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私家版ハイデガースタディー06 非現前的時間によるメタボレーの先駆

この個人用まとめは、雑談のなかから主題を発掘しておくためのもの。主題とはハイデガーの読解であって、カント講義書~カント書で、カントが隠蔽したものとしての将来性、非現前的時間の超越論における規定名性、という問題で、これなくしては形而上学からのメタボレーが必然化しない、という話題なのだが、それでなくとも日本では、雑念が強烈に足を引っ張る。 固有名を超越論的時間規定という規定名以外の名称、たとえばヘブル的なものとして模索したり、ハイデガーの外部を、ハイデガーを読了せずに、フロイトの無意識だと実体的に思弁してしまったり、そうした雑念が渦巻いているからだ。 その根本は東洋は西洋と違うというものだが、後半、話題になる井上克人のハイデガー論では、ギリシャを含めた東洋を古典化するハイデガーのヘブライ性、つまり時間性が明らかになる。 続きを読む
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
おっと、根本的なタイポをしてしまったので、もう一度連投し直す。「因果を前提とする時間」ではなく、因果のような様相が前提とする時間だった、タイポ一つで正反対になってしまう。聖書など書くものではい。読み書きはバグだらけ。書くな、読むな! pic.twitter.com/15DIZBr4QX
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ね、半田さんもいっている、肉体ではないと。眼が肉眼でないのは、時空の中ではなく、因果が前提とする時間というように、神が一者ではなくなることだから、世界の中に留まることで、当然、物質的な心のことでもないね。twitter.com/kohsen/status/… @LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
半田さん、いいなー。ボケとツッコミといっている。うまい漫才なのかという趣味判断はよくわからないが、漫才でしか言えないことがある。問題は表明=企投できるかだから、被投は漫才的にしか企投できない。twitter.com/kohsen/status/… @LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
企投というのは、現象という眼前的でないものを眼前化すること、つまり現象の言挙げ。ハイデガーのカント講義書~カント書で、ハイデガーがカントを読解できるのは、誰でも被投していることを企投しようとしているから。@LitoSnowfield pic.twitter.com/IdvdUXA8ER
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
内省(省察)で言い当てられない現象が、漫才なら言い当てられる、という半田さんは面白い。言挙げによる眼前化が、現象の眼前化を追い抜くこと。この超越が言挙げ自体の能力に備わること。現象が言い当てられること。たしかに、漫才の方が好都合なのかもしれない。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
つまり単純に省察するな、独りで考えるな、独白するな、ということなのだが、それでリトさんとの最近のLINEチャットではこうした漫才になる。言い当てられた現象がまた非常に的確なのも、クローズドだからというより漫才だからだろう。また抜粋して転載してみるか。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
全部再アップしたよ。一文字違いでエライことになる。だから聖書に頼る連中はだめだ。バグで生きてるようなものだ。ちなみにさっきアップしたカント講義書は342-3ページだが、以下世界標準の独語全集ページ数にする。創文社版は上部にある。GA25-338-9.@LitoSnowfield
りと🍮 (5さい) @LitoSnowfield
@sunamajiri “肯定性は能動的なもののなかにしか存在しない”…良い言葉ですね〜(*^o^)/
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーは新カント派の「権利問題」も「コペルニクス的転回」も単なるスローガンに過ぎないと繰り返すのだが、GA25読解の漫才の転載の前によいスローガンを思いついた。曰く、内省で遡行するな。そんな飛躍では売れてしまうぞ。売れる前に超越しろ! @LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
そのとおり、カント書へ至る道というのは、新カント派~フロイト的な我汝関係を独我論として斥ける道なので、我汝関係を内省の延長としたり、心的と言われる無意識の機序を問題にすること自体が、世界入場を妨害してしまう。あるのは言挙げする漫才ぐらいだ。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
新カント派やフロイディアンの言うような「心的」では抵抗のような否認しか内省できず、柄谷のいい加減なアンチハイデガーでは、フロイト的な昇華も起こらない。では以下、非心的漫才の転載。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
LINEより、RT 2015.05.26 15:53 @LitoSnowfield FBでの斎藤さんの紹介記事削除なさいましたか(・o・)? facebook.com/kaoru.ohmoto/p…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
LINE 友人限定をシェアして全員向けに投稿すると非公開扱いになるね。再投稿しといたよ。facebook.com/kaoru.ohmoto/p… @LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
以下、昨日のLINEチャット転載は、リトさんのはRT、私のはナマのツイートにする。RT @LitoSnowfield 斎藤さんへ友達申請しちゃいました(*^o^)>あはは
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ヘビー読者だからね。いやそういうことをする人ではない。読者を大切にするというばかりか、たっぷりしている。そこが重要。@LitoSnowfield メッセージを添えましたが華麗にスルーされたりして〜(*^o^)>あはは
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
なぜか、國分さんがそれするタイプではある。しかし、斎藤氏はハイデガーという喉元をおさえてるから、虚勢が全く感じられない。いかにハイデガーが現代の原典になっているか、というのを如実に示している。@LitoSnowfield まぁ…ファンの末席ということで
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
あれはドゥルージアン。というよりフーコーでハイデガーを回避してるね。フッサールがわからなくナリアンじゃない? だいたいスピノザレベルだから。ww(^-^)/ @LitoSnowfield 國分さんはフッサーリアンじゃないのですか(・o・)?
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーを全集的に読まないと、内的必然性ということがとらえられないので、フッサールがわからないリアンどころか、カントが新カント派に退却してしまい、くらーーーくなるね。ハイデガーはそれを(カントの)暗さというのだが。みんな根暗が好きだからねー。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
RT @LitoSnowfield あ…フッサールではなくスピノ事案…(;uou)!
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
結局、スピノザの方法で汎神論にいっただけなのだ、カント的な転回は、当然スピノザにはないからね。問題はカント的転回でもカント的に退却しちゃう。転回をカント的に取り出したのはカントではなくハイデガーなのだよ。フッサールありきだが、フッサールはできなかった。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
コギトエルゴスムだと神が観念的に要請されるだけ、という相対化がスピノザの通用問題だが、柄谷も執着するスピノザのエゴサムコギタンスでも、神が一なる原因だから、因果が前提する時間に言及できないんだよ。@LitoSnowfield pic.twitter.com/TDkvwFrQ2k
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
平たく言えばだが、カントの発見があるとすれば、それは一なる神が原因(カテゴリー)でなくても、一性を直感する内的必然性を垣間見た、ということなんだよ。観念ではなく、直感に一性が備わった(宿った)状態なのだ。超越論的感性論参照ね。それはカントまでない。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
問題なのは、第一版でカントはそれ(因果が前提する時間)を超越論的構想力(想像力)と言いそうになったのに、第二版でそこから退却してしまうのだ。それをはじめて退却として位置づけて、構想力の時間性に連れ戻したのがハイデガーなんだよ。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
これでやっと、神という観念がなくても、思考が完結できるようになったのだ。これはおそらく歴史的にも人類初。カントが第二版で削除した第一版の叙述をよんでみればいい。これがいわばボツ原稿。@LitoSnowfield pic.twitter.com/NES2HleR0e
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
カントは第二版で構想力をごっそり削除するのだが、ハイデガーが講義書で立論的なのは、ここに明確な、「構想力は時間である」という趣旨がなく、曖昧さがあるために、カントが削除せざるを得なくなった、つまり内的必然性としての時間の削除が起こった、という論証。@LitoSnowfield
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