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Yurihiranumaさんのツイート
Isotope News 2015年5月号 No.733 (PDF) 専門性に縛られる? 丹羽太貫(福島県立医科大学) jrias.or.jp/books/pdf/2015… 以下、書き出し。
2015-06-01 18:29:14「専門性に縛られる?」 丹羽太貫 去年の秋、旧友が福島に来訪、数十年ぶりに語り合う機会を得ました。話題はもっぱら福島。筆者はいつも身につけている新型の個人線量計を取り出し、「住民が自分で放射線状況を把握するのに大変有用である」と話しました。
2015-06-01 18:30:08(続)すると友人は「線量計は放射線管理区域の中で作業者が線量を把握するためのもの。普通の人が持つのは違和感があると一言。
2015-06-01 18:30:41(続)長年RI管理を行なって来た放射線管理のプロとして、この見解は大変もっともです。線量計が必要な場は、放射線管理区域にも比べ得るので、一般の方が住むことに違和感があっても当然です。
2015-06-01 18:30:51(続)福島の多くの方々にとって、放射線は今も身の回りに存在する大きな問題です。放射線は実態が見えず、制御する手段もないと感じている方々は、他力本願の除染に頼るしかありません。しかも除染がなされても安心には胃足らず、自分の故郷の暮らしに自信が持てない方々もおられます。
2015-06-01 18:31:27(続)このような方が自信を回復するには、どうすればよいのでしょう?専門家が講演会で「線量は低いのだから安心しなさい」と言っても、実感としての安心にはつながりません。
2015-06-01 18:31:35(続)ここで、自分の外部被ばく線量を個人線量計で、食材を検査機器で、内部被ばく線量をホールボディカウンターでそれぞれ測定すると、これは自らできる確認の行為です。放射線状況を知ってこれを制御するための第一歩です。
2015-06-01 18:32:18(続)すなわち測定は、これまで対抗手段がなく手を拱いていた放射線状況に自ら前向きに取り組む意味を持っており、自信回復の第一歩にもなります。実際にこのような過程を経て、自分たちの故郷での暮らしを取り戻した例も報告されています。*
2015-06-01 18:32:52(続)*(例として挙げられている文献) 安東量子、「暮らしを、ふたたび、取り戻す−−原発事故の後で−−」、アンジャリ27(2014) shinran-bc.higashihonganji.or.jp/publish/publis…
2015-06-01 18:34:30(続)それより、外部・内部被ばくや食品の線量が分かれば、見えなかったものの実態が把握でき、恐れるのではなく、線量がないものは気にせず、線量が高いものは避けるという取捨選択が可能になり、生活の範囲を広げることができます。
2015-06-01 18:35:52(続)筆者が尊敬する福島在住のある先生は、「自分が受ける放射線量を知り、その意味を知る事は、放射線状況の中での自由を獲得することにつながる」と述べておられます。そして自由を取り戻してこそ、暮らしを取り戻したことになるのです。
2015-06-01 18:36:01(続)冒頭に述べた友人の違和感は、長年の放射線管理の経験に基づくものでした。でも福島第一原子力発電所事故は、いわゆる平常時の計画被ばく状況における放射線管理では対応し得ない現実を作りました。
2015-06-01 18:36:37(続)今思うと、今回の事故では、筆者自身も自分の専門性にとらわれて判断をしてしまったことがありました。そしてこういった専門家を尻目に、放射線の専門知識も持たない方々が、福島第一原発の事故において実に見事な支援を展開されている例も多く見られます。
2015-06-01 18:36:56(続)これから見えるのが、特定の目的に特化しすぎた専門性は、時として専門家を縛るものになるという側面です。以上、自戒の思いを綴らせていただきました。 (書き出し終わり)
2015-06-01 18:37:16丹羽氏は、「線量計は放射線管理区域の中で作業者が線量を把握するためのもの。普通の人が持つのは違和感がある」という専門家の見解をごもっともと言いながら、専門家は縛られるべきでない、と言うのか。でも、専門家が専門知識を緩くしてしまったら、住民を守れないのではないのかな?と思ったり。
2015-06-01 18:46:49「今思うと、今回の事故では、筆者自身も自分の専門性にとらわれて判断をしてしまったことがありました。」と書かれている。これまでにも何かをずっと「反省」されてることに関して、あちこちで何度も言及されているけど、「縛られて」いたことを反省されているのだ、と言うのが良くわかった。
2015-06-01 18:53:56そして、まるで罪滅ぼしのために、自ら線量計をぶら下げてられるのか。しかし、「この線量では大丈夫」と本当に言えるのか?それこそ、専門家としての専門知識に縛られているのではないか?新知見は無視して。それに、 現存被ばく状況下での「自信、安心、自由」が、本当に望まれていることなのか?
2015-06-01 18:59:35木野龍逸さんのツイート
アイソトープニュース2015年5月号、丹羽太貫氏の巻頭言「専門性に縛られる?」 ow.ly/NKmij ▽ものすごく簡略にすると、専門家は自らの領域に縛られてしまって柔軟性を持てない、原発事故の影響は甚大なので柔軟性がないと対処できない、、、(続
2015-06-02 11:15:422)だから個人線量計をぶら下げて被ばく管理するのがいい、そうすれば自分の被ばく量がわかって安心する──という感じか。これは丹羽氏の旧友が、「線量計は放射線管理区域の中で作業者が線量を把握するためのもの。普通の人が持つのは違和感がある」と至極まっとうなことを言ったことへの感想。
2015-06-02 11:19:403)丹羽氏の旧友の言葉は、なぜ放射線管理区域があるのか、それによって何を守ろうとしているのかという、現行法の本来の目的をないがしろにして被ばく管理だけをすればいいという今の事態に違和感を感じたのかなあと、勝手に推測。少なくとも丹羽氏の文面では、本来の目的が飛んでいる。
2015-06-02 11:22:08