちだコラ」
アッシュ @ash_nkat
曲がり角に差し掛かり、ふわふわと歩く桃色の後ろ姿を睨み付ける頃には、男の背筋は曲がった形に逆戻りしていた。 「何で目ぇ離したら居なくなってんだよ何で俺が居ねぇって気付いたらその場でじっとしてねぇんだよ何で俺の方が迷子みたいな探し方してんだよなぁシリィおいコラ」 荒い歩調であった。
シーリカラピス @silicalapis
それはふわふわと廊下の交差部分へ現れ、ふわふわと通り抜けた。 「むこうに行くのだったかしら?」 男からの一度目の呼び掛けも交差したが、曲がり角の先にその声は届いていないようだ。 「そうだったかもしれないわ。きっとそうだわ、早くいかないと」 二度目の呼び掛け。やはり反応しなかった。
シーリカラピス @silicalapis
そして響く三度目の呼び掛け。男が角を曲がれば声は、真っ直ぐな通路によく通った。すると灰色が追っていた背中がふわりと振り返り、桃色の裾と長い髪が一拍遅れで静まる。 「アッシュ! そこにいたのね」 不安げに涙を溜めていた瑠璃色の瞳がその男を見つけた途端に、ぱあっと花開くように笑った。
シーリカラピス @silicalapis
早足の猫背姿へと女も小走りに進みだしていた。見る者を突き刺す眼光も聞く者を竦み上がらせるような剣幕も、彼女には何ら効果を示さない。 「まあまあアッシュ、おちついてください。素が出ているわ。それに、背筋も曲がってしまって――きゃっ」 男の目の前で裾を踏んだ。ふわふわの声が途切れた。
アッシュ @ash_nkat
ふわりとドレスの裾と金糸の髪を揺らして、屈託のない笑顔が振り返る。男はそれに仏頂面を向けたまま、づかづかと歩み寄る。 「別にお前しか居ねぇんだからいいんだよ。大体お前、いつもいつも……」 話の途中で、言葉を投げ付けていた相手の足が絡まった。反射的に一歩を踏み出して、両手を広げる。
アッシュ @ash_nkat
ぽふ、と軽い音が男の胸元から。 「……」 男の眉間に寄せた皺は変わらない。片手で少女の背中を抱き留めて、空いた右手で顔を覆うように眼鏡の位置を直す。指の隙間と眼鏡のレンズ越しに、男は廊下の方々をきょろきょろと睨み付けていた。 「……いつもいつも、そそっかしい。俺の傍から離れるな」
シーリカラピス @silicalapis
桃色は柔らかに軽やかに、広げられた腕の中へとおさまった。そうなることがあ当然であるかのように。 不機嫌顔の男と笑顔の女の両方の言葉が一旦途切れ、その距離が零になる。 「心配した? ごめんなさい、アッシュ」 もつれた足は床を踏まず軽さを預けるままだ。
シーリカラピス @silicalapis
白い両腕が、ぎゅっと痩躯の背に回る。 眼鏡の位置を直す指の隙間から、灰色の視界に入る変わりない笑顔。 男の胸にぴったりと薔薇色の頬を寄せる。直接心音を聞こうとするような仕草。 「こうしたら、もう大丈夫?」
アッシュ @ash_nkat
周囲を見回していた男の灰色が、自分を見上げる少女の笑顔に戻って来る。そしてすぐに廊下の向こう側に向いた。 「……そういう事を言ってるんじゃねぇよ」 男の胸元に頬を擦り寄せる少女は御年19歳である。ふわふわの温室育ちな娘は5年前に貧民街で彼を拾ってきて以来、毎日こんな感じであった。
アッシュ @ash_nkat
男は少女を振り払うでもなく、度の入っていない眼鏡に宛てていた手で少女の頭に触れた。向かって右手側の少女の髪には、男の瞳の色と同じ灰色のリボンが結ばれている。 「……行くぞ、シリィ。行って、勝って、俺が城主になる。それでこのクソみてぇな環境からはおさらばだ。お前を、城主にしてやる」
シーリカラピス @silicalapis
「だって、傍から離れるなって言ったから。アッシュ、あったかい」 ふふっと悪戯っぽい声。また男を見上げると、骨ばった指に撫ぜられた髪に心地よさそうにふにゃりと笑う。 ぱっと両手を広げると両足をそろえて立った。 「でも大丈夫よ。貴方はいつだって、私がどこにいても助けに来てくれました」
シーリカラピス @silicalapis
胸元でまた両手を重ねた。大事そうに置いた手は服の上。そのさらに内側には、硝子の南瓜が銀鎖に吊るされている。 「初めて会った日から、アッシュは誰にも負けたことなんてなかったじゃありませんか。だから私は今まで大丈夫だったわ。これからも」 廊下の先をしきりに気にする灰色の瞳を見ていた。
シーリカラピス @silicalapis
胸元においていた手を今度は男の襟元を彩る青色へ伸ばす。桜色の指先で輪を整えられたリボンは、彼女の瞳と同じ色だ。 「もう少しだけ、ガマンしましょう」 内緒話をするように微笑む唇に指先をあてる。 爵位あれども男の位は最も低く、幼い女は領主の娘。 本来ならば対等に話す事など赦されない。
シーリカラピス @silicalapis
そう、赦されない。断じてだ。 それでもシーリカラピスは男と一緒に居たがった。 貧民街で気紛れに助けられたその日の事。城に名前ももっていなかった灰色を連れ帰り、そればかりか彼と契約すると言ったのだ。最後には領主も折れる強情さでもって。 「アッシュ、一緒に連れていって。新しいお城に」
アッシュ @ash_nkat
「当たり前だ」 眉間に寄せた皺。両手を広げ、胸の前で手を重ねた少女の後頭部越し。男の目元だけが眩しいものを見るように細められた。 「お前が居れば、俺は負けない。『硝子の馬車(グラッシィ・キャレッジ)』はこの城最強の『夜鎧』使いだ」 手を離す。男は顔を隠すように眼鏡の位置を直した。
アッシュ @ash_nkat
向かい合った笑顔と、仏頂面。 指先が、胸元に飾られた瑠璃色のリボンめいたタイに触れる。 「……何度も言うが、付いて来たってロクなもんじゃねぇぞ」 一度、伸ばした背筋。歩き出した時点で男の背骨は既に少し曲がっている。 「まず、煙草は何処でも吸う。あと、シャツの裾にもう気は使わねぇ」
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