山崎+串田『悪魔と裏切者』ちくま学芸文庫を読む。ルソーとヒュームの論争、というか喧嘩の往復書簡を解説とともに収録したもの。常識的にはヒュームが絶対正しく、ルソーが被害妄想気味のやばいやつ。にもかかわらず、ルソーの爆発がなんとなくわかる気がするのがおもしろいところ。
2015-05-15 10:28:07ヒュームとルソーはほぼ同い年。ヒュームはイギリスで成功している。温和な性格で有名。社交性もある。ルソーは有名だが迫害されている。変わったやつで有名。そんなときヒュームはルソーを助けてやると言い、イギリスに連れて行く。そこで些細なきっかけから喧嘩する。
2015-05-15 10:30:27その喧嘩。だれがどう見てもルソーのほうが言いがかりなんだけど、そこで彼は、「おまえはたしかに正しい、いいやつだ、みんなおまえを支持するだろう、でも代わりに裏でおれのこと憐れんでいるし笑ってる、おまえはその悪意に気づいていないのか」ということなんだよね。これはよくわかる感情。
2015-05-15 10:33:27ヒュームはルソーの怒りの奥底がわかったのかな。むろん、当時はわからないふりをしただろうし、それこそ社交戦略的に正しかったのだろうけど、本当はどうなのか。それは気に掛かる。そしてこの往復書簡を読んで、ルソーとドストエフスキーが並べられる理由もまた一段と納得したわ。
2015-05-15 10:35:36ここで話ぽんと飛ばすと、ぼくの印象では、いまの時代(冷戦以降のネット時代)ってすごくヒューム的な世界で、世俗的で温和なバランスのとれた知性がとても大切にされる時代なんだよね。それはそれでいいんだけど、そこで屈辱とか恥辱とかいった感情はどこに行くのかを考えてしまう。
2015-05-15 10:39:26近代ってのはそういう意味ではバランスのとれた時代で、ヒューム的な経験主義的世俗的合理主義が伸びる一方で、それを裏から支えるようにルソー的なロマン主義的文学的情熱主義が尊重された時代でもあった。だから両者の喧嘩にはいまでも意味があるんだけど、ヒュームだけの世界はぼくはいやだな。
2015-05-15 10:42:26というわけで、絶対に100%まちがっているルソーのいいがかりを読みつつ、あらためて僕はルソー派であることを確認したのでした。
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