『江戸しぐさ』を考えるーー冗談から真実へ

『江戸しぐさ』とタグをつけておけば何を言っても許されると思って最初の2ツイートを冗談で始めましたところ、そういえばと読書記憶をたどると微妙に真実を言い当てているところもなくはない、と気づきました。個人的な覚書。
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ボルボラ(シャミ麾下) @zairic0

江戸時代の人たちは権利意識が高く、労働基準法違反を見つけると即座に立ち上がり、弁護士に相談し訴訟を起こし勝利と不払い賃金、そして精神的苦痛を味わった賠償金とをもぎ取ったものです。現代人はそれができなくなって久しく、まことに残念なことです。 #江戸しぐさ

2015-06-10 12:19:39
ボルボラ(シャミ麾下) @zairic0

もちろんノーリスクだったわけではありません。訴訟で負けることもあるでしょう。しかし正義のために立ち上がり、民衆の生活を変えるために自らリスクを背負うその姿を、江戸時代の人は『粋』と呼び、たいへんな尊敬を集めていたのです。 #江戸しぐさ

2015-06-10 20:28:53
ボルボラ(シャミ麾下) @zairic0

もちろん8割くらい嘘なんだが、実は江戸時代の最盛期には、年間の訴訟件数が47,731件に達し、そのうち具体的な訴訟対象がいる「公事」という現代で考える「裁判」に等しいものが35,750件もあったので、まったく嘘というわけでもないのですよね、これが! フフーフ。

2015-06-10 20:52:13
ボルボラ(シャミ麾下) @zairic0

江戸時代(近世約280年間)に起きた百姓一揆は3200件を超過しており、そのほとんどすべてが事前に合法的な訴訟が前置きされているのが歴史的に確認されております。詳細は『日本人の法観念』(大木雅夫, 東京大学出版会, 1983年初版発行)のp.195をご参照くださいな~。

2015-06-10 20:59:00
ボルボラ(シャミ麾下) @zairic0

真の「江戸しぐさ」をご理解いただけましたでしょうか。まず訴訟を起こし、その結果に納得がいかなかったら一揆。この展開が毎月一回くらいどこかであったのが江戸時代です(3200件/280年 = 11.4)。これが『江戸しぐさ』ですのよ。 #江戸しぐさ

2015-06-10 21:06:18
ボルボラ(シャミ麾下) @zairic0

歴史認識として「厳しい封建制度のせいで屈従させられ、諦念に支配されていた百姓たち」というイメージも完全に間違っているわけではないが、以上の数字で見るように正しいわけでもない。江戸時代の百姓はそんなにおとなしくない。むしろかなり暴れるタイプです。

2015-06-10 21:12:32

コメント

松平俊介@暑い @matu2syun 2015年6月11日
その「公事宿」「公事師」を描いた時代劇に『はんなり菊太郎〜京・公事宿事件帳〜』というのもあるし、そもそも公事師がいまの行政書士・司法書士の源流ですからねえ…
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松平俊介@暑い @matu2syun 2015年6月11日
「馬喰町の公事宿」は葛飾北斎の浮世絵にも描かれています。
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松平俊介@暑い @matu2syun 2015年6月11日
江戸町奉行よりも管轄地域が広い、東京地裁の1年間の訴訟件数が現在約3万件なので、江戸っ子のほうが訴訟大好きだった訳ですね。(宮原賢一『論考・行政書士・江戸の奉行所と公事宿・公事師』より)落語の「大工調べ」でも、大工の棟梁はわざと訴訟をさせるようにしていて、違和感を覚えた立川談志が師匠の古今亭志ん生に聞いたところ「あの棟梁はズバリ、ケンカが売りたかったんだよ」といわれたそうな。
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はにわ @断酒とZBrush @016_haniwa 2015年6月14日
訴えかけたら話を聞いてもらえるという社会への信頼もあったんでしょうね。
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ut_ken @ut_ken 2015年6月14日
徳川吉宗は一時期、金銭関係の相対済令(公儀で扱わないので当事者間の話し合いで)を出したのも、借金帳消しとかでなく(借金は返せと念入りに言っている)、金銭公事で奉行所の業務がパンク状態だったから
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saebou @Cristoforou 2015年6月14日
面白そうな話だ。ただ、出てきてる先行研究が80年代のものなんだけど、それ以降新史料の発掘とかは?
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ショーンKY(専門家ソムリエ始めました) @kyslog 2015年6月15日
この時代は三権分立が無かったから、今でいう行政執行に該当する領域まで訴訟のうちに含まれてることもありえるので、単純に“訴訟社会”と見るかどうかはまた別。ただ、平安時代以来、支配権にまつわる権力闘争は訴訟を受け付けて判決を下す立場の獲得が明示的な目標になってたのも事実。地頭職やら検断やら。そうでなきゃ武力闘争当たり前の時代だったわけでもあり。
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