P探偵社〜ハンス・セルマ・D・ヘンドリクスの記録〜

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桜井光 @h_sakura

──ハンス・セルマ・D・ヘンドリクスはその時、苛ついていた。

2015-05-04 23:23:46
桜井光 @h_sakura

注文した珈琲がなかなか届かない。苛つく。入ったチェーン型珈琲店の店員の態度が悪い。ムカツク。今日も同行しているモニカがなかなか戻ってこない。苛つく。あれこれときなくさい合衆国での探偵任務はごく少なく、近頃は欧州でのそればかり。苛つく。

2015-05-04 23:25:54
桜井光 @h_sakura

何より苛つくのは、去年から潜入を続けているマルセイユ学園都市での任務が一様に終了しないことだ。こうして神聖都市ローマのカフェにいる最中も、公的にはセルマの立場は学園都市の学生ということになっている。

2015-05-04 23:28:40
桜井光 @h_sakura

「……すごい目で睨まないでよ、セルマ」「誰かさんが戻って来るのが遅いからこういう目になるのよ、モニカお嬢さん」「お嬢さんって言うな」「珈琲とってきて」今日三回目の口答えを無視しながら、セルマは溜息をひとつ。

2015-05-04 23:30:28
桜井光 @h_sakura

「そう言うだろうと思って取ってきたよ。ここの店員、何なんだろう」「セルフ・サービスっていうのよ。知らない?」「知ってるけど……機関化が進んでいる社会で人件費を削ったら、何が残るんだろう」「不満と怒りじゃないかしら」「……別の話をしようよ」

2015-05-04 23:32:03
桜井光 @h_sakura

「計測機は?」セルマは窓の向こうをみながら溜息をもうひとつ。素敵な街並みだった。古代ローマの名残りを感じることはないまでも、神聖都市には大機関(メガ・エンジン)が存在しないのが、いい。そこは苛つかない。少なくとも機関塔(エンジン・タワー)の巨躯を目にすることがない。

2015-05-04 23:34:03
桜井光 @h_sakura

「送ったよ」モニカが短く返答する。幾つかのサインで同時に、言外に意思疎通。手はず通りに合衆国宛で送ったよ、枢機卿のサイン付きで。よろしい。やっとお嬢さんもひとりで仕事ができるようになってきたらしい。

2015-05-04 23:35:32
桜井光 @h_sakura

フェルミ計測機。カダスのメガコアトルだとか《ふるきもの》だとか、要は幽明なりし幻想のものどもに特有の粒子だか何だかを観測するとか、しないとか。かつての重機関都市NY──現在では誰もいない廃墟都市──のトレヴァー・タワーで開発された、ピンカートン探偵社のS級機関機械。

2015-05-04 23:40:09
桜井光 @h_sakura

「誰があんなもの欲しがるのかしら。西部で幻想探し?」「あっセルマ、符号……」「いいわよ別に。ヴンダーカンマーだって《結社》だってあんなの欲しがる訳ないでしょ、ガラクタよ」「カダス支部の全員を敵に回す発言じゃないかなそれ」

2015-05-04 23:41:39
桜井光 @h_sakura

「現実ならざるもの、って言うなら学園都市で充分間に合ってるわよ。空想科学映画かっての。何が《怪学生》だか」「現象数式のきわめて限定された試行に過ぎないよ、異能なんて。科学の延長。そもそも、外(こっち)じゃ使えないんだし」「《誓約者》に遭遇してもそう言える?」「あれは……」

2015-05-04 23:44:54
桜井光 @h_sakura

セルマは苛ついていた。年経る毎に男らしくなっていくんだろうと漠然と思っていたモニカがどんどん女らしくなっていくことにも、こうして口答えされ続けるにも腹が立つ。例外の存在はきちんと認識しているし、《誓約者》の存在は、探偵社で言えば上級探偵のようなもの。珍しいけれど珍しいだけだ。

2015-05-04 23:47:42
桜井光 @h_sakura

「セルマだって、ティールさんのキットのことは気に入ってたじゃないか」「だってあれは機械でしょう。人工頭脳を搭載した機関自動車が会話をするなら、理屈が通ってるもの」「そうかなあ」「そうよ」

2015-05-04 23:49:05

キット
マイケルの相棒。変形式蒸気機械。

桜井光 @h_sakura

「じゃあ……《万能の人》は? あのひとなんて現実ならざるものの代表みたいなものだと思うけど」「ダ・ヴィンチ卿は……」言葉に詰まる。確かに、初代の碩学王とも称されるあの人物は神秘と幻想の塊のような存在であって、それでいてセルマが好ましく思う人間でもあった。

2015-05-04 23:52:55
桜井光 @h_sakura

やられた。一度会ったことがある、なんて言わなければよかった。「……例外は何にでもあるわよ」

2015-05-04 23:53:19
桜井光 @h_sakura

「ふう」「何よ」「いや、やっと恐い目付きじゃなくなったと思って」生意気にも、モニカはこちらの気分をほぐしたつもりでいるらしい。しかもそれを疑う素振りもない。あまりに自信満々の素振りに、怒る気も失せるセルマではある。……ああ、苛立ちも同時に消えていた。

2015-05-04 23:55:47
桜井光 @h_sakura

「行くわよ」「珈琲は?」「もう飲んだ。あなたも早くなさいな」言いながら席を立つ。特に読む気もなくテーブルに置いていた英字新聞を手に取る。『合衆国西海岸サン・フランシスコ・シティで大規模機関停止か?』の一文が、ふと、目に留まる。

2015-05-04 23:58:52
桜井光 @h_sakura

以前に行ったことがある都市だった。そして、件の《万能王》レオナルド・ダ・ヴィンチと出会った都市でもあった──

2015-05-05 00:00:06