ポストモダン的言説としての後期クイーン的問題

法月『初期クイーン論』、フェア・プレイ原則、作者の恣意性と後期クイーン的問題との関係に関する考察
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@quantumspin

「計略としての後期クイーン的問題」をトゥギャりました。 togetter.com/li/815135

2015-05-01 08:25:02
@quantumspin

探偵小説の形式主義について、法月は『従来の推理小説から文学的・人間主義的な意味をはぎ取り、人工的・自律的な謎解きゲーム空間を構築する事』『ゲーム性の追求(…)こそが「形式化」の意味することがらなのだといってよい』としている。ここには<フェア・プレイの原則>以外の要素も含まれる。

2015-05-03 12:53:58
@quantumspin

フェア・プレイの原則は、探偵小説における公理主義と考えられ、ゲーデル的問題はここに含まれる。フェア・プレイの原則と無関係なゲーム性の追求とは、例えば犯人存在の必要性や意外性などが挙げられる。これら、公理主義から外れる形式主義の徹底については、恐らくゲーデル的問題とは関係ない。

2015-05-03 12:54:12
@quantumspin

なぜなら、フェア・プレイとは公理系から演繹によって命題を導くシステムに関する形式であり、論理性に関する話である。一方で、犯人の必要性・意外性などは探偵小説を設計する際の、要求仕様や制約条件に関係する形式であり、これは公理系から演繹的に導出する類のものではない。

2015-05-03 12:54:19
@quantumspin

つまり、論理性の追求はフェア・プレイとして形式化されるが、意外性の追求は、探偵小説形式の逸脱という形で達成される。後期クイーン問題に関連する多くの論評では、『探偵小説の形式化』と言う現象を、この両者を混濁した形で用いているが、明らかに両者は別物である。

2015-05-03 12:54:27
@quantumspin

アクロイド殺害事件がフェアか否かについて、『初期クイーン論』では、「十分に注意深い読者ならこの<もっとも意外な犯人>を指摘することもけっして不可能ではない、と信じうる根拠がある」と擁護し、「ヴァン・ダインのいう≪紳士協定≫が不徹底な形式主義にすぎないことは明らか」と退けている。

2015-05-03 12:53:42
@quantumspin

しかし、ヴァン・ダインの二十則には、その第1則に『謎を解くにあたって、読者は探偵と平等の機会を持たねばならない』とあり、アクロイドはこれに明らかに違反する作品である。ヴァン・ダインの言明は、自身の定めたルールに基づきなされており、これはむしろ徹底した形式主義に見える。

2015-05-03 12:53:50
@quantumspin

死体も犯人も探偵も、作者が創造したものであり、作者の下位レベルに位置する。読者は作者の創造した作品世界を、小説という文字情報でしか認識する事ができないのならば、読者の作品世界の理解レベルは、犯人や作者に劣るばかりか、探偵にすら劣り、彼らの下位に位置すると見るべきではないだろうか。

2015-05-03 14:27:48
@quantumspin

仮に、読者だけが認識できる手掛りがあれば、探偵はそれを知れず謎を解決できない。探偵が、知りえない筈の手掛りに基づき推理できたら、それは不健全である。他方、探偵のみ認識できる手掛りがあればアンフェアになる。こうして、フェアな探偵小説には探偵と読者に認識の平等性が求められる事になる。

2015-05-03 14:28:11
@quantumspin

探偵と読者との間に求められる、この認識の平等性の扱いの違いが、法月とヴァン・ダインとの、フェア・プレイ観の違いを現していると考えられる。法月が、作者と読者との間のフェア・プレイを重視しているのに対し、ヴァン・ダインは、探偵読者との間のフェア・プレイを重視している。

2015-05-03 14:28:34
@quantumspin

『推理小説作法の二十則』第9則『探偵はひとりだけ(…)でなくてはならぬ。(…)ひとり以上の探偵がいると、読者は、その相手とする推理者がどれであるかわからなくなる。それは、読者をリレー・チームと競争して走らせるようなものだ』を見ると、ヴァン・ダインのフェア・プレイ観がよくわかる。

2015-05-10 07:55:57
@quantumspin

ヴァン・ダインは、『謎を解くにあたって、読者は探偵と平等の機会を持たねばならない』と考えている。即ち、ヴァン・ダインにとって探偵とはいち読者に過ぎず、事件に際しその特権性を剥奪するのである。ヴァン・ダインのこの厳格なフェア・プレイ観は、エラリー・クイーンのそれとは極めて異なる。

2015-05-10 08:07:33
@quantumspin

国名シリーズでは探偵と作者とは等しく特権的な位置に置かれており、ヴァン・ダインの求める、探偵と読者とのフェア・プレイは厳密には成立していない。『読者への挑戦』とは作者と読者との間のフェア・プレイを意味し、探偵が読者以上に知りえた事件に関する情報の一切は、周到に伏せられているのだ。

2015-05-10 08:32:12
蔓葉信博🌿 @tsuruba

@quantumspin では、私も念のため。法月さんの「初期クイーン論」「1932年~」は、フェアプレイの原則が既存の推理小説のなか、つまり「犯人と探偵の関係性」においても、かつ「読者と作者の関係性」においても成り立つかどうかを検証したものです。

2014-12-14 09:25:05
蔓葉信博🌿 @tsuruba

@quantumspin そして、それは結局、成り立つとはいえないという結論になります。それが「後期クイーン的問題」の核心です。

2014-12-14 09:25:53
@quantumspin

法月は、『クイーンにとって<フェア・プレイの原則>が意味するものは、「作者」の恣意性の禁止にほかならない』と述べる。それは即ち、『予測不可能な犯人を指名するような新たなデータを追加提出しない、あるいは、解決編で探偵がひとりよがりのご都合主義的な推理をしない』事であると法月はいう。

2015-05-10 11:24:44
@quantumspin

仮に法月の言う「フェア・プレイ原則≡作者の恣意性の排除」が真ならば、クイーンは『探偵が読者以上に知りえた事件に関する情報の一切が周到に伏せられている』事をアンフェアとは見ていない(と法月は考えている)。という事は、推理に必要な手掛かりが伏せられていてもアンフェアに当たらないとなる

2015-05-10 11:35:02
@quantumspin

即ち、『「作者」が恣意的に物語の帰趨を操作し、予測不可能な犯人を指名するような新たなデータを追加提出しない、あるいは、解決編で探偵がひとりよがりのご都合主義的な推理をしない』事だけでは、フェア・プレイ原則は成立しない。故にフェア・プレイ原則と作者の恣意性の排除は異なる概念である。

2015-05-10 11:43:11
@quantumspin

では、クイーン自身は法月の言うように、「フェア・プレイ原則≡作者の恣意性の排除」と考えていたのだろうか。恐らくそれは否であろう。読者への挑戦においてクイーンは、『正しい解決にとってかんじんな、「あらゆる適切な事実」を入手されていることを、完全な誠実性をもって保証する』のである。

2015-05-10 11:49:43
@quantumspin

この齟齬はどこから来たのだろう。一方で法月は(ヴァン・ダインの)フェア・プレイ原則は、公理系の完全性・独立性・無矛盾性の基準に対応すると見なし、他方では(エラリー・クイーンの)フェア・プレイ原則を、作者の恣意性の排除に他ならないと述べ、しかもそれはクイーン自身の認識とは異なるのだ

2015-05-10 12:01:51
@quantumspin

言うまでもなく法月は〝作者の恣意性〟なる用語を、『ロジカル・タイプ(上位レベルと下位レベルの区別)としての』〝メタレベルの下降〟の読み替えとして用いている。ここから、後に後期クイーン的問題として発展する、『ギリシア棺の謎』に対する〝メタレベルの無限階梯の切断〟なる概念が導出される

2015-05-11 19:22:16
@quantumspin

しかし、そうであるからこそ『クイーンにとって<フェアプレイの原則>が意味するものは、「作者」の恣意性の禁止にほかならない』とする法月の言明は奇妙に思える。何故なら『ギリシア棺の謎』における〝メタレベルの無限階梯の切断〟を述べるだけなら、フェア・プレイ原則を持ち出す必要はないからだ

2015-05-11 19:30:45
@quantumspin

この答えはやはり『初期クイーン論』に見つける事が出来る。法月のシナリオによれば、『ヴァン・ダインの形式主義を受け継いで、推理小説の「形式化」を徹底的になしとげたのは、(…)エラリー・クイーンにほかなら』ず、ゲーデル的帰結はクイーンが徹底的になしとげた形式化の先になければならない。

2015-05-11 22:34:29
@quantumspin

法月によれば『「本格推理小説」の「形式化」は、『シャム双子の謎』という作品において、ひとつのゲーデル的帰結に行き着いた。クイーンはこの小説を通じて、「本格推理小説」の基礎の不在を証明した』そうだ。法月の言う、このゲーデル的帰結に至る為には、フェア・プレイ原則への言及は不可欠だった

2015-05-11 22:45:00
@quantumspin

あたかも公理主義的形式化の果てにゲーデル的帰結に至ったように見せる為、法月は、ヴァン・ダインのフェア・プレイ原則を『いわばひとつの公理系として読者に提供する事』と述べながら、クイーンを論じる際にはそれを「作者の恣意性」に摩り替え、〝「本格推理小説」の基礎の不在〟に結び付けるのだ。

2015-05-11 22:56:37