知の欺瞞としての後期クイーン的問題
- quantumspin
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小森健太朗は『ループものミステリと、後期クイーン的問題の所在について』の中で、『「探偵の推理が無矛盾であるかぎり、探偵は自らの推理の正しさを自己証明できない」といった類の、探偵小説にゲーデル定理を適用する論は、俗流理解か、一知半解の知識に基づく誤解に基づく論に過ぎない』と述べる。
2015-05-23 11:46:51小森はさらに、『せいぜい有効だと言えるのは、柄谷行人が『隠喩としての建築』で展開したような、形式主義の限界を見いだす思想上の営みについて、比喩的にゲーデル的問題を適用するところくらいだろう』、『ゲーデルの不完全性定理そのものは、探偵小説にあてはめられるようなものではない』と言う。
2015-05-23 11:51:38さて、小森健太朗のいう「探偵の推理が無矛盾であるかぎり、探偵は自らの推理の正しさを自己証明できない」という言明は、とても奇妙なものに思える。小森ははっきり、〝手掛かりの無矛盾性〟ではなく、〝探偵の推理の無矛盾性〟と述べ、これを『探偵小説にゲーデル定理を適用する論』と見なしている。
2015-05-23 11:56:42同文の中で、小森健太朗はさらにこうも続ける。『芦辺の記述では、メタ化して一段高い位置にたてば、真偽判定ができる権限が得られるだろうととらえている。これは(…)ゲーデル的問題の解決になるどころではなく、ゲーデルの定理がその前提として導入しているタイプ理論による解決案そのものである』
2015-05-23 12:05:39これは、非常に奇妙な言明に見える。小森健太朗はいったい、ゲーデルの不完全性定理をどのように理解しているのだろうか。同文の中で、小森は『さしあたりは枠囲い、ないしメタ化によって一応解決し乗り越えられる――ように見える。しかし、それでも乗り越えられない問題が再帰的につきつけられる』
2015-05-23 12:15:41『この問題系を探偵小説における<ゲーデル的問題>と呼ぶことにも、一定程度の正当性がある』と述べ、一例として『作中作の中にまた作中作があり、その中にまた作中作があるという構造が延々と続くタイプの小説も存在するが(…)枠囲いによる作者の真実保証もまた、基盤を崩されかねない』と述べる。
2015-05-23 12:21:31以上を要約すると、小森健太朗の理解はおよそ次のようなものと考えられる。即ち、メタ視点を導入する事で真偽判断できるようになるのがタイプ理論、メタ視点を導入しても(メタ視点自体の)真偽判断ができないのがゲーデル的問題。実際、『探偵小説の様相論理学』の中で、小森は次のように述べている。
2015-05-23 12:37:09『ラッセルのタイプ理論によるパラドックスの解決は、おおまかに言えば、「メタをもちこめば、真偽決定できる」ということである。要するに、芦辺は、このレベルがゲーデル問題の回避ないし解決になると思っているようなのだが、ゲーデル問題は実はそこから始まる。』と述べ、芦辺の理解を批判する。
2015-05-23 12:43:07小森健太朗は『ソーカル事件』を引き合いに出してまで、芦辺批判を行っているようなのだが、その小森自身が、タイプ理論とゲーデルの不完全性定理とを混乱し使用しており、かなり不可解な論評になってしまっているのである。小森の論考を読むと、法月論考や飯城論考の瑕疵など些細なものに思えてくる。
2015-05-23 12:53:27具体的に小森論考の奇妙さを見ていこう。『探偵小説の様相論理学』によれば『芦辺がゲーデル問題の解決になると誤解しているタイプ理論の解決、メタに立てばよいという解決が、数学的・論理学的にそもそも成り立たず、パラドックスに帰着するということがゲーデルの不完全性定理の要諦にある』らしい。
2015-05-23 18:25:54小森は『「私を嘘をついている」と述べる証人に対して、メタ的位置に立てないところでいかにして真偽決定ができるのか』と述べ、メタ視点に立てない故証拠の真偽判断ができない事こそ、ゲーデルの不完全性定理の核心であると強調する。さて、ゲーデルの定理のどこにメタの禁止が含まれているのだろう。
2015-05-23 18:32:46『形式系が無矛盾であるという事実は、(その事実が本当である限り)その形式系自身の中では証明できない』における〝形式系自身の中〟という制約は、数学的・論理学的要請から導かれる類の話ではなく、〝メタに立てばよいという解決が、数学的・論理学的にそもそも成り立た〟ないなどあり得ないだろう
2015-05-23 18:56:41@quantumspin 興味深いご指摘です。私の論で指摘したのは、探偵小説の"ゲーデル的問題"に関する従来の言説は大体が正しくないか無効だと退けて、タイプ理論まで戻って考えた方がよいということです。ゲーデルの不完全性定理そのものがミステリのジレンマとか難題などに直接的に適用→
2015-05-23 19:58:44→されるわけではないので。「私がうそをついている」「この文は偽である」という類の自己言及パラドックスの解決策としてのタイプ理論を展開した「プリンキピア・マテマティカ」に基づく証明で、決定不能なゲーデル文が出てくると証明したゲーデルの定理が、ミステリ論と結びつくとしたら、以下の→
2015-05-23 19:59:29→うな道筋だと論じました。自己言及パラドックスをメタ的視点で解決しようとする策が、それでも暗礁に乗り上げることが、タイプ理論でパラドックス回避をしようとしても、パラドクシカルなゲーデル文に逢着してしまうのとパラレルであると。
2015-05-23 20:00:01柄谷行人経由で、ゲーデル的問題が、形式主義の無底性を露わにしたとかいわれますが、ミステリの評論では「ゲーデル的問題」は有効な概念ではないと思います。せいぜい用いるとしたら、タイプ理論を導入しても、パラドクシカルなゲーデル文が出てきてしまったというようなところだと述べてます。
2015-05-23 20:07:04私が「タイプ理論」と「ゲーデル」の定理を「混乱し使用している」のではなく、ゲーデルの定理が「タイプ理論」に基づく「プリンキピア・マテマティカ」によってなされているものなので、切り離して論じようとする人の方が定理についてわかっていないのではないかと思います@quantumspin
2015-05-23 20:36:08ゲーデルの定理のあらましは、表現可能で無矛盾な論理式の集合の中で、変数を一つもつ論理式に、証明できると仮定すれば証明できなくなり、証明できないと仮定すれば証明できる"ゲーデル文"があるという感じだと思いますが、これ自体はミステリ論に使えないと思います。→@quantumspin
2015-05-23 21:52:42@quantumspin 芦辺作品については評論で論じたとおりで、タイプ理論をスルーしてタイプ理論による解決を提案している話ですね。しかし、いまはそちらが主題でなく、ここで指摘したことをご理解いただければ、この問題系についての見方は変わってくるはずだと思います。
2015-05-23 22:06:58