これまでも同じような話を何度も書いている気がするけど、「リスク」について改めて。現在、日本を含めた先進国の社会では若いうちに命を落とす人は稀で、個体の平均寿命は自然界の同じくらいのサイズのほ乳類と比べても「不自然」に長い。つまり、生命に関わるリスクが極めて低い社会だ。
2015-04-21 23:34:25現生人類が登場した頃には既に人類は食物連鎖の頂点に君臨し、捕食されるリスクはそれほど高くなかっただろう。それでも、人類の個体数が急増して平均寿命も大きく延びるのは文明の誕生以降、特に顕著なのは近代以降だ。リスクを大きく下げる事に、何が貢献したのだろうか。
2015-04-21 23:34:47野生動物が命を落とす原因を考えてみれば、被食と同等、あるいはそれ以上に「飢え」が多そうだ。人類が狩猟・採取生活から食料を生産するようになったステージ、そして窒素肥料の量産によって穀物生産量が飛躍的に増大した時期には、人類の栄養事情が大きく改善されたのだろう。
2015-04-21 23:36:00飽食の先進国には生活習慣病など、それ特有のリスクがあるにはある。しかし先進国と途上国、あるいは同じ国の現在と過去を比較すれば、十分な栄養を摂れる環境の方が人は間違いなく死ににくい。豊かさというのは、生命を失うリスクと密接な関係があるのだ。
2015-04-21 23:37:11物質的な豊かさが必ずしも幸福を約束するものではないが、今の豊かな生活を捨て、幼い子供や若者が死ぬのが珍しくなく平均寿命も短い、生物としてはより「自然な」生活を選びたいという人はあまりいないのではないだろうか。
2015-04-21 23:39:19今の先進国でも人はいつか必ず死ぬし、中には若くして命を落とす人もいるわけで、大小様々なリスクは当たり前に存在している。ただ、近しい人の死に立ち会う機会も減り、意識的にリスクを避ける必要がほとんど無くなった社会では、リスクに対する認知が歪になりがちだ。
2015-04-21 23:41:57例えば、医療行為や予防接種によって防がれているリスクは当たり前すぎて意識しにくい一方、ごく稀な副作用はリスクとしては(頻度が低いために)極めて小さなものであっても、目立つ分だけ大きく認知されることになる。これは医療や公衆衛生の行き届いた安全な社会に特有の「贅沢な」誤解だ。
2015-04-21 23:43:10栄養失調やそれが引き起こす様々な健康障害で命の危険に晒されることなど想像すらできない豊かな社会では、化学肥料に頼らず敢えて生産性の低い方法で栽培した作物を選んで消費するという贅沢が成立するが、これも実質的な安全にはそのイメージほどには効果がなく、言わば金持ちの道楽だ。
2015-04-21 23:45:01化学肥料や農薬、食品添加物などが当たり前に使われるようになったのは人類の歴史の中でもほんの最近なので、まだまだ未知のリスクが潜んでいる可能性がある。未知のものに対する怖れという感情はおそらく本能的なものだろうが、実は必ずしも合理的ではない。
2015-04-21 23:46:15食品のリスクに話を絞ろう。私たちが日常的に食べている食品は全て動植物など他の生命に由来するが、地球上のあらゆる生命は人間に食べられるためだけに存在しているわけではない。長い歴史の中で試行錯誤を繰り返し、時に犠牲を出しながら食べられるものを見つけてきたに過ぎない。
2015-04-21 23:47:43食べられるもの、とはつまり食べても「ただちに健康に影響を与えない」という程度の意味で、特定の食品ばかりを選択的に食べ続けると何らかの悪影響が出ることは経験的に知られている。多様な食物をバランスよく食べるという人類の知恵は、リスクを分散しているということに他ならない。
2015-04-21 23:48:04そうしてリスクを分散していてもなお、食あたりというのは一定割合で発生することを防げない。こうした既知のリスクについては、それによる健康被害が決して小さくないにも関わらず意識しても仕方がないため意識されることも少なく、認知としては実際よりかなり小さいものになる。
2015-04-21 23:49:48人類が人為的に化学合成で新たな化合物を造り出す技術を得る遙か以前から大勢の人が多様な中毒で命を落としているわけで、天然のものにも毒性のあるものは多い。そもそも、天然であれ人工物であれ大抵のものは少量なら毒にも薬にもならないし、大量に摂取すればほとんどは有害だ。
2015-04-21 23:51:25現代の科学では、私たちが日常的に摂取している食品に含まれる天然の毒物を特定し、定量することも可能だ。可能なのだが、だからといってそれが直接何かの役に立つとは限らない。例えば米には一定割合でヒ素が含まれていることが分かっているが、では米を食べるのを止めるか、ということだ。
2015-04-21 23:52:51日常的に米をそれほど食べない文化圏であれば、ヒ素のリスクを理由に米を避けるというのはそれなりに合理的だ。事実イギリスでは幼い子供に米を食べさせるのは良くないとされている。ところが米を主食にしている文化圏で米を食べるのを止めたりしたら、弊害の方が大きいのは明らかだ。
2015-04-21 23:54:20ヒ素には発癌性もあるのだが、発癌性のある食品なんて他にいくらでもあるし、米だけを避ける意味はない。日本を含むアジアでは大昔から米を食べてきて、その程度のリスクは当たり前に受け容れてきたのだ。
2015-04-21 23:55:15ちなみに、米を毎日3食欠かさず食べることによるヒ素の発がんリスクを放射線被曝と比較すると、だいたい年間20mSvの被曝と同程度になる。1日平均1食としても1/3の7mSvだ。年間1mSvの放射線被曝のリスクに対して私たちが抱いているイメージと比べてみると、なかなかに興味深い。
2015-04-21 23:57:31天然の食品、特に食文化に組み込まれて昔から慣用的に食べているような食品に含まれる有害な成分については、天然だけにその量はばらばらなのだが、実質的に何も管理はされていない。リスクはゼロではないにしろ、食文化を変えてまで避けなければならないほどではないからだ。
2015-04-22 00:00:09一方で、農薬の残留物や添加物についてはわざわざ使わない限り全く含まれないものなので、その量は厳密に管理することができるし、実際にされている。天然由来の毒物と比べるとバランスは悪いのだが、影響が出るかもしれない量よりも何桁も小さなレベルで管理されている。
2015-04-22 00:01:54これは、天然由来の有害物質はリスクが低いからではなく、管理することが不可能だからに過ぎない。リスク対策という意味では人工の添加物に対する管理値は合理的には意味がないほど厳しいが、これも必要だからというより、単に厳しく管理することが可能だからやっている、という面が強い。
2015-04-22 00:04:01何を気にするのかは個人の自由なので、自分の責任範囲において何を気にして何を選ぶかに合理的な理由など必要ない。選択の結果によってリスクは多少増減するだろうし、場合によってはリスクを避けたつもりが逆効果になることもあるかもしれないけど、大抵の場合どちらでも大差は無い。
2015-04-22 00:06:13私たちが享受しているこの低リスクな社会では、よほど極端な医療忌避などに走らない限り、間違った選択で多少リスクが増えたところでまだ十分に低く、大きな問題にはならない。だからあまり気にする必要も無いのだが、私たちが無意識にどの程度のリスクを許容しているのかは知っておいても損はない。
2015-04-22 00:07:05この、人間が生きていく上でどうしても避けられない、気にしても仕方の無いレベルのリスクをリスクのバックグラウンド、バックグラウンドリスクなどという。これがどの程度か把握しておけば、何か目新しいリスクに触れた時、それを気にすることがどの程度意味があることなのか感覚的に掴みやすい。
2015-04-22 00:08:49バックグランウドのレベルには地域や個人によって結構な幅、揺らぎがある。バックグランドの揺らぎ(地域差や個人差)に埋もれてしまう程度の小さなリスクに対して何か積極的な行動を伴う対策を取ると、意図せず別のリスクが増えることで総合リスクは却って高くなる可能性が高い。
2015-04-22 00:10:38少し考えてみれば当たり前なのだが、あまり考える機会もないので意外と気付きにくい。知らなくても困るわけではないけれど、これも知っておいて損はないだろう。
2015-04-22 00:11:01