ゾーニングと「見ない権利」について、青識亜論氏とのやりとり

記録も兼ねてまとめ。 ゾーニングの正当性の説明としてしばしば用いられる「見ない権利」(あるいは「見ない自由」)という言葉について、askでの質問を起点に、青識亜論さんに疑問を投げかけてみました。
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まずはaskでの質問から。
青識亜論(せいしき・あろん) @BlauerSeelowe

見ない権利の主張の根拠を不快感とするのは妥当なのでしょうか?例えば、私一人がある対象に個人的に不快感を訴え... — まさにおっしゃるとおりです。私たちの社会におけるゾーニングの考え方は、どうしても功利主義的な観点に頼らざる... ask.fm/a/c0m228qp

2015-04-19 18:56:52
リンク ask.fm 見ない権利の主張の根拠を不快感とするのは妥当なのでしょうか?例えば、私一人がある対象に個人的に不快感を訴え、見ない権利を主張したところで、ゾーニングが実現されることはないでしょう。ゾーニングを実現するには、より多くの人々がその対象に不快感を訴える必要がある まさにおっしゃるとおりです。私たちの社会におけるゾーニングの考え方は、どうしても功利主義的な観点に頼らざるを得ません。ある程度のまとまった人数および強度の「不快感」を、そのものが人々の目にとまることによる公共性を天秤にかけて、ゾーニングが許容されるものと考えるべきでしょう。 しかし、常に忘れてはならないのは、それは次善のやむをえない措置であり、原則はあらゆる表現が自由に流通しなければならないということであり、ゾーニングは最低限の範囲にとどまるべきであるということです。そして、その表現が社会に存在し、それを
以下、質問を続けます。
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue お答えいただきありがとうございます。また、この質問に付随してもう一つ質問したいことがあるのですが、青識さんは「見ない権利」という言葉についてどう思われますか?

2015-04-19 20:35:14
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue 人々の「見たい」気持ちを尊重するのと同じように、「見たくない」気持ちを尊重しなければならないというのは私も共感するところですし、ゾーニングがやむを得ない措置であることも全く同意です。

2015-04-19 20:35:55
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue しかし、それを説明するときに功利主義的観点(多数の不快感)に頼らざるをえないのであれば、それに「権利」という言葉を用いてよいのか。それに最近疑問を持っています。

2015-04-19 20:36:24
青識亜論(せいしき・あろん) @BlauerSeelowe

@masatoramune 「見ない権利」が単に存在するというだけであれば、ゾーニングなどは必要ありません。権利を行使するためには、目を瞑ればよいのです。電車の中吊り広告を見たくないのであれば、電車に乗らなければすみます。

2015-04-19 20:47:23
青識亜論(せいしき・あろん) @BlauerSeelowe

@masatoramune しかしそれでは、権利が十分に「尊重されている」とはいえないでしょう。見る権利と可能な限り共存できるように、相反する二つの権利をバランスよく調整することが求められるのです。こうした例は珍しくありません。

2015-04-19 20:48:20
青識亜論(せいしき・あろん) @BlauerSeelowe

@masatoramune 工場の経済的な権利と周辺住民の環境権、ギターを弾く権利と隣家住人の静謐権、著名人のプライバシー権と大衆の知る権利……私たちは対立する諸権利を功利主義的観点で、あるいは正義と公正の論理によって、合理的に調停してきたではありませんか。

2015-04-19 20:51:34
青識亜論(せいしき・あろん) @BlauerSeelowe

@masatoramune ゾーニングもそうした営みのひとつであるというだけです。ただし、注意が必要なのは、私たちの知る権利は、表現の自由の重要な前提を構成しているということです。見ない権利は当然に尊重されるべきですが、ゾーニングは必要最小限の範囲に限られるべきです。

2015-04-19 20:53:24
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue 静謐権って何か判例とかありましたっけ?

2015-04-19 21:13:58
青識亜論(せいしき・あろん) @BlauerSeelowe

@masatoramune 騒音と地域住民の静謐権の間の対立は、けっこう判例があると思いますが。楽器を弾く権利との調整については、すみません、自分で書いたものの、判例があるかどうかよく知らないです。

2015-04-19 21:17:37
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue 騒音と地域住民の対立というのは確かにたくさんあると思います。私は判例に関してはあまり詳しくないのですが、その対立の中で静謐権という「権利」が示されたものはあるのでしょうか?

2015-04-19 21:31:19
青識亜論(せいしき・あろん) @BlauerSeelowe

@masatoramune 騒音のない生活環境というのは、静謐権(生存権・環境権の一部分として扱われるかもしれませんが)の問題以外のなにものでもないのでは? たとえば大阪空港公害訴訟などはどうでしょうか。

2015-04-19 21:54:19
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue そのような権利が認められているとして、その根拠が「多数の不快」で説明せざるをえないのかどうかが気になりますね。

2015-04-19 21:56:47
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue 環境権であれば、不快感の他にも「健康的な生活」を根拠にし、個人一人一人に対してそれを尊重することができます。プライバシーの権利であれば、それこそ個人のもっとも私的な生活空間に直結する問題でしょう。

2015-04-19 21:59:47
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue 騒音に関しても住宅の近くであれば、それはごくごく私的な空間に干渉していますし、特に夜間であれば健康被害も問題になるでしょう。屋外である人が不快に思う画像が表示されていることとは、また違った問題をはらむような気がします。

2015-04-19 22:03:48
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue ゾーニングの場合は不快感を根拠にしますが、何が不快なのかは人によって様々です。そして先ほどの質問でもあったように、ゾーニングでは個人一人一人ではなく、一定の人数を超えた集団の不快感しか尊重されません。

2015-04-19 22:10:24
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue そうしたものを「権利」という言葉を用いて説明するのにはまだ疑問があります。ゾーニング以外でも、これと同じような状態であれば、私はやはり疑問を持つでしょう。

2015-04-19 22:14:48
青識亜論(せいしき・あろん) @BlauerSeelowe

@masatoramune 景観法によって保護される景観権などはどうでしょうか? 景観権の集合を保護法益として、個人や企業の経済的自由権を制約するものだと思いますが。

2015-04-19 22:15:09
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue 少なくとも、景観法成立の時点では景観権は認められていなかったと認識しています(間違いでしたらご指摘ください)。「景観利益」というのは聞いたことがありますが、権利として認められているかどうかは存じません。何か参考になる物があればお願いしたいです。

2015-04-19 22:59:42
青識亜論(せいしき・あろん) @BlauerSeelowe

@masatoramune とはいえ現実の運用としては経済的自由権を、地域住民の景観に対する権利によって制限しているわけですから、ある種の権利が観念されていることは否定しがたいと思います。 (参考)判例における「景観利益」概念の確立 www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai…

2015-04-19 23:34:14
この日のやりとりはここまで。後日、続きです。
正人ラムネ @masatoramune

@dokuninjin_blue 先日提示された文献によれば、財産権と対置される概念は、国立マンション訴訟の最高裁判決で成立した「景観利益」ですね。courts.go.jp/app/files/hanr…

2015-04-29 21:01:31
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コメント

夏目屋(エセ遊び人) @otakuasobi 2015年4月30日
ちらほらと聞く「ゾーニング」という単語。知識のない自分なりに読み解いてみて、電車の女性専用車両もゾーニングなのかな? なんて思ったのです。何だが凄く違うような気がしなくもない。勉強不足。
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石田伊織 @IsidaIori 2015年4月30日
ゾーニングとは「場所分け」つまりは混沌とした灰色の世界を神が「光あれ!」と、光と闇に分けるようなもんなんで。で、「闇」が嫌なら「闇」に踏み込まないように「ここは闇でっせ」って場所を予め知っておいてそこに踏み込まないように注意せにゃあならんのに、「ゾーニングしろ」と言ってる人は見渡す限り光の世界になってるって勘違いしているわけなんだな
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こげぱん@止めよう不要不急のエロ規制 @kogemayo 2015年5月1日
そもそも「見たくない権利」に一歩でも譲った時点で、それは「ホームレスを見たくない権利」「同性愛者を見たくない権利」「知的・精神障害者を見たくない権利」にまで逝ってしまうことは確実なんだよね。少なくとも功利主義的には。 だから「公道上でヌーディストが全裸で表現する権利」であろうとも、本来はどれだけ多数の人にとって不快であったり実害があっても排除されてはならないんだよ。
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こげぱん@止めよう不要不急のエロ規制 @kogemayo 2015年5月1日
それでも裸体や性交を排除すべきだという人は、そもそも「性」や「生殖」の特権化を主張しているのであり、もっといえばそれは特定宗教宗派の教義に過ぎず万人に押しつけていいものではないのではないか、というところから始めなければならないでしょう。たとえフェミニズム、「女性の特権化」には譲るとしても。
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ねこ @hyougen0 2015年5月1日
「社会通念」とは「多数派の規範」と同義だと思うので、やはり腑に落ちない。
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mnianzinno @mnianzinno 2015年5月1日
視界に入っても、意識から追い出して「見ない」でいればいいんじゃないですかね。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月2日
kogemayo 重要な指摘だと思います。それが「権利」であるかどうかを置いておくとしても、ゾーニングが社会通念に基づくとなれば、その社会通念の推移によっては理不尽な排除の論理になりうる。そうであれば、比較衡量の仕方についてはさらに議論の必要があるでしょうし、そもそもゾーニングはするべきなのかという意見もあるだろうと思います。青識亜論さんも「表現の自由に関わる」「最小限に留めるべき」ということを度々強調していました。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月2日
kogemayo それでも現実の問題としては、ある程度ゾーニングすることはやむをえないという立場に私は立っていますが。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月2日
hyougen0 「多数派の規範」であるというのは同意見です。しかし、本当に個々の「見たくない」に対応することはまず不可能ですし、その「見たくない」に客観的基準を引くこともやはりできないだろうと思います(「不快感」もそうですが、「見たくない」というのは主観であり、人によって基準は違ってきますから)。そうであれば、最後に残るのは社会通念くらいではないかと。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月2日
特に後半では「権利」という言葉を使うのを避けているように、はじめは個人の「見たくない」から出発して考えても、結局社会通念が大きく介入することにより、性質としては公共の利益に近くなっているのではないかなどということを、私は(漠然とですが)考えたりしていました。「見ない利益」の位置づけについては、ぜひいろいろな人の意見が聞きたいです。
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叢叡世Степин Будимир @kusamura_eisei 2015年5月2日
見たくない権利とは、 お前うざい、目障りだ、消えろ、二度と近寄るな近づくなという村八分の掟を権利化したものです。
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ねこ @hyougen0 2015年5月2日
「ホームレス」「同性愛者」「知的・精神障碍者」などが所与の属性でなく構築されたラベルであるとする立場から言えば、それは「横たわる行為」「同性と親密に接触する行為」「大声を出す行為?」などの行為の制限だと言える。つまり、自由を制限されるのは、少数派の「人」だけではなく、全員の「ある行為」である。 演奏・歌というのは表現物でもあり行為でもあるから、行為(人)のゾーニングと表現のゾーニングは必ずしも別問題というわけではない。
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呉 哲心 @go_philospirit 2015年5月2日
俺は最初から憲法で保障された「表現の自由」を起点として、最小限のゾーニングで何でも表現出来る様にすべきだと考えている。上コメの光と闇の様に「表現と外」を区別して聖域として構築すべきだと思う。だから大真面目に「ポルノ保護法」等攻める必要を最近感じている。
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呉 哲心 @go_philospirit 2015年5月2日
ちなみに「見ない権利」も、功利主義的な「効用」として不快感情からのマジョリティによる排除を想定しているからその「線引き」に終始している感がある。「社会通念」が常に更新され一致しているとも限らないし。この問題は、例えば「境界を示す印」までも含んでしまう等の可能性もあり、そうなると撤退戦を強いられる。勿論、その俎上に載せる対象も。だからあまり筋が良くない気がする。
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久我まさゆめ @k_masayume 2015年5月2日
権利というか「人間なんだから冷静に考えてみよう」って所が重要ですね。ねこ様のコメントにあるように一般的な認識だと「浮浪者だから不潔でよくわからん」「同姓同士でツルんでるなんてあり得ないよくわからん」「障害者なんて何しでかすかすかよくわからん」という一瞬の躊躇(不快感)があっても「理解」は出来るはずなんですよね。知識や経験上で。ただ嫌だから見せない・見ないのは思考の停止だと思う。
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ねこ @hyougen0 2015年5月3日
個々人の「見たくない」がコンセンサスを得て「多数派の規範」になったとして、それはゾーニング要求の基準であって、ゾーニング正当性の基準に採用してよいのでしょうか。仮に正当化の必要条件の一つだとしても、他の正当性の基準軸を増やして「最小限の範囲」を明確にすべきでしょう。
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平尾 由矢(パブリックエネミー) @astray000 2015年5月3日
そも、ネット上には「見ない権利」を実現する為のツールは(不完全ながら)存在する。でも、「見ない権利を大きな声で上げている人」は調べれば実現できる「見ないですむようになる方法」を実践(つまりは見ない権利を実現する為のツールを使うこと)していないことが多いと思われるな。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月3日
[c1885993] なるほど。「見る前にそこに何があるか知っておく」ですか。ゾーニングはある表現を不可視化するわけではなく、見ない選択を取りやすくする措置といえるので、確かにそのように言い換えられるかもしれません。「権利」という言葉を用いる場合、まとめ中のものと同様の議論が適用されると思いますが。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月3日
[c1885993] それでは3点ほど質問したいと思います。(1)街中を全裸で歩き回る人についてはどうでしょうか。全裸であることが「その人らしさ」である場合や、それ自体が何らかの表現である場合も考えられると思うのです。(2)「コンテンツ自体に人権はない」というのは、できればもう少し詳しく説明がほしいです。コンテンツというか、ある作品や自分の内心を公表・流通させるのは表現者の権利であると思うのですが。これは(1)にも関わってくると思います。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月3日
[c1885993] (3)「それを好む人への差別になってはならない」というとき、マジョリティの性的羞恥心は差別には当たらないことになるのでしょうか。そうであれば、その他の不快や嫌悪についてはどうでしょうか。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月3日
hyougen0 「見たくない」が多数集まれば、功利主義的には利益になりうると思います。それが表現の自由その他の権利と比較してどの程度尊重されるべきかはさらに議論の余地があるとは思いますが。ところで、基準を増やすということについてはどのようなものが考えられるでしょうか。例えば青識さんは「公道上でヌーディストが全裸で表現する権利を私たちは認めるわけにはいきません」と言いましたが、こげぱんさんの意見はこれとは異なっています。それに対してねこさんはどう考えますか。
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ねこ @hyougen0 2015年5月3日
刑法第175条の廃止を切望する青識氏が、第174条を容認するのだとしたら驚きですね。どちらも被害者無き犯罪(社会的法益を保護するのが目的)ですが、青識氏は、表現物と異なり、表現行為については立ち位置を決めかねているように思えます。 https://twitter.com/dokuninjin_blue/status/566421755057958913
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ねこ @hyougen0 2015年5月3日
青識氏は、全裸と「そのほかの不快なもの(例えば自分と対立する政治的主張)」とを区別する説明として「社会通念」しか挙げていません。「社会通念」というのは結局「多数派の嫌悪・羞恥・不快」の言い換えに過ぎないと私は思うので、この説明では不十分だと思います。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月5日
[c1887697] 各項目でもう少しつっこんでみます。(1)突き詰めればすべてマジョリティの快不快というのはそうかもしれませんが、それが権利や利益によって正当性が説明されたり、あるいは逆に不当なものとして否定されたりすることを無視できないと思います。それを踏まえて、全裸を禁止することは権利や利益を理由に正当化できるのか、あるいは民主的手続きを理由に現時点では正当というべきなのか、こげぱんさんのように不当というべきなのかということは判断できないでしょうか。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月5日
[c1887697] (2)文字通りということですね。しかし、公表・流通の制限は表現者にとって明らかなデメリットであり、また表現の自由等その人の権利に関わることに変わりはありません。そうであれば、「コンテンツ自体には人権はない」という言葉にどれほどの意味があるのか、それが気になりました。(3)この場合は「嫌いだ」と公言することではなく、嫌いということを理由にあるジャンルの表現物だけ他と扱いを変えるという点が問題になると思います。
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ねこ @hyougen0 2015年5月6日
いや、「全ての法や規範は突き詰めればマジョリティの快不快に換言される」というのは言い過ぎでしょう。個人の生命を保護法益とする殺人罪さえ、マジョリティの快・不快が根拠なのですか? 「ある種のコンテンツのゾーニングは表現者も含めみんなが納得し、解決策があるならいいと。」 ここが曖昧なので差別論も視野に入れて考えましょうという感じですね。
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呉 哲心 @go_philospirit 2015年5月7日
だから不快感情を軸にした功利主義や自由市場論だと単なる声のデカさのパワーゲームになるんだって。その調停なんて勝者の断罪にしかならないわけで。まあ民主主義的に正当な手続きを踏めばそうなるのは確かだろうが、何がマジョリティたり得るかというのは先立つ規範による場合が多々あって、それにリードされたり判例がマジョリティを擬制したり、だから「見ない権利/自由に表現できる権利」という総体的な枠組みで議論を重ねて合意を勝ち取らないとただの撤退戦にしかならないと俺は言っているんだが。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月7日
go_philospirit ねこさんも言っていましたが、「社会通念」は結局のところ「多数派の規範」と言っていいので、パワーゲームになるという危惧はわかります。しかし、そもそもその「見ない権利」なるものの根底に存在するのは「不快感情」ではないでしょうか。見たくないものに個人差があるこの社会で、あらゆる表現からエロ表現がゾーニング対象として選ばれることは、「社会通念」なしに説明が可能でしょうか。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月7日
go_philospirit また、はじめから「見ない権利」で説明することがより安全なのかどうかには疑問があります。自由民主主義国家において、表現の自由に対置する利益として最も強力なものは、ほかでもない「権利」でしょうから。権利と権利の対立となれば、あとはもうそれらを比較して調停されることになると思います。比較する相手は「権利」と呼ばれているのですから、その価値はより重く見られるのではないでしょうか。
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呉 哲心 @go_philospirit 2015年5月8日
masatoramune 実は概ね同意だが、マイノリティとしての表現者を守る為には功利主義では限界があるという話で。本質的に表現には「訴求力」があり、正・負の値で引き起こす感情が異なると考えられるので、不快感情による規制一辺倒では守れないということです。ただ、最初にざっくりと何をどうするかという指針は、どうしても多数決原理が必要でしょうね。場合によってはエロ・グロ・暴力あたりも検討すべきかもしれません。
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呉 哲心 @go_philospirit 2015年5月8日
masatoramune これも実は併記した所が肝心であって、「見たい/見たくない」を軸に権利として再構築すべきかと。不快感情を武器に攻め込んで来る人が必ずいるので両面で衝突を避ける為に明確に棲み分ける必要があります。「見えないように追いや(り続け)る」為に濫用されない仕組みが必ず必要というということです。 今まで表現の自由がどれだけ軽んじられていたかを考えると、「見ないで済む目印/迫害を受け付けない聖域」そんな概念が必要だと思います。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月8日
go_philospirit 私もゾーニング範囲を多数決原理のみで決定しようと考えているわけではない(今回問題提起したのは、あくまで表現の自由などの表現者の権利と対置する利益をどう捉えるかということである)ですし、基準を明確化でき、表現者の権利が確保できるのであれば、その方法を取るに越したことはないでしょう。「見ないで済む目印/迫害を受け付けない聖域」については、少し考えてみたいと思います。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月8日
go_philospirit 例えば水樹さんの最初のコメントを参考にして、「見ない」を「見る前にそこに何があるか知っておく」に置き換えてみるのはどうでしょうか。思うに、ゾーニングとはある表現を見えないようにするというよりは、それを見ないことを補助する措置である(べき)ではないかと。ぶっちゃけてしまえば、見たくないものがあるのであれば、それから自分で目を背けるか、それがある場所を避ければよいでしょう。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月8日
go_philospirit しかし実際には「不意打ち」を受けて否応なく不愉快なものを目にしてしまうなど、自分で避ける事がうまくいかない場合もあると思います。その問題を解決するため、「そこに何があるかわかる」ようにし、避けるのを補助する措置としてゾーニングをするというのはどうでしょうか。この場合、少なくとも現状の店内での区分けやネットにおけるR18注意の表示などは、ゾーニングとして十分な機能を果たしていると言えるのではないかと思います。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月8日
go_philospirit ただ、ここでさらに問題となるのは、これでゾーニングの程度について大雑把に基準を示すことができたとしても、ゾーニング対象となる表現の範囲については何の説明にもならないということです。こちらについて何か基準を提示することはできるでしょうか。
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呉 哲心 @go_philospirit 2015年5月8日
masatoramune 把握しました。 masatoramune 同意です。ただこれも俺の最初のコメントの、例えばネットのバナー広告の様な形で境界を分つ目印があった場合、それ自体がゾーニング対象の表現物の一部ということで制限され、個別商品からのゾーニング対象コンテンツへのアクセスは断たれそうな気がします。広告に関してはある意味「不意打ち」を前提としたものなので、こうなればやはり打撃は避けられないでしょうね。
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呉 哲心 @go_philospirit 2015年5月8日
masatoramune 現状のゾーニング・レイティングは、性表現、暴力等反社会的行為が主ですが、これは概ね「青少年への影響」等を考慮した対象年齢による措置でいいんですかね?性表現に関しては猥褻概念の「社会的法益」がありますね。これらについては懐疑的なんですが。
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呉 哲心 @go_philospirit 2015年5月8日
masatoramune 「見たい/見たくない」表現の効果から抽出し、種類毎に表現が引き起こす「感情の波の大きさ」を科学的に検証するなんてのはどうでしょう。振れ幅が大きいものは取扱注意ということでゾーニング対象と。概ね現状の大人向けになりそうですが。極端な形では不快感情どころか、犯罪・災害等のフラッシュバックを引き起こす可能性があると考えればそれなりに合理的ではないでしょうか?もちろん因果関係も要検証ですが。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月8日
go_philospirit 確かに広告などについてはそのような問題もありますね。 go_philospirit 青少年への「影響」については疑問もありますが、判断能力の弱さを理由に行為が制限される例はたくさんあるので、ある程度やむをえなさもあります(ただしこちらはレーティング方面の話になりますが)。猥褻概念については「性道徳の維持」などであれば私はこれを否定する立場です。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月8日
go_philospirit ですから「見たくない」という個人から出発して利益を考えていったのですが、現在ゾーニング対象となっている表現と他の表現の扱いの差を考えると、上の通り途中で社会通念を取り入れざるを得なくなりました。今の私は個人の利益を否定しきれず、かと言って公益的な側面も無視しきれずといったどっちつかずの状態です。
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正人ラムネ @masatoramune 2015年5月8日
go_philospirit 科学的に検証というのは面白い提案だと思いますが、それにかかる社会的なコストを考えると難しいのではないかと。あるジャンルの表現に絞ればまだしもですが、ゾーニング対象の決定に正当性を求めるのであれば、あらゆるジャンル・形態の表現について検証する必要があるでしょう。そこまでやるのは不可能だと思います。フラッシュバックについては、例えば交通事故等をきっかけに車が....というような人がいた場合はどうなるでしょうか(車は道に出れば、実物がそこら中で目に入りますが)。
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レイズ @raise9393 2015年5月9日
結局これらの問題は政治的な力関係で譲歩される側が決まるのでしょう。有用と認められたり社会的に地位があるものはお咎めなしで、そうじゃなければ長期的にはどこまでも譲歩を迫られたり。 明確に自分達の気に入らない創作物を潰したいと考えている人たちもいます。 また既にゾーニングをやっていますが、さらにやると仮定しても少なくとも表現の自由的にそして商業的な不利益等これ以上は引けないというラインを定め、時には明確にNOを言うことが必要になると思います。 議論をする時は対等であるべき
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呉 哲心 @go_philospirit 2015年5月15日
masatoramune その個人の利益の総体、調整原理としての「社会通念」というわけですね。masatoramune 俺はそれに頼らない方法を地道な科学的検証に求めたわけですが、多大なコストを払ってでもやる意義はあると確信しています。現状は「青少年に悪影響」なんてのが自明視され濫用されていたりするので。フラッシュバックに関しては、頻繁に目にする様なもので起こる事例は、慣れて軽減するかどうかはさて置き、考慮するのは難しいでしょうね。これも蓋然性で切るしか無さそうですが。
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和泉 @IZUMI162i6 2017年10月21日
見ない権利を実力で実現してしまうと見せていないものが適切かどうかの検証可能性に問題が発生するんですよね。検証可能な状態にして判断するために知る権利があるのでかなり慎重にやらないとダメだと思うんですが。 もっとも、書店のゾーニングや電車の女性専用車両とか携帯OFFゾーンとかが始まったのは別に権利とか関係なくて、それを声高にわざわざ主張してくる人たちへの対応に書店や鉄道会社が大きなコストをかけたくなかったからですけども。
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