剣道の成立について。打突部位の話題中心

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tetu @tetu162000

剣道をルールとして考えると、納得できない流派が沢山あるのはわかる。 とりあえず、袈裟や脛を有効打突部位に加えて、後は小手とか胴への切り上げを認めるとかなら良いのかな?それとも有効打突部位が有ること自体に納得いかないかな。 組打とかは流派によって全然違いそうだし噛み合わないかも。

2015-06-06 20:54:12
ちていのき @baritsu

でもその打突部位も古流の竹刀稽古時代に、それなりの理由を元に定まり暗黙の了解的に広まってきたものですしねぇ @tetu162000

2015-06-06 20:58:10
tetu @tetu162000

@baritsu もちろんそうなんですが、単純に見てみたいってだけなんです(笑) 変な話、興行として面白ければ最悪公平なルールで無くても構わないというか。

2015-06-06 21:08:51
ちていのき @baritsu

それは私も見てみたいですw そういう面白さは常に惹かれる部分ですね @tetu162000

2015-06-06 21:15:02
tetu @tetu162000

@baritsu 結局MMAみたいに何となくセオリーが確立されちゃうのは分かってるんてすけど、夢は有りますよね。 誰かアラブの石油王とかアブダビの王子とかに吹き込んでください(笑)

2015-06-06 21:24:04
福冨諭 /(' - ' ;)\ @fuktommy

@tetu162000 ルール違反でなくても「それは邪道だ」みたいな価値観が強いと思うのです。「その剣の持ち方はおかしい」とか。剣道固有の現象かと思って興味があったのですが、弓道警察の存在によって剣道固有ではないとわかってきました。

2015-06-06 21:39:41
tetu @tetu162000

@fuktommy 武道は多くの場合ルールより先に思想や技術が有るからだと思ってます。 ルール無しでも成立するんですけども、効率良い技術習得のためだったり、試合するならよりその流派の理合を体言出来てる方を確認する為だったり。正しいかは置いといて、理屈抜きで勝っちゃ駄目なんですね。

2015-06-06 22:02:36
tetu @tetu162000

@myroad38 @baritsu剣道の確立より前、幕末には共通の道具を使用する流派が沢山あった様です。胴の無い流派や突きを使わない流派も流行に乗っちゃったというか。どこかが強権を発揮した訳では無さそうです。 勿論明治でも独自防具、ルールの所も有るので、総意では無いと思います。

2015-06-07 09:06:05
tetu @tetu162000

戦前と戦後の剣道、技術とかにそこまで大きな変化は無いような気がする…と思うのは天覧試合の映像とか持田範士の映像を基準に見てるからだろーか。 天覧試合では組打はみっともないので自主規制とか書いてあったし、持田範士は特に品の良い剣道をしてた様だし。

2015-06-07 18:11:33
ちていのき @baritsu

鶏と卵ですが防具が面籠手胴であったこと、戦訓、理論(打ち難い所が練習になる等)から面小手胴突(+脛)が竹刀の打突部位の主になるわけですが、回国修行なんかで他流とやる時に違うと揉めるとか、講武所がそうだったとかで段々と広まったようですね @myroad38 @tetu162000

2015-06-07 19:21:00
みんみんぜみ @inuchochin

@baritsu @myroad38 @tetu162000 そもそも本来が怪我しやすい場所(顔と手)を守るための文字通りの防具だったのに だんだん打つ場所に変わっていったんでしょうね。まあ、手も面もどこの流派でも狙う場所ですが。

2015-06-07 19:50:12
ヌヌオ安@たますぃ〜丙提督都落ち生活中 @myroad38

@inuchochin @baritsu @tetu162000 まあ私が気になるのはそれで除外されて行った箇所かなあ…

2015-06-07 19:54:48
ちていのき @baritsu

袈裟なんかは早くに落ちたみたいですね。部位の限定は形と併修を旨とすれば補完できるわけだし、防具で力入れる打ちは体も鍛えられ息も長くなるという利点を消す方向に行くと意味ないし…と悩んだところなんでしょうw @myroad38 @inuchochin @tetu162000

2015-06-07 20:24:36
ヌヌオ安@たますぃ〜丙提督都落ち生活中 @myroad38

@baritsu @inuchochin @tetu162000 中武の推手みたいに条件限定下における攻防練習段階の一つの方法であるってなら理解できますね。

2015-06-07 20:29:03
みんみんぜみ @inuchochin

@baritsu @myroad38 @tetu162000 形でも有名流派(シントウ、新陰、一刀系、直心影、神道無念流、心形刀流とか)は割合から言えば拳(小手)と面がほとんどだと思います。下から手や腕を跳ねあげたり、足を切る技もありますが、割合としてはかなり少ないですし。

2015-06-07 20:35:32
みんみんぜみ @inuchochin

@myroad38 @baritsu @tetu162000 試合ってそういうものではないかと。

2015-06-07 20:35:59
tetu @tetu162000

@baritsu @myroad38 @inuchochin 脛とかはどうなんですかね?柳剛流があれだけ恐れられてたのを見るとあまり脛を打つ流派は多くなかったんでしょうか。 後は、何となく長竹刀とセットの戦術っぽくて、長竹刀が廃れたらやりにくくなったとかも有るかも?想像だけですが

2015-06-07 20:40:02
ヌヌオ安@たますぃ〜丙提督都落ち生活中 @myroad38

@inuchochin @baritsu @tetu162000 練習段階の1過程の方が価値が上がってそのせいで剣術流派が失伝して行ったのなら本末転倒だなあとぼんやり

2015-06-07 20:40:11
ちていのき @baritsu

その辺や後の実戦経験から「結局は面と小手メインだなやっぱ」という流れが出てくるわけですね。そんで実戦チャンスが無くなるとともに「竹刀稽古だけでもいいんじゃね」「竹刀と真剣は違うー!」という泥沼にw @inuchochin @myroad38 @tetu162000

2015-06-07 20:40:58
ちていのき @baritsu

回国修行で行った千葉道場で、6尺の竹刀で「おあし」と脛を打たれて負けた、て記録がありますから結構行われてたっぽい感じもしますね。柳剛流は特に得意としたわけですが、流行れば取り入れる人も多かったのでしょう@tetu162000 @myroad38 @inuchochin

2015-06-07 20:47:42
tetu @tetu162000

@baritsu @myroad38 @inuchochin それだけ流行ったのに明治に入ってからは今一廃れてるのは不思議といえば不思議ですね。

2015-06-07 21:09:14
我乱堂 @SagamiNoriaki

@tetu162000 @baritsu @myroad38 @inuchochin こないだ読んでた牟田文之助のあれの本には岡田道場にいったけど、なんか活気がなかったみたいなこと書かれてましたね…一時期以降は割りとすぐ廃れたのかも…?

2015-06-07 22:53:22
tetu @tetu162000

@myroad38 @inuchochin @baritsu 本を見た限りのなんとなくですが、剣術に流派が存在する事自体が本末転倒だ、とか考えてた人がそれなりに居たのかなぁ、と思ってます。 その是非は置いといて、時代の要請みたいなものでしょうか。

2015-06-08 07:18:41
tetu @tetu162000

@SagamiNoriaki @baritsu @myroad38 @inuchochin 強すぎて負けが込んだ大流派の圧力があった…とかだったらちょっと面白いですね(笑)

2015-06-08 07:19:47