《『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』に対する個人的メモ》

今後、追加と整理を行う予定。 原発事故発生前に、「『葛藤』を抱えながら、『純粋な日常の生活』を『普通』に続けるしかない」という結論が提出されていて、事故発生後もその結論が変更されていない、というのが開沼氏の基本的立場。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

同書には、合計28項目の注記と、10ページにわたる参考文献一覧が付されているのだが、大学の学部卒業論文程度の世慣れない体裁にしか見えない。 また、既に他の研究者に指摘されていることなのだが、参考文献を適切に読み、理解していないのではないかと思われる部分もある。

2015-05-02 23:39:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私自身は文学部卒業の学士に過ぎず、社会科学の専門訓練は受けていないのだが、 学生時に民俗学を独学でかじり、民俗調査の手法を学び、民俗学に隣接する地域社会学の書籍はある程度読んだ経験がある。 それ以上に、私には1970年代後半以来の、福島県内数箇所の民話調査の経験がある。

2015-05-02 23:42:49
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

同時に私には、高校教員として4年間双葉町に住み、福島県の原発立地自治体と近隣の自治体を一通り家庭訪問等で回った経験もある。そして、高校の担任として、高校生に東京電力をはじめとした原子力発電関係企業の就職指導を行った経験もある。 転勤後も、妻の実家がある富岡町を毎年訪問していた。

2015-05-02 23:47:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

自己の経験と比較して、開沼氏の書籍に描かれた原発立地地元(開沼氏が「原子力ムラ」と呼ぶ地域)の姿を見ると、開沼氏が原発立地地域の上辺だけしか描いていない、と感じる。 民俗学でいうところの「マレビト」として調査対象地域の人たちから話を聞いているようにしか見えない。

2015-05-02 23:51:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

開沼博氏には、民俗学用語で言う「常民」の姿が見えていない。 開沼氏が強調する「純粋な日常の生活」を繰り返す住民の姿であるはずの「常民」の姿が、彼には見えていないのだ。 原発関係で働いている人たち同士でなければ、「1Fで働いてる」などとは言わずに「東電で働いてる」と表現していた。

2015-05-02 23:55:15
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「いちえふ」とか「にえふ」とか言わずに「東電」で働いてるという表現の方が色々と都合が良いのだ。 第1原発と第2原発との間で仕事場が3ヶ月程度で変わることは珍しくなかったし、 わざわざ自分が下請けで働いてるという説明も面倒だし、現場にどの企業の従業員として入るかも頻繁に変わるから。

2015-05-02 23:58:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

同じ東京電力の現場という事で、柏崎刈羽原発に行って仕事するようになる人もいたし、 メーカー関係の仕事として、東芝なら同じ東芝が作った別の原発の現場で仕事するようになることも多かった。 その辺りの細かい話は、あまり外部の人には話さないのが常だった。

2015-05-03 00:01:54
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発関係の労働に関して、開沼氏の近しい人に実際に働いている人がいたのかどうかは知らないが、 私の兄はかつて、東芝の社員という名目で、東京電力の原発や浜岡原発などで働いていた。 兄も細かい仕事場の話はしなかったし、私が担当した高校生の家族も細かい仕事場の変更は話さなかった。

2015-05-03 00:04:32

2015年5月4日追加分

宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私がすっかり、「部活動バカ」になって、社会の動きに対する注意力を減らしていた間に、 それほどまでに「原子力ルネサンス」なるものは社会の主流を奪っていたのだろうか? 「地球温暖化防止」の意識の高さは、核エネルギー関係者以外の上では「エネルギー消費を減らす事」に向かっていたと思うが。

2015-05-04 16:52:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「日本国外のエネルギー需要増大に応えるものとしての原発建設」はあるとしても、 日本国内で「温暖化防止のために、プルサーマル発電やもんじゅ再稼動」という世論の盛り上がりなど、私は核発電業界の外では感じなかった。もんじゅ再稼動は技術的に無理だし、プルサーマル発電も温暖化防止に無関係だ

2015-05-04 16:56:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

開沼氏は『「フクシマ」論』(2011年出版)P087で次のように書いている。 引用)「イギリスやドイツなど、脱原発へと動いていた欧州の態度の変化、新興国の原発需要増は、一方で、国内のプルサーマル開始やもんじゅ再稼動と共鳴しながら原子力への態度を再編成しつつある。(引用続く)

2015-05-04 17:00:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

(引用続き)「原油価格と『地球温暖化防止』の政治的重要性の高騰により、脱原子力どころか、いかに原子力を進めるかという議論がすでに前提になっている。」(開沼博『「フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』2011年出版、執筆は311以前 青土社 P087) 前提だったろうか?

2015-05-04 17:04:49
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

開沼氏の文章は、修辞としては理解するし、東京霞ヶ関の官庁街や核エネルギー企業のトップでは原子力推進が話題になっていた可能性は否定しない。しかし、実現可能性として考えると、大間原発の後に原子力発電所を新設できる可能性は限りなく不透明なものだった。もんじゅ再稼動も目処さえたたない。

2015-05-04 17:08:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

むしろ、焦眉の急は、それぞれの原子力発電所の敷地内、と言うよりも原子炉のすぐそばに溜まり続ける、原発の使用済み燃料の処理方法の確立だったはずだ。その緊急性は、この文章が書かれた後、商業出版の前に、東京電力福島第1原発4号炉の悪夢として、世界中の注目を集めるようになった。

2015-05-04 17:11:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「社会学研究者」と自らを位置づける開沼博氏には無理難題に聞こえるのかもしれないが、社会科学と自然科学との学際的な問題として、「原子力発電所が抱える自然科学面での基本的な問題を、社会科学的に把握する」ことが、原子力について語る大前提として存在することを、軽視しているのではないのか?

2015-05-04 17:14:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「原子力エネルギー」は、開沼博氏が生まれる前、私が幼かった960年代から1970年代に掛けては、夢のエネルギーとして描かれていた。 技術的に発達して個人利用可能な規模にコンパクト化され、一家に一台とか一人に一台の形で利用できるようになり、無尽蔵に近いエネルギーになると夢想された。

2015-05-04 17:20:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「原子力の夢」は、米国TMI原発事故に関する報道が広がり、「事故発生時のリスクの深刻さと利用時の制限の多さ」と、「利用時のメリットの大きさ」とを天秤に掛けた結果、多くの人たちからは「個人の移動手段を全てエアカーにする夢」と同レベルの、「生きてる間は実現が無理な夢」に入れられた。

2015-05-04 17:26:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

言い換えれば「原子力の夢」は、たくさんあるリスクを解決できない間は無理をしてまで実現する必要がない夢、として処理されていた。 それが実現困難であることは、都市生活者以上に、原子力施設立地地元の人に多く感じられていた。原発は「最新の科学の輝かしい成果」ではない、と実感するからだ。

2015-05-04 17:31:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

開沼氏の文章は、一生に数度原発の見学に来て、電力会社の展示施設を見て、1970年代的な「子どもの夢」を抱き、その思いをそのまま文章にしているような「無邪気さ」を感じる。 開沼氏が311前後に話を聞いた人々のリストの一部を知るに連れて、その「無邪気さ」を素直に信じる事は困難になった

2015-05-04 17:35:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

開沼氏の文章に見える、原子力エネルギーに対する期待のようなものは、 開沼氏が話を聞いた中から、ある種の人々の話を重視して取り上げ、別の人々の話を聞いていないかのように取り上げない、という自覚的な選択の結果として、浮かび上がっているのだと思う。

2015-05-04 17:39:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

開沼博氏に、学問的な作法として、要求したい事がある。 プライバシーの問題があるので、ずべて公開というわけには行かないのは理解できるが、 開沼氏は、 いつから聞き取り調査を行っているのか。 どの自治体の人たち何人から話を聞いているのか。 どのような形で聞いた話を記録しているのか。

2015-05-04 17:42:32
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

他の研究者からもアクセスできる形として、 開沼博氏が社会学調査を行った対象と形式と記録を、 可能な範囲で公開してほしい。 研究素材を、他の研究者がアクセスできる形で公開するのは、 科学を名乗る以上、全ての分野で当然なことだ。 それは自然科学でも社会科学でも人文科学でも変わらない。

2015-05-04 17:45:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

例えば、人文科学の中の「文学評論」だとする。評論対象のどの文章のどの部分を論じるのか明示しなければ、評論としては成立しない。 私が関わった分野でいうと、昔話調査では、話者の同意を得て、可能な限り録音を残す。録音を文字起こしした状態のものも保管する。 それが、学問の作法だろう。

2015-05-04 17:50:12

補足(2015年5月5日)
非常に大雑把な話として、開沼氏の「フィールドワーク手法」はこの書籍のP096~P097に記載されているが、聞き取り方法や詳細なデータへのアクセス方法などは、示されていない。
具体的には、どんな質問をしたのか、一人に対する聞き取り時間はどれだけ確保したのか、など、分からない事が多い。