山脇直司氏( @naoshiy )の【哲学という学問】

山脇直司氏の【哲学という学問】
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山脇直司 @naoshiy
数日前の以下の呟きのRTが多いようで励みとなる:哲学という学問の出自からいって文学部哲学科という現在の日本の学問体制は滑稽そのものである。またそうした体制を疑わない哲学科出身の方がいたらそれは悲劇である。そもそも哲学は、諸学問を横断する性質を持つが故に学科化不可能な学問なはずだ。
山脇直司 @naoshiy
(続き)文部科学省または学術会議はこの際、文学部哲学科を哲学思想史学科にでも名称変更し、各学部に××哲学という必修科目を設け、各学問の根っこの部分に哲学(認識論、倫理、存在理解)があることを学びうるような学問体制の再構築を提案すべきかもしれない。
山脇直司 @naoshiy
アリストテレス、デカルト、カント、(初期)シェリング、ヘーゲルなどは、いずれも哲学を「他の学問と並存する個別学問」とはまったく考えなかった。哲学は「諸学の総称」を意味するとともに、「諸学の学」として自然哲学、道徳(ないし精神哲学)などに分科されていたのである。
山脇直司 @naoshiy
個人の思想信条としての哲学もあり得るとは思います。たとえば実存主義はその一例でしょう。@akiyuki_w 学問としての哲学を個人の思想信条とすり替えて論じる人が多い原因にもなってる気が。
山脇直司 @naoshiy
はい。でもその場合は、他の学科との有機的結合や相互乗り入れ(副専攻の導入)などが不可欠でしょう。@shotarommy それでも哲学は鍛練を必要とする苦行で、柔軟な精神が残るのであれば、哲学科こそ哲学を学ぶ上で最良の土壌ではないでしょうか
山脇直司 @naoshiy
ちなみに、晩年の丸山真男は、なんらかの専門をまず学んだ後に、最終学年で哲学と歴史を学ぶような「くさび型」の学問体制を理想としています。@takasagittarius 確かに専門をはじめる前に哲学の基礎が学べるとその後のキャリアを形成する上でよいですね。 .
山脇直司 @naoshiy
哲学と政治学の授業を担当したチャールズ・テイラーのように、カリキュラムを変えさえすれば、そのような教員養成は、難しくないと思います。@rotary26b787b 当該の学問に即した態で「哲学」を教えられる教員が果してどれほどいるか、甚だ疑問です。 .
山脇直司 @naoshiy
今後の哲学担当教員には、たとえば、物理学、生物学、医学、政治学、経済学、社会学、文学など、他の科目を少なくとも一つは担当しうるだけの能力を身に付けることを義務付けるべきである。さもないと、ますます「歪んだ哲学観と哲学なき学問」が再生産されることになるだろう。
山脇直司 @naoshiy
これには同意します。RT @yukilot @Yashiro_Y @kenjiitojp ヨーロッパ近代の思想史で社会哲学と双璧をなす主観の哲学ももちろん重要なのですが、美学は概念体系というよりも、学者一人一人のものではないでしょうか。
山脇直司 @naoshiy
アメリカには「物理学の哲学」があります。そうした科目を設けようとしないのが、東大科哲の根本欠陥だと思います。@rotary26b787b 理科系の学生向けに、量子論を踏まえた現代の原子主義を精確に説述する能力を有った教員を、カリキュラムの改変だけで養成できましょうか。
山脇直司 @naoshiy
ホワイトヘッド、ハイゼンベルグ、ヒラリー・パットナムなどは、そうした事柄などを哲学的に論じるのは、朝飯前だったはずです。彼らほどでなくても、物理学をまじめに学べば何も難しいことではないでしょう。@rotary26b787b 量子論を踏まえた現代の原子主義を精確に説述する能力

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