日本のポピュラー音楽批評が歌詞や精神性への偏重になってしまった最大の元凶は私見では二つ。

32
栗原裕一郎 @y_kurihara

日本のポピュラー音楽批評が歌詞や精神性への偏重になってしまった理由はいろいろ考えられるが、最大の元凶は私見では二つ。一つはロッキングオン。もう一つは吉本隆明。吉本が中島みゆきやユーミンを現代詩の文脈で論じ始めたのは70年代末、今では忘れられているけど吉本の影響はでかかったですね。

2015-06-05 07:36:30
栗原裕一郎 @y_kurihara

2000年前後くらいに、中島みゆき論をまとめるみたいな記事を書いたんだけど、その時点で中島みゆきだけを論じた本が30~40冊くらいあったのかな(原稿データがミッシング)、で、そのほぼすべてが歌詞論で、さらにはほぼすべてが吉本隆明影響下にあったという。

2015-06-05 07:47:05
栗原裕一郎 @y_kurihara

80年代半ばからニューアカ・ブームになって、アイドルや歌謡曲などを現代思想風に論じるというモードが出てくる。竹田青嗣が陽水を論じたり、笠井潔がユーミンを論じたりね。ニューアカの連中は吉本隆明とは反目していたわけだけど、その実、やってることは吉本のみゆき論の延長線上でしかなかった。

2015-06-05 07:52:34
栗原裕一郎 @y_kurihara

吉本隆明以前、歌謡曲をはじめとする大衆文化を擁護していたのは、思想の科学や新左翼の人たちで、振り返ればものすごく偏っていたわけだけれど、歌詞や精神性が云々されるモードが準備されたのはこの時点のことだったかもしれない。藤圭子とかね。輪島裕介『創られた「日本の心」神話』参照のこと。

2015-06-05 08:14:06
栗原裕一郎 @y_kurihara

あ、見田宗介『近代日本の心情の歴史 - 流行歌の社会心理史』 が抜けてた。1967年か。吉本隆明はこれを参照していたから、まあ、このあたりですよね。

2015-06-05 08:28:00
xxxxx @notregia

@y_kurihara 反吉本の呉智英先生もみゆき論を書いていたはずですけど、そしてどんなものだったかは失念してしまっていますが、仮に彼がその影響下にあったのだとすれば、マンガ論においてはそういった情緒性を排斥した論者であるのと対照的で面白いですね

2015-06-05 08:39:24
栗原裕一郎 @y_kurihara

「中島みゆきは中山みきである」ですね。あれも結局は、吉本のみゆき論がなければありなかったもので、吉本影響下の一つだと思います。収録された『中島みゆき ミラクルアイランド』からして、吉本―みゆき信者の人が編んだ本でしたし。 twitter.com/vitalibri/stat…

2015-06-05 08:48:43
栗原裕一郎 @y_kurihara

う~む、脱字が。寝ようと努力して飲みながら書いているもので。寝ます(笑)

2015-06-05 08:53:22
キモトヒロキ @ChigasakiGC

@y_kurihara さすがの考察です。矢沢永吉さんの自叙伝出版を境に文藝界と音楽界の往来が激しくなりましたね。その一方でジャズ批評のジャンルが隔絶感を強めていったような気がします。

2015-06-05 09:04:19
小谷野敦アンチTRA🦖 @tonton1965

@y_kurihara 呉さんは昔は吉本を評価してましたよ。

2015-06-05 09:23:44
KAT. @jazz_kissa_

@y_kurihara 平岡正明『山口百恵は菩薩である』(1979年)も反響が大きかったですね。

2015-06-05 09:29:37
クンジャ @doodle3451

@y_kurihara メロディーとかは、多くの人に説明しづらいからでしょうかね?

2015-06-05 09:30:54
根岸智幸 @zubapita

ロッキングオンも吉本隆明のポップス批評も知らんけど、僕はももクロやさくら学院の歌詞に胸打たれ、涙を流す。同じようなオッさんは多いらしい。 twitter.com/y_kurihara/sta…

2015-06-05 09:07:00
栗原裕一郎 @y_kurihara

リスナーが歌詞に感動するのは当然なんですよ。おれもしょっちゅう「何これ、超いい詞じゃね?」とか思ってますし。ただ論評するとなったとき、音楽を構成する要素は数々あるのに、なぜ歌詞や精神性だけが特権的になってしまうのかという話ですよね。 twitter.com/zubapita/statu…

2015-06-05 09:28:07
根岸智幸 @zubapita

歌詞や精神性に言及するのは、それが僕ら文系人間にとって唯一自信を持って歌に向かい合える手段だからかも。下手に音楽的要素に言及したら恥かき必至なのでw 論評を読む側にとってもね。 twitter.com/y_kurihara/sta…

2015-06-05 09:43:00
栗原裕一郎 @y_kurihara

そうそう、そうなんですよ! いま中島みゆき「歌姫」聴きながら書いてますけど、この曲とか歌詞だけ読んでも超ハイクオリティーな詩として成立していて、まあ、詞論はできてしまう。でもまず歌として聴いているので詞だけに限定するとこぼれ落ちるものがある。というよりそもそも詩として見ていない。

2015-06-05 09:57:41
栗原裕一郎 @y_kurihara

じゃあ、お前がいま聴いているそれは、言葉なのか音楽なのか、という。

2015-06-05 09:59:16
栗原裕一郎 @y_kurihara

意識が朦朧としてきたので寝ますよ(笑)

2015-06-05 10:03:52
万条由衣 @fkekotan

@y_kurihara 流れている音楽は舞台、背景みたいなもので、言葉(歌詞)は登場人物の動き、なんじゃないでしょうか。。。

2015-06-05 10:04:06
猫飛ニャン助 @suga94491396

@y_kurihara 竹田や笠井は、少なくとも公には、反ニューアカを標榜していましたし、そのところからむしろ、吉本に接近していました。

2015-06-05 10:33:30
枡野浩一 歌人さん▼12/19 #TCCGP▼8刷『枡野浩一全短歌集』▼『おやすみ短歌』▼『鬱の本』 @toiimasunomo

@y_kurihara 谷川俊太郎さんは「ニューミュージックの歌詞が現代詩に近づいたことなんかない」(私の曖昧な記憶による再現)と、インタビューなどで、はっきり発言していますね。たしか聞き手は正津勉。

2015-06-05 10:48:59
シェンロン용일 @shen1oong

@y_kurihara たしか幻冬者の見城さんが角川時代にミュージシャンの「歌詞集」を作ったり、別冊カドカワでアーティストを文芸誌の雰囲気で取り上げたりということを始めたのも影響があるかもしれません。角川は音楽家に小説を書かせるというのを熱心にやってましたね

2015-06-05 13:57:53
kentarotakahashi @kentarotakahash

マジか→中島みゆきだけを論じた本が30~40冊 twitter.com/y_kurihara/sta…

2015-06-05 08:42:34
kentarotakahashi @kentarotakahash

歌詞論による音楽批評というのも、やってみたい気はする。これまで避けて、避けて、やってきたが。

2015-06-05 08:48:36
kentarotakahashi @kentarotakahash

別に避けてきた訳ではないか。ただ、興味がサウンド&レコーディングに向いていて、音楽の感動よりも音響の快楽、などと言ってしまう人間ゆえに、あまり触れて来なかったというだけだな。

2015-06-05 08:53:32
1 ・・ 4 次へ