「哲学」と「歴史学」のあいだ、「哲学」と「哲学史」のあいだ
まあ同様に、門外漢は言及しないが吉、みたいな問題はあって、例えば哲学系の奴が、歴史の問題は固有名の問題、とか言い出すと、あまりのことに笑いが止まらなくなって、この馬鹿にこの先何百ページか付き合う気力を失う訳だ。
2010-03-07 00:45:52立派な哲学者でもそういう問題はあって、まあためにする史観ヘーゲルはしょうがないとしても、フッサールとかベルグソンとかはその段階でもう、およそ真面目に相手にする気にさえならない訳だ。彼等がせめて、同時代の歴史研究がどうなっているかに多少でも関心を持っていたらねえ。
2010-03-07 00:51:37「歴史」と「哲学」の間にさえかなり広いギャップが存在する。まして人文研究と理系の間には。そのギャップを超えて何らかの成果を生み出そうというなら、タームの流用は不正確であってはならない訳で。RT @hiroo @tamanoirorg 理系でも存在する問題のようにも思います。//
2010-03-07 02:50:19RT @nagato_y @tamanoirorg 以前、歴史学と哲学の合同シンポジウムで歴史学者の方が「それはもうミシュレのときにやった問題です」と繰り返し言っていたのをおもいだしました。
2010-03-07 02:58:41連続RTは、専門用語のいい加減な流用という本題よりも、「哲学」と「歴史」のあいだのギャップに注目した切り出し。いろいろ府に落ちるような。だとすると、哲学科のなかでも、哲学の人と哲学史の人(歴史学的アプローチで哲学的テクストを研究する)のあいだには相当なギャップがあるのだろうか。
2010-03-07 06:58:40@tricycler …先程の問題にも重なりますが、思想とか哲学が共時的にものを考える(つまり、たまに過去が捨てられているのに対して、歴史はいろいろなものを通時的に考えるので、総てのことは既に起こったことの変奏であるように考えたくなることがあるのではないでしょうか。
2010-03-07 07:20:40@Cristoforou かぶりましたね。確かに、哲学と歴史では、物事の「歴史性」の認識の深さにギャップがあるのでは、と思うことがあります。端的には、時代錯誤の問題なのですが。
2010-03-07 07:33:07哲学と哲学史を問題とし始めると日本国内的には泥沼という話を頂きました。「少なくとも日本の哲学科の教員の大半は歴史というのは事実の暗記だろう、くらいにしか考えていない場合が少なくないと(経験的には)思」う。うーむ、やはり相当なギャップがありそう。
2010-03-07 08:46:53RT @tricycler: 哲学と哲学史を問題とし始めると日本国内的には泥沼という話を頂きました。「少なくとも日本の哲学科の教員の大半は歴史というのは事実の暗記だろう、くらいにしか考えていない場合が少なくないと(経験的には)思」う。うーむ、やはり相当なギャップがありそう。
2010-03-07 08:51:50やっぱり根強い学校教育の影響。 「感想文を書いてるんだろう」と思われてる私たち(笑) RT @tricycler 哲学と哲学史を問題とし始めると日本国内的には泥沼という話を頂きました。「少なくとも日本の哲学科の教員の大半は歴史というのは事実の暗記だろう、くらいにしか考えていない
2010-03-07 08:51:56RT @tricycler: 「「哲学」と「歴史学」のあいだ、「哲学」と「哲学史」のあいだ」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/8338
2010-03-07 11:04:28そんな哲学科教員には会ったことがないなぁ。 RT @tricycler: // 「少なくとも日本の哲学科の教員の大半は歴史というのは事実の暗記だろう、くらいにしか考えていない場合が少なくないと(経験的には)思」う。//
2010-03-07 13:19:41@contractio このあたりは、個人的な経験が集積すると見えてくるものがあるのかもしれませんね。とりあえず、安易な単純化はしないことにします。
2010-03-07 13:51:56RT @U_Fuji: 歴史学と歴史哲学は(やや)連動しているけれど、歴史学と哲学は断絶している。それぞれ前提とする知識も議論も、問題意識も違う。だから「歴史」を問題にすると話がこじれる。
2010-03-07 13:55:26RT @U_Fuji: とはいえ、それぞれがそれぞれの研究領域に引き籠もってるだけじゃなにも変わらんと思うのよね。時には同じ舞台に立って問題を共有すべき(キリッ
2010-03-07 13:55:59