茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1494回「時に地質学的天然を参照すること」
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2011年3月11日、東日本大震災が起こった時、ぼくは地下鉄に乗っていた。本格的な揺れが来る前に、列車が緊急停止した。その頃、国会では、審議中であった。揺れが来ても、しばらく議事は進行し、そのうちに尋常ではないということに気づいて、議事は終わった。
2015-05-07 06:10:11私の記憶によれば、当時、国会では、外国人献金問題(外国籍の方から献金を受けていた問題)が論点の一つになっていた。日本で生まれ暮らしてきたが、テクニカルには外国籍の方からの献金が紛れていた、という類の問題である。事大主義で騒ぎになっていたが、震災発生でぴたりと止まった。
2015-05-07 06:11:59国会で政治問題を論争している場合ではないと、震災への対応にかかりきりになったからである。当然のことだと思うが、人為と天然の関係について考えさせられる。地球は活きていて、いつ何が起こるかわからなぬ。その起こりうる事態を前に、人為は、たいていの場合、些事になってしまうのだろう。
2015-05-07 06:13:28箱根山は有史以来の噴火はないようであるが、太古には大規模な噴火をしている。古期外輪山は大きく、ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1… 芦ノ湖などは過去の火山活動で起きた。今回の活動は大事に至らず収束するだろうと思うが、地質学的時間の中ではそんなことも起こる。
2015-05-07 06:17:05夏目漱石の『二百十日』を、このところ二度続けて読んでしまった。二人の青年が阿蘇に登山して、一人(漱石がモデルらしい)が人為の不満をブツブツ言っている。その間も、阿蘇は噴火していて、地響きがしたり、灰が降ったりする。人為と天然のコントラスト、照応が印象的な小説である。
2015-05-07 06:18:26私たち人間は、さまざまな人為を後生大事と思い、ああでもないこうでもないと言うが、地質学的時間の前にそれらを置くと、どこかひんやりする思いがある。それが開放なのか、卑小なのか、不条理なのかはわからないけれども、時に地質学的天然を参照することに、このところ魅せられてしまっている。
2015-05-07 06:19:51