知性主義的なアートフォビア――遠藤水城の問題提起

キュレーターの遠藤水城が、パラソフィアの展示を見て、「アートフォビア」と「知性的なアートフォビア」についての危惧を表明。 後半、それについての議論。
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遠藤水城 @endo_mizuki

パラソフィア。知人と最終日にもう一度行くことになりました。個別の分析を期待してくれている方が多いのですが、すいません。

2015-05-04 09:50:39
遠藤水城 @endo_mizuki

結論から書くと、パラソフィアは、アートフォビアの一つの特殊な形態を見事に示している展覧会です。

2015-05-04 09:53:31
遠藤水城 @endo_mizuki

現代美術なんかわからん。あいつら調子こいとる。気取っとる。人を見下しやがって。アートなんぼのもんじゃい。というのが普通のアートフォビアです。こういう言説が蔓延すると、僕のような末端のフリーの人間は職を失います。パラソフィアについて僕が書いてしまうのは、僕の恐れの表れです。

2015-05-04 09:56:37
遠藤水城 @endo_mizuki

思い返せばchim↑pomの広島ピカッのとき、僕と東谷隆司さんは、mixi上で、その問題について異様に熱く往復書簡を交わしていました。二人の考えは微妙に違いましたが、通底していたのはアートフォビアの広がりへの危機感でした。お互いそれはヤバイといち早く気づいていた。

2015-05-04 10:00:36
遠藤水城 @endo_mizuki

アートフォビアはインディペンデント・キュレーターの職を失わせるどころか、魂まで殺しにかかります。僕らは、本当にアートが必要だと思っているから。アートの概念はどうあれ。

2015-05-04 10:02:53
遠藤水城 @endo_mizuki

パラソフィアに話を戻します。ここで示されているのは、反知性主義的な、通常のアートフォビアではなく、知性主義的なアートフォビアです。知性があると自己認識をしており、それを社会的に示す必要性を有する人間が露呈させるアートフォビアというものがある

2015-05-04 10:08:43
遠藤水城 @endo_mizuki

一般的に知性主義的なアートフォビアはゴシップの域を出ません。大学のセンセイ方が、偉そうに「地域アートなんて所詮〜だろ」とか「〜なんて評価してるのアートマーケットだけだろ」とかいう場合に顕著です。外部から単に「業界」を批判する、という。

2015-05-04 10:12:50
遠藤水城 @endo_mizuki

僕の考えでは、アートを必要とする、複数の、互いにかなり異なる集団が、同時に存在しているだけであって、業界なるものは存在していません。知性主義的なアートフォビアには、自分が実はアートを必要としていないのではないか、という怖れが内に秘められています。

2015-05-04 10:15:52
遠藤水城 @endo_mizuki

そこでアートを「必然性」の問題ではなく「理解」の問題にすり替え、自分だけが理解可能なものとすることで、アートを占有可能な、自分たちだけが扱える言葉=資本のようなものに変えようとする。この知性主義的なアートフォビアは、キュレーションに真っ向から対立するものです。

2015-05-04 10:21:49
遠藤水城 @endo_mizuki

そこでパラソフィアなのですが、ここでは、そのように理解できる知性主義的なアートフォビアの性格を、そのままキュレーションの原理にするという、恐ろしいことが起こっている。ここが、最も評価すべきポイントであると僕は思います。

2015-05-04 10:24:39
遠藤水城 @endo_mizuki

ここで一旦話を変えますが、「アート意味わからん」、「アート難しい」、「アート、自分のものではない」と言われると僕は本当に悲しく思い、その悲しさで自分を殺すタイプです。だから死活問題。切実に書いてますよ、僕は。

2015-05-04 10:29:03
遠藤水城 @endo_mizuki

んで、ここまでで、だったらわかりやすいアートをやるべきだよね、とか言う人いると思うんだけど、それも違います。アートは、あらゆる人が、それぞれに固有のわかりづらい方法によって、勝手に必要とするものです。すでに、常に、そこにあってしまう。

2015-05-04 10:33:25
遠藤水城 @endo_mizuki

キュレーションは、畢竟、必然性を自由意志や表現の問題に転換する構成機能のことです。それが近代化やグローバライゼーションといかように関わっているのかを明示し、そのような社会の趨勢に限定条件を付与するという消極的な機能しかないと僕には思えるのです。僕はそれを目一杯までやりますが。

2015-05-04 10:39:38
遠藤水城 @endo_mizuki

したがって、キュレーションは自由なアートの擁護でもなければ、選択のセンスの問題でもない。自由に表現でき、恣意的に選択できることへの反省の一つの形態です。

2015-05-04 10:41:32
遠藤水城 @endo_mizuki

パラソフィアに戻します。パラソフィアちゃんは言います。「あなたたち、大してものを考えませんよね。私は人がものを考えるのは必然だと思います。本をたくさん読むべきです。知見を広めるべきです。世界の諸問題について思考すべきです。原爆についてすら、あなたたちはまともな言葉を発せない。」

2015-05-04 10:56:16
遠藤水城 @endo_mizuki

では、そこで思考を強制的に促しているのは誰なのか。言葉=金を扱うことができ、鑑賞者もそのようにあれ、とメッセージを発しているのは誰なのか。そのメッセージを提示せざるを得ないのはなぜなのか。だったら本読めばいいじゃん、という反応を多くの鑑賞者に引き起こしてまでも、なぜそうするのか。

2015-05-04 11:03:19
遠藤水城 @endo_mizuki

疲れてきた、のと、旅立ちの気持ちが抑えられなくなったので、今日はここまでにします。すんません。

2015-05-04 11:06:53
土屋誠一 @seiichitsuchiya

遠藤さんのツイート、美術業界はないという話だが、「ない」と判断するには、一度はとはいえなんとなくある「美術業界」にインヴォルヴされてみて、初めて可能になる判断だと思う。私は、問題の責任の所在をはっきりさせるためと、話を分かりやすくするために、暫定的には美術業界があると言う立場

2015-05-04 11:09:03
土屋誠一 @seiichitsuchiya

ただ、知性主義的アートフォビアは、確かに存在しますね。最悪のスノビズムだと思うけど、そういう輩が権力持っているから厄介。スノビズムには理念がない。

2015-05-04 11:13:40
橋爪勇介|美術手帖 @hashizume_y

遠藤さん面白いことを連ツイされてる。「美術業界」について言えば、これはあるとしか言えない。それは自動車業界や畜産業界があるのと同じように、確かにそこに「ある」。人とお金がどう回っているのかを考えればこれは明確ではないかと。(その中でさらに美術館業界、ギャラリー業界…と細分化?)

2015-05-04 11:25:16
橋爪勇介|美術手帖 @hashizume_y

また「アートフォビア」について言えば、メディアの果たす役割というのも大きいし忘れてはならない。どのメディアが、どのように(例えばパラソフィアを)取り上げるかによって、アートファンのみならずアートにそこまで興味がない人々に対してのアプローチや印象は変わってくる。

2015-05-04 11:27:24
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

知性主義的立場からのアートフォビアよりも、アート業界の反知性主義の方がよほど問題なのでは笑

2015-05-04 11:41:04
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

共生ノートでのテーマとも関わるけど、いま日本ではアートを大衆化しようという流れが強くある。高尚な芸術から開かれたアートへ。こういう「大衆化」というのは、裏返された選民意識のようなもので、しかしその裏返しには、知的なものへの嫌悪が密かに巻き込まれているのではないか

2015-05-04 11:50:51
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

こういう"大衆化"の傾向からすると、たとえばPARASOPHIAとかは、かなり違う路線を出そうとしているようにも見える。でもとくに市美術館の展示全体の印象として、90年代以降のPCアート路線をそのまま礼賛しているようにも見えてしまう。なかなか難しい。

2015-05-04 11:58:21
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

僕としては、京都市美術館での展示のように歴史的・社会的な主題を扱っているものの中で興味深いものはあるけれど、そうしたシリアスさを引き受けつつも、そこから突き抜けたような蔡國強や、あるいは崇仁地区でのヘフナー/ザックスが印象的。こっちの方に可能性を見たい。

2015-05-04 12:04:10
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