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山本七平bot @yamamoto7hei
①【上杉鷹山の企業家精神】米沢藩主上杉鷹山は、一般的には、節倹の美徳の例として引き合いに出される。<『1990年代の日本』
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②しかし、鷹山は、ぜいたくを慎しみ、浪費をおさえて、節倹に努めたばかりでなく、今日でいえば、株式会社のトップマネジメントとして、自社のもっている人的資源、経営資源を巧みに活用することによって、藩の繁栄の基礎をつくった類稀な人物である。
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③武士を労働力に転用して木材の伐り出しとか荒地の開墾とかを行って、多少でも黒字を計上するようになってから、緻密な収支計画をたてて資金の融通をあおぎ、この資金をもとでにして、今度は付加価値の高い藍の生産、楮の植付けを行い、さらには単に藍を生産するだけでなく、(続
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④続>二次製品として売り出すため藍染めまで行うという形で、徐々に藩の経済規模を大きくしていった。 鷹山の場合、その発想といい、行動様式といい、まさに「企業家精神」の立派な例である。 この鷹山の場合のように「企業家精神」は、江戸時代の幕藩体制下に充分存在した。
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⑤同時に、明治維新以前にすでに日本にはマニュファクチュア期の工業が存在していた。 したがって、日本は、欧米の列強とくらべると、おくれて資本主義国に仲間入りしたにもかかわらず、比較的短期間に先進国にキャッチアップできたのである。
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⑥鷹山は江戸時代において「所得倍増計画」を実行した藩主であったが、多くの藩におけるこのような鷹山流の行き方は新しい「企業家タイプの農民」を生み出した。明治初期を代表する「企業家」つまり「キャプテン・オブ・インダストリー」(産業の将帥)となった渋沢栄一はその様なタイプの人物である。
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⑦渋沢は、当時の身分制度からいえば、農民であるが、彼は自分自身を半農、半工、半商と定義しているように、藍玉をつくり、養蚕を行い、また、藍玉を買ってきては売るという、繊維・染料メーカーで、(続
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⑧続>その意識と行動は「企業家精神」そのものであって、従来の「耕して食う」という百姓とはすでに遠い存在になっており、意識も全く違っている。 鷹山は武士、渋沢は農民であるが、このほか商人からも日本の企業家は輩出している。 たとえば、大阪堂島の米相場で取引きしている商人である。
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⑨この取引所は高度に発達した経済組織であり「最も付加価値の高い商品は情報である」事は常識であった。 ここに出入りしていた商人達は天候とそれに基づく豊凶以外には関心を示さない農民とは異なって、情報が付加価値の最大のものである事をよく知っていた。 渋沢も藍の相場について記している。
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⑩これらの点が、同じように「勤勉」といっても、「企業家精神」をもっていた商人と、単なる農民との違いであって、天候以外の情報には関心を示さない農民は、いくら勤勉な農民になることができても「企業家精神」の持ち主にはなることができない。

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