ホラーの条件・再吟味——未知と既知
- t_mutsumin
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克服するには、まず内へ取り込むこと。理解することは必ずしも必要ない。内は作られるが外は作られない。外はいつでも、内の枠を広げさせないままに、連れ出そうと目論む。それが怖い。
2010-12-21 03:17:30内と築いた枠に、いつの間にかひびが入る。何かの空気が入ってくる。おかしいな、扉を開けて、慎重に、換気するつもりだったのに。恐怖が吸える空気になる前に、恐怖のまま入ってきた。
2010-12-21 03:29:22恐怖という言葉が存在するのは、よくわからぬものを少しでも克服するために、さしあたりキョウフという名前を付けて人の内へ取り込もうとした先人たちの智慧であろう。わからぬものには名前がない。名前がないものは……
2010-12-21 03:39:29ただ、侵入してくるものは、内部にもいる。内部とて、とりあえず取り込んだだけで、全てが理解の内ではないから。球の中空、その空間から、何かがやって来ることもある。そのとき扉を開いたら、少しは逃げられるかもしれないが、鍵はえてして固いのだ。そういうときに限って、固くなる。
2010-12-21 03:47:07我々が大気の層と大地の間に住まうように、心の内もそうなっている。地球の深奥がわからぬように、心の中空も、わからない。恐怖は宇宙からもやってくるが、地底からもやってくる。星を拓き、岩を砕くのは、まさしく恐怖の克服作業なのかもしれない。
2010-12-21 03:51:10怖い現象に対して、これはhogehogeの仕業じゃ! と説明するから一応怖くなくなる、ならわかる。妖怪は恐怖の分解装置としてのみ機能するかと言われるとそんなことはないといういつもの話につながるけど。
2010-12-21 06:52:36起床して、 @liliput 氏と @tricken 氏のホラーと差別の関係についての談話を美味しく戴く。噛み砕きようは幾らもあるのだが、最大の問題は140字の連鎖でそれを表すのが適切でないという点にある。どうしたものか。
2010-12-21 08:44:28ホラーの根っ子には差別があるというのは半ば同意するけど、半ば同意できない。結局、恐怖の資源のひとつとしか言えないのではないか。「理解できない他者」は「理解できない事象」のサブカテゴリ。 http://togetter.com/li/81164
2010-12-21 11:38:04死んじゃう話が多いのは「死」が理解できないもので怖いからだが、「死」を差別していると言えるのか。あるいは「暗闇」を差別していると言えるのか、という話。 http://togetter.com/li/81164
2010-12-21 11:40:34もちろん「ホステル」を見れば明らかなように、差別的感情や偏見を(自覚的にも無自覚にも)利用することはホラーを生みだすのに、効果的な手段だし、「理解できない他者」は確かに怖い。 http://togetter.com/li/81164
2010-12-21 11:44:28一方で、半ば理解できるから怖いのもあって、『悪魔のいけにえ』や『ハロウィン』は殺される側だけでなく、殺す側の、あるいは殺す行為のある種のテンションや快感に同一化しちゃう部分もあって、そのことを突きつけら.. http://togetter.com/li/81164
2010-12-21 11:47:05とはいえドラキュラなんかも時代情況を反映した「外国人」への恐怖の表象だし、ホラーというジャンルが保守的な倫理観や価値観に親和性が強いことについては『恐怖の臨界―ホラーの政治学』に書かれてた気がする。今手.. http://togetter.com/li/81164
2010-12-21 11:51:05あと、正直『四谷怪談』でイチバンの理解できない他者として怖いのは伊藤喜兵衛一家。あいつらマジキチだと思う。伊右衛門が梅と祝言を挙げるまでの流れマジ怖い。なんなん。 http://togetter.com/li/81164
2010-12-21 11:54:26というわけでちとつぶやいてしまった.@t_mutsumin さんの「ホラーと対峙する——恐怖・差別・排除について」をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/81164
2010-12-21 11:55:20要するに「理解できない他者は怖い」は是として、そこから「ホラーとは理解できない他者が描かれたもの」とするのは違うか、と思う。
2010-12-21 12:03:13