【言語以前≒狂気を求めて】

宮台ゼミ@首都大学東京にて展開された、『あなたは、なぜ、つながれないのか――ラポールと身体知』(http://www.amazon.co.jp/dp/4393365372)を巡る、宮台真司先生と著者の高石宏輔さんのトークセッションをかいつまんでお届けします。ところどころ不正確なところがあるのはご了承ください。別途ブログ等にて形式を与えて編集しなおします。敬称略。 なお明日2015年6月18日(木)19:00~紀伊國屋書店新宿南店さんにて、高石宏輔さんライブトーク@ふらっとすぽっと!『あなたは、なぜ、つながれないのか』(春秋社)が開催されます。 https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-South-Store/20150603125039.html 入場無料。
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e-saka YSK @seigen_e
【言語以前≒狂気を求めて】宮台ゼミ@首都大学東京にて展開された、宮台真司先生と高石宏輔さんのトークセッションをかいつまんでお届けします。ところどころ不正確なところがあるのはご了承ください。別途ブログ等にて形式を与えて編集しなおします。敬称略。
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宮台「高石さんのご本を読んできた方はどれくらいいますか? うん。読んでみてどんな感じでしたか? そうですね、普段は味わわない印象だったんじゃないでしょうか。これを僕の言い方で言うと「落ち着いた感じになる」あるいは「静かな感じになる」と思います。これが一つのキーワードです」
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高石「講座に女性がきてくれて、ふと本を手に取ってプロローグを読み始めたら、引き込まれて、そのままなぜかレジに持って行って買ってしまったと。それで、この人なら安全だと思って講座にまで足を運んでくれたそうです」
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高石「街で出会った人に本の冒頭にあるようなことを話しても頭がおかしい人だと思われるだけなのに、それが本だから読んでもらえた。生身だと話も聞いてくれないのに。これって凄いことだなと思うんです。そして、誘導されて講座にまで来てくれた」
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高石「この本では読んだ人が今ある状態に気づくように、その人がどのように生きていけるのかを誘導しています」宮台「所々、仕掛けがしてあって、ある箇所で引っかかる人とそうでない人がいる。僕も読むのにとても時間がかかりました。そういうポイントが読者をスクリーニングしているとも言える」
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宮台「僕の印象では、高石さんという人は「書くもの」と「書く人」がこれほどまでに一致している人は珍しい、というものです。そして生身の高石さんに触れ、その声を聞くと、皆さんお感じの通り、やはり静かな感じになります」
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高石「誘われて芝居や踊りを見に行くことがあります。でもそういう場合はたいていダメで、たとえば、袖からダンサーが出てきた瞬間にあぁもうだめだ…まだ1時間もあるのか…どうしよう…という気分になります」 宮台「そういう踊りは「営業踊り」だからですね。ダメに決まってる」
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高石「でも、ある踊り手が、彼は高齢で足が悪くて杖をついているのですが、同じように袖からとぼとぼと出てきた瞬間に「これだ!」と感じて涙がでそうになったこともあるんです。そういうのを見ると、生きてて良かったと思える」
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宮台「営業踊りがだめなのは、相手の望んでいることを満たそう、期待に応えようとしてしまってるからなんですね。それは言語的な枠組みによって抑圧されたものによって成り立っている。だからつまらない。しかし今高石さんが話されたように、「言語以前のもの」を体験させてくれる踊りもある」
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宮台「これは危険なものです。言語や社会にとっては。「社会」と「世界」という表現がある。他者の期待に応えるということは、社会としては必要なことで営業踊りも大事なことではあります。僕も営業踊りをすることはある。それによって社会のコミュニケーションに参加するということでもある」
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宮台「しかし、言語以前-以後ということで考えると、踊りというのはそうした「社会」に参加するためのものではない。むしろ「言語以前」を体験することによって、かえって社会生活を難しくするものでもある。そして、身体そのものはそんな営業踊りみたいなことをしたくないんじゃないか」
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宮台「だから、言語より前にある/あったものに対して開かれたい、ということがある。それは言語化できない、あるいはしにくい形で存在しているコミュニケーションであり、高石さんが行っている観察もそこから来ているのではないだろうか」
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宮台「一方で、高石さんと僕との間には共通点があり、かつてコミュニケーションに何らかの障害が生じていて、しかしそれを誰かや何かに頼らないで克服したということです。人の愛を感じたり、温かい言葉といった「社会」によって克服したのではなく、「世界」に開かれるかたちでそれを克服できた」
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宮台「コミュニケーションの問題に対して、普通のカウンセリングでは、言語的な介入によってそれを治したとしています。でもそれは言語的な枠組みによってある種の抑圧を与えた、ということに過ぎない。高石さんが行ったり、本で書いていることはそういうレベルのものではない、ということなのです」
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宮台「僕が帯の推薦文で書いた「本書は悩む人のために書かれたマニュアルではない」という言葉にはそうした意味がありました」
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高石「そうですね。世の中には「そんなこと話しても何も得られないし、何も満たされないのに話している」ということがかなりあると思います。話しているというより話してしまっている、ということが問題なのかなと思います」
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宮台「それでも私たちはコミュニケーションの抑圧を回復しようとするときに、言語を使ってしまう。つまり言語によって言語を離れる、ということを試みる。かなり難しいことです。しかし、言語を使って言語の外のことを伝える、ということができるのも言語の働きです」
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宮台「言語以前のものに出会う、言語以前のものをどう語るか、ということもこの対話のキーワードになります」
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高石「そういう意味で言うと、この本は「呪いの書」でもあります。何かと言うと、本書を読んで「何の役にも立たなかった」という感想を書いてくれる方がいます。それを聞くと、良かったなって思うのです。彼らは自分の振る舞いが人にどういう影響を与えるのか、まったく見えていません」
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高石「盲点になっている。だから無自覚に人のことを傷つけていて、僕はそういう人たちに虐げられてきたのです意識のスピードが遅いことで人を傷つけてきた。しかし彼らがそう感じてそれを表現する、ということは、本書を読んで彼らは傷ついたということでもあります」
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高石「そういう人たちの無自覚さを刺激する何かがこの本には埋め込まれています。しかし、意識のスピード(自覚化)は訓練次第で速くなりますし、それが速くなったときにいろいろと見えてくるものがあります。だから今遅いことは悪いことではないと思います」
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高石「僕は自分より上の人に会うのがとても楽しみです。凄い期待している。でも「何か」を期待することはありません。自分を圧倒するものはいつ何時急にやってくるかわからない。だから隙間をたくさんあけておいて、よく分からないものが入ってこれる入り口をあけておく」
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高石「講座に来てくれた人で、ひとしきりワークを説明した後で「こんなことをやらなきゃいけないんですか…!?」と僕に食って掛かってくる人がいました。いや、自分で選んで講座にきてるのに…と思いながら「やりたくないと思えばやらなくても良いですよ」と伝えたのですが…」
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高石「やはり「こんなことをやらなきゃいけないんですか…!?」と。彼は、自分に劣っている部分、足りない部分があることを自覚しています。でもこの場ではワークをやりたくない。やれない」
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高石「そういったとき、講座という枠組みよりもう少し長いスパンでみると、彼のように怒ってくる人は、僕に対して怒った結果、かえって後でそのことを自覚するということが言えると思います」
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コメント

e-saka YSK @seigen_e 2015年6月10日
まとめを更新しました。
e-saka YSK @seigen_e 2015年6月11日
まとめを更新しました。
倉沢 繭樹 @mayuqix 2015年6月18日
まさに圧倒されて「完敗」な気分になる対談ですね。
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