日本の宗教 ―無宗教と宗教嫌い、そして価値相対主義―
きゃーッッッ! 禅DIS ステキィぃぃぃッッッッ! RT @nanbashura: あと日本の宗教嫌悪・「無宗教」のロジックを整備したのも禅宗だと思う。
2010-12-26 00:10:21これ、かなり重要…! "@nanbashura: あと日本の宗教嫌悪・「無宗教」のロジックを整備したのも禅宗だと思う。"
2010-12-26 00:13:16なるほどー!! たしかに禅宗は淡白ですよね。RT @mittsko: これ、かなり重要…! "@nanbashura: あと日本の宗教嫌悪・「無宗教」のロジックを整備したのも禅宗だと思う。"
2010-12-26 00:16:20それはともかく無魂論、神通力の否定、絶対主義的な宗教観への嘲笑、仏像に宿る霊魂の否定、呪術儀礼の否定、自力本願、労働の宗教化、価値相対的コミュニケーションによるポジショニングなど、禅が無宗教・宗教嫌悪・価値相対主義に積極的に関わってきたことは間違いないと思う。
2010-12-26 00:24:46僕は仏教関係者の一般読者向けの本の死生観の部分が気になるのですが、やはり、「潔く」「ぱっと散る」のを美化する所を、考えなければいけないなと思っています。禅宗だけではないと思いますが。@nanbashura あと日本の宗教嫌悪・「無宗教」のロジックを整備したのも禅宗だと思う。
2010-12-26 00:31:51@nanbashura 禅は否定してみせることでの肯定、肯定してみせることでの否定、のようなひねくれたレトリックを用いるから、それを表面的な否定や肯定といった段階のみで捉えると、それこそ禅問答的な粗暴さ曖昧さが良しとされ、その奥に行くことができなくなる、と私は解釈。
2010-12-26 00:47:48@NorichikaHorie 戦中の道徳説教者の悪弊が未だ抜けず、当時のロジックが実質的に改められていないような風景は見かけます。
2010-12-26 00:48:36実はそれが「奥」の実在を錯覚させるトリックなんです。RT @pulin_gkd @nanbashura 禅は否定してみせることでの肯定、肯定してみせることでの否定、のようなひねくれたレトリックを用いるから、それを表面的な否定や肯定といった段階のみで捉えると、それこそ禅問・・・・
2010-12-26 00:51:17@nanbashura 中観の「空」が単なる「否定」ではないように、それも禅なりの「空」の表現なのではないでしょうか? 禅が中国的な「無」と結びついてしまっていることは否めないかもしれませんが。
2010-12-26 00:57:00@pulin_gkd 禅宗の僧侶というのは貨幣に似て、尊重するから価値があり皆が一斉に何で?と疑問を持った瞬間に無価値になるようなコミュニケーションポジションに居るんです。現状の悟りというのは言わば、もうこのことに疑いを持たないほど洗脳されたというお墨付きのようなものです。
2010-12-26 01:18:54ナンブさんの 禅宗(有体にいえば、曹洞宗)囀りに めちゃくちゃレスしたい、したいが 我慢する 日曜は基本、囀り休みの日にしているから
2010-12-26 01:29:25一点だけほざけば… 曹洞宗をただしく「日本仏教」というボンヤリした括り(それは有効だと思う)の 強い強い核のひとつとして しっかり認識しないといけない、と僕も思います つまり、室町期! いま「日本文化」なんて思われてるものの大半が、曹洞宗系ですよねぇ…
2010-12-26 01:30:59日本人の中には、「宗教(キリスト教)なんて信じてる点で、欧米人は自分より馬鹿だな」とどこかで思ってる人々も、いるんじゃないかと思う。
2010-12-28 00:25:13いるんでしょうねえ。特に無宗教やブッディストを胸を張って自称する人の中に。RT @IkeruMuenbotoke 日本人の中には、「宗教(キリスト教)なんて信じてる点で、欧米人は自分より馬鹿だな」とどこかで思ってる人々も、いるんじゃないかと思う。
2010-12-28 00:30:14@ikoishy 僕には、「反キリスト」としてのニーチェの言葉に何の違和感を持たない日本人よりも、むしろキリスト教徒としての、あるいはキリスト教を身近にする立場からのニーチェ読解に耳を傾けたいという思いがあります。
2010-12-28 01:11:30自分で考えてたつもりになってたけれど、多分「禅DIS」は京極夏彦の『鉄鼠の檻』と『陰摩羅鬼の瑕』に書いてた内容を、自分の考えのように書いてしまっただけ。誠に申し訳ない。自分で体験したことと余りに同じなので、後になってから気が付きました。
2010-12-29 01:54:32