セルビア・ハンガリー甘い戦争~ネグロ・キャンディはいつどこからやって来た?

さて問題です。欧州で初めて「ネグロ」という名前のキャンディを製造販売した国は、セルビアとハンガリー、正解はどっち?好奇心旺盛なユーゴ好きたちによる飽くなき探求という名の雑談。
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セルビアで親しまれているネグロ・キャンディはハンガリーからやって来たのか?

小林檀 @dan575

ところで、ハンガリー料理屋さんの通販サイト見たんだが、ベゲタはわかる。なんでネグロキャンデイがあるん?思わずスクショしたんだが。 (アイラブユーゴ3女の子編p118参照) pic.twitter.com/h5AS3uQhLk

2015-05-06 20:14:58
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ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

@dan575 本文では触れられておりませんが、この「ネグロ」飴は、ブダペストでイタリア系菓子職人がつくったというのが大元のようです(1920年代)。negro.hu/a-markarol それがどのような経緯でユーゴに入ってきたのか気になるところです。(鈴)

2015-05-06 21:48:17
小林檀 @dan575

@ILOVEYUGO おお!そうなんですかー。逆なんですね。ネグロというからてっきりユーゴの物だと思ってました。 ちょっと買って見ようかなー。

2015-05-06 22:03:07
小林檀 @dan575

@ILOVEYUGO あ、ネグロはもともとイタリア語でしたね。f^_^;

2015-05-06 22:06:10
ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

@dan575 「negro」は西語にもありますが、製造会社のサイト等を見ると、「ネグロ」の生みの親で、当時ブダペシュトにいたピエトロ・ネグロPietro Negroというイタリア系菓子職人に由来するようです。(鈴)

2015-05-06 22:10:47
小林檀 @dan575

@ILOVEYUGO 私もサイトを確認しましたが、マジャル語に阻まれました。なんとなーく1925年にピエトロさんが作ったんだろうは、わかるのですが。どうユーゴに入ったのかは皆目判らない…。味はリコリスみたいな感じでしょうか。うーん。

2015-05-06 22:25:17
ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

@dan575 そのサイトを含め、僕もネットで検索して出てきた情報を見ただけで、これは少し調べが必要なトピックのようでした(誰が!?w)。味は、その昔食べたことがありますが(リコリスは未知でございました…)、スーッとする多少のど飴っぽいふつうの飴だったと記憶しています。(鈴)

2015-05-07 06:45:20
小林檀 @dan575

アイラブユーゴ3に紹介されていたネグロという飴がハンガリー料理屋の通販サイトに→どう言う事かと思ったら、実はハンガリーが大元との指摘。サイトに行ったところハンガリー語で書いてあり爆死→とりあえずググる→英語版ウィキペディアを発見→材料はモラレス、ほかのレシピは企業秘密→モラレス?

2015-05-07 07:52:00
小林檀 @dan575

続き→モラレス?あー!糖蜜かー、いわゆる製糖の副産物ね→関連項目→ボストン糖蜜爆発事件→?→ボストンにて糖蜜タンクが爆発し、糖蜜が街に流れ込む大災害→関連項目→ロンドンビール大洪水→⁇→ロンドンでビール樽が爆発。ロンドンビールびたし 結論→米英、なんと言うことをしてるんだ。

2015-05-07 07:57:46
小林檀 @dan575

結局なんでハンガリーのネグロキャンデイがユーゴに行ったのか分からず終い。 ちゃんちゃん♪

2015-05-07 07:59:02
ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

@dan575 【ネグロ続報 】 ネット情報を斜め読みしてるだけで、裏はとれてませんが、、 セルビアの方のピオニール社はもともとスボティツァでユダヤ系企業家J. Ruffが創設。1918年以前はここら辺はハンガリー王国。ブダペシュトのネグロさんとどこかで繋がる可能性あり。(鈴)

2015-05-07 21:09:20
小林檀 @dan575

@ILOVEYUGO 続報ありがとうございます( ̄^ ̄)ゞ なるほど、ハンガリー領ならば何かしらのつながりがありそうですね。わたくしのほうは現物を手に入れて確認しなければ。それと、別の情報ですが、アメリカでネグロという名前がかなり問題になったという話がありましたが。

2015-05-07 21:23:36
ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

@dan575 まあ気持ちは分かりますが、時代も違うし、名前ですからねえ。ラテン諸語系の「黒さん」すから…。そんなこというならモン○ネグロだって(爆 (鈴)

2015-05-07 21:46:46
ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

スボティツァの目抜き通りで見かけた、ヴォイヴォディナのハンガリー語日刊紙『マジャル・ソーMMagyar Szó(ハンガリーの言葉)』の看板。同紙は、先日つぶやいた、ティトーの死を伝えるユーゴ各地の12紙のひとつです。(鈴) pic.twitter.com/uP7l6H2MdS

2015-05-19 11:39:57
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ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

スボティツァの目抜き通り、『マジャール・ソー』紙の看板隣には、この街に工場をもつ製菓企業「ピオニールPionir」社の店舗。その名はもちろん、社会主義期の少年少女団から来ています(『アイラブユーゴ3』46-49,118頁参照)。(鈴) pic.twitter.com/lrKfGdSgHf

2015-05-21 06:59:33
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ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

↓「ピオニール」社の看板商品と言えば、『アイラブユーゴ3』118頁にも出てくる、「ネグロNegro」という黒い飴。甘草エキスのスーッとする味は、のどの掃除屋さんという謳い文句とともに、社会主義期から今日まで親しまれています。(鈴) pic.twitter.com/Vl5EwkonoS

2015-05-21 07:30:27
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さて問題です。セルビアとハンガリー、ネグロの本家はどっち?

ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

飴「ネグロ」のメモ ・隣国ハンガリーにも全く同名の同じ商品(写真右)が別会社で存在する。おそらくこっちが本家。 ・名称は、考案者の菓子職人P・ネグロ氏(イタリア系、発売当時1920年代のブダペシュト在住)から。 (鈴) pic.twitter.com/IpkshMAk9l

2015-05-21 07:44:33
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ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

飴「ネグロ」のメモ② ・どうやってセルビア/旧ユーゴ地域にも「ネグロ」が登場したか、詳しくは不明。 ・ただピオニール社の前身、ルフ社があるスボティツァは第一次大戦以前はハンガリー王国領。戦後の国境変更により、スボティツァでも独立した形で存在するようになったかもしれない。(鈴)

2015-05-21 07:55:30
KuraganeKei @kuragane_k

ハンガリーGyőri社のNEGRO公式ページはこちら。ウェブサイトによると、NEGROは1925年、イタリア人ピエトロ・ネグロによって考案された。そのレシピは偶然編み出されたそうです。へー。negro.hu/fooldal pic.twitter.com/1JkZKo9keO

2015-05-21 08:01:07
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ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

. @kuragane_k 飴「ネグロ」のメモ③ ・セルビアの方の「ネグロ」(スボティツァ、ピオニール社)の袋には、「唯一の本当のオリジナル 1917年から」(写真参照)なんていう主張が…。 (鈴) pic.twitter.com/UPsMQ9VyDu

2015-05-22 05:14:39
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KuraganeKei @kuragane_k

おー、NEGROオリジナルをめぐる闘い勃発ですか(笑)ピオニール社の主張が正しいとすれば、第一次世界大戦中に作られ始めたということですよね?更にスボティツァ/サバトカが発祥の地なら、結局のところハンガリー人も関わってたりして。1917年の詳細が知りたいです!@ILOVEYUGO

2015-05-22 05:25:38
ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

飴「ネグロ」のメモ④ ・セルビアのピオニール社(スボティツァ)を信じれば、最初の「ネグロ」飴は1917年で、この時、スボティツァはまだハンガリー領。 ・スボティツァの「ネグロ」がブダペシュトにも、というのは分かるんだけど、商品名かつ考案者ネグロ氏はどうなるの…!? (鈴)

2015-05-22 05:21:07
ILOVEYUGO @ILOVEYUGO

飴「ネグロ」のメモ⑤ ・1917年(セルビア、ピオニール社)と1925年(ハンガリー、Győri社)、さーて「ネグロ」飴の本当の起源はどっち? ・そして、どっちがパクったの? ・さらに、そこに考案者かつ名の由来、ピエトロ・ネグロ氏はどう絡んでたの? 以上、謎3つ… (鈴)

2015-05-22 05:26:26
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