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朝日新聞デジタル 2015年5月24日 (書評)『はじめての福島学』 開沼博〈著〉 評・佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論) digital.asahi.com/articles/DA3S1… を、引用しつつ書評する。
2015-05-24 21:13:37朝日新聞デジタル
(書評)『はじめての福島学』 開沼博〈著〉
2015年5月24日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11771057.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11771057
『はじめての福島学』 2015/3/1
開沼 博 (著)
http://goo.gl/hHhsvi
引用) 東日本大震災の年に『「フクシマ」論』で衝撃のデビューを果たし、以後、被災地の「内側」からのメッセージを全力で発信し続けてきた著者の、震災から4年目にしての新境地。
2015-05-24 21:14:24上記引用に対する評) 開沼氏のメッセージは、福島県外からは「『内側』から」のものとして利用されてきただけであって、開沼氏の言葉も立論も不適切であることは、既に下記で論証済みである。 「ムラの欲望」とは何か 清原 悠 l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/review…
2015-05-24 21:18:00REVIEW ESSAY
開沼博 2011『「フクシマ」論』青土社.
「ムラの欲望」とは何か
-開沼博『「フクシマ」論』における「ムラ」と戦後日本の位置-
清原 悠
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/review_sociologos/pdf/review0801kiyohara.pdf
上記の 「ムラの欲望」とは何か -開沼博『「フクシマ」論』における「ムラ」と戦後日本の位置- 清原 悠 に補足する形での私見は、メモとしてまとめた。 《『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』に対する個人的メモ》 togetter.com/li/815862
2015-05-24 21:19:42《『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』に対する個人的メモ》
書評引用) 元来彼は質的な調査を身上としてきた人だが、この本ではたくさんの統計データをもとに、一部で流布している福島のイメージがいかにズレているかを分かりやすく解説している。
2015-05-24 21:20:49書評引用続) たとえば、福島県は農業県のイメージがあるが、実は一次産業従事者は1割以下で、二次産業が3割、三次産業6割である、など。
2015-05-24 21:21:27上記引用に対する評) 開沼氏がデビュー著作で書いた論文が、方法的に粗雑で、取り上げ方も恣意的であることは、既に批判・論証されているので、そのままの「研究手法」では同様の主旨のこと(福島は原発を受容した)を言えなくなったに過ぎないことを、評者が美辞麗句で飾っているように見える。
2015-05-24 21:25:44引用に対する評続) 書評されている開沼氏の新著は、「原発事故によって、福島はそれほどの被害を受けているわけではないのに、福島の『外』の人たちが被害を過大に言い立てているので、福島の人たちは困っている」という主旨で書かれているので、主旨を変えるなら、研究手法を変えるのは困難ではない
2015-05-24 21:29:52引用に対する評続) 開沼氏が著書で言う「第一次産業従事者」というのは、「産業としての農林水産業に従事する人」の話だ。農作物を作り、出荷して収入を得る人の話だ。しかし、福島県の「農作業従事者」は、はるかに大きい。それはいわき市出身の開沼氏も知っているはずなのだが。
2015-05-24 21:33:01引用に対する評続) たとえば、『ふくしまノート②』(井上きみどり 竹書房 2015年刊)でも何度も描かれているが、多くの農作業従事者は、自家用と親族・近所用に農作物を作っている。それは、産業としての金銭には数えられない。金にはならないが、農作業をしてきたのだ。
2015-05-24 21:39:02引用に対する評続) 私の実家とその付近でも、私がしばらく居住していた双葉地区でも、収入にならない自家用の農作物であっても、農作業をすることを「かせぐ」と表現していた。収入にはならない「かせぐ」行為を、農作業者自身は、労働、生きている証として考えてきたのだ。
2015-05-24 21:42:53引用に対する評続) この部分は、書評者の専門である科学技術社会論としては、専門外なのだろうが、これまで原発事故についてさまざまな表現をしてきた佐倉氏としては、うかつの謗りを免れないと思う。 まして、「福島の内部の声」を開沼氏が自任するならば、粗雑や粗忽では済まない誤謬だ。
2015-05-24 21:46:55引用) 基本的に前向きのトーンを保ってはいるものの、行間からは、開沼の静かな怒りや、かすかな諦念が、ほの見える。福島を政治問題化するな。事実を認識せずに結論先にありきで語るな。福島に住んでいる多くの人たちに迷惑をかけるな。
2015-05-24 21:48:43引用続)どうして、こんな初歩的で常識的なことが分かってもらえないのか。 難しいことではないはずだ。この本を読み、虚心坦懐(たんかい)にデータを受け入れればよい。自分の限られた経験や感覚だけに基づいて何ごとかを主張することは、やめよう。
2015-05-24 21:49:22引用続)その代わりに開沼が提案するのは、科学的な前提にもとづく限定的な相対主義である。最低限の客観的事実を共有し、その上で、各人の価値観の違いを容認し、できれば共存すること。
2015-05-24 21:50:09引用続) 基本的なことである。だが、それすらできなくなっているとは、ぼくたちは、なんと狭量な人間になってしまったのだろうか。この先の福島学は、日本学は、どこへ向かうのだろうか。 (以上引用終了)
2015-05-24 21:50:54引用に対する評) やや長文の引用をそのまま続けたのだが、これはおそらく佐倉氏が一気に続けたい言葉であろうと感じたので、途中で区切らなかった。 一言で言うと、開沼氏に対する共感に溢れる文章である。開沼氏が本当に「福島の内部の声」を外部に届けているのならば、正当な共感と言えるだろう。
2015-05-24 21:54:45引用に対する評続) 「福島を政治問題化するな。事実を認識せずに結論先にありきで語るな。」という佐倉氏が開沼氏の内心を忖度した言葉を、私はそっくりそのまま開沼氏と佐倉氏にお返ししたい。あなた方は、原発事故を政治問題として処理し、被害者の気持ちを表面化させない活動を繰り返している。
2015-05-24 22:13:30引用に対する評続) 原発事故の「被災者」として日本政府に認定された人は、福島県民の中でも比較すると少人数になる。「被災地域」認定は浜通りと中通り全域になるのだが、「被災地域」に住んでいる人の多くを日本政府は「被災者」として認定してはいないのだから。会津地区は「被災地」認定もない。
2015-05-24 22:17:03引用に対する評続) 開沼氏は原発事故発生後も、多くの人から聞き取りをしている。しかし、その中で、開沼氏が言ってほしいことを代弁してくれる人がなかなか見つからないのだろう。「福島県内の多数の住民は、原発事故の事など大きな問題だと思ってはいない。」などとは、県知事でさえ言えない。
2015-05-24 22:23:46引用に対する評続) 公的な調査では、慰謝料を得ている避難者に対する間違った反感程度は出てきても、「原発事故は影響が小さい」などという回答は、多数派にならない。それは、「研究者」という公的な人に面接で語るときにも語ってもらえない。そこで、開沼氏は統計などに頼るのだろう。
2015-05-24 22:28:15