渡邊芳之さん@ynabe39の「運動の人」を軽蔑する理由とその反応
渡邊芳之@ynabe39氏のツイート
運動の人とは?
@SANNGATUUSAGINO 運動のための運動になっている。運動のための犠牲にむとんちゃくである。手段と目的を取り違えている。みたいなことでは>運動の人?
2015-05-23 17:35:02賛同意見
@ynabe39 「怒れる人々」がいつも哀しみをないがしろにすることに常々反発を感じます。たとえその怒りがもっともなことでも、哀しみを伴わない怒りの発露は自己満足に思えて仕方がありません。
2015-05-20 20:49:45社会運動を熱心にする人は世の中にとって必要不可欠な存在だけど、プライベートに付き合いたいと思わない人が多い。無駄に内ゲバを繰り返す傾向はたまらない。原発事故と極右政権がなかったら、無関心なままだったろう。それでもやらなければならないひどい現状だと仕方なく…の層@ynabe39
2015-05-20 14:47:46付き合いのある運動家の皆さんは、そんなの百も承知だと思う。むしろ、「運動の人」というレトリックを聞いて怒ってしまう人を見ると、すこし不安になるよ。
2015-05-21 10:45:06例えば、被差別の当事者に向かって、「運動に参加しないのはだめだ」みたいに、支援者が語ってしまうようなことがある。運動それ自体が目的化してしまうと、そういう主客転倒も起こる。
2015-05-21 10:48:26ただ、ぼくも「運動の人」と批判的にいいたくなるようなケースもあってね。それは、ある《具体的な被害》を問題視するあまり、別の《具体的な被害》に無頓着なケースだ。前者に対抗するために激しい抗議を展開しながら、そのプロセスで自ら後者を抑圧したりすることがあるんだ。
2015-05-23 10:09:35例の、為末 @daijapan さんの「ヒステリックな正義の人」の件について考えている。先日わいなべ先生が触れていた「運動の人」と重なるように思う。理念は素晴らしくそれ自体は正しいのかもしれないが「ぼくのかんがえるゆいいつぜったいのせいぎ」で殴りに来る人は確かにいる。
2015-05-27 08:39:46反対意見
@ynabe39 そんなこともありませんよ。悲しみを怒りとして運動に取り組んでるせいで、悲しみが見えてこないというだけで。怒りしかない人、そもそも怒りすらない人もいますけど。人それぞれですが
2015-05-23 12:20:01その他
きちんと哀しみを持って活動している人(特に当事者)も多いのですが、それを狡猾に利用しようとする人たちが前面に出ている、政治力で団体の上に立ったりしているのがそう思わせる原因かも RT @ynabe39 運動の人には哀しみがないのさ。それが俺が運動の人を軽蔑する理由。
2015-05-23 12:01:40最後に
「運動の人」というのは、「何らかの社会運動にコミットしているすべての人」という意味ではなくて、「何らかの社会運動にコミットするあまり、手段が目的化して頭でっかちに正義を振りかざす人」ぐらいの意味だと思いますよ。運動に関わる人はみんなそういう陥穽に自覚的であったほうがいいと思う。
2015-05-21 10:26:35.@Lin_Jing_F ynabe先生は批判覚悟というか、批判を織り込み済みでツイートしているわけだし、批判すべきだと思ったのであれば批判すればいいのではないでしょうか。ぼくはそれより、読む側が自省する契機に利用すればいいのになとは思いますが。
2015-05-21 20:39:15