山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神③】日本資本主義の特色

山本七平『1990年代の日本』/変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神/日本資本主義の特色/122頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【日本資本主義の特色】明治維新以降、各層から「企業家精神」をもった実業家が輩出したが、日本資本主義の特色を考える上で見逃すことのできないのは、銀行家の出身階級とその意識である。 明治初年、渋沢栄一の第一銀行を筆頭にしてナンバーのつく銀行が沢山作られた。<『1990年代の日本』

2015-06-11 16:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

②それらの銀行の設立者や経営者の多くはそれまでの藩の家老とか経理を担当していた高級武士であった。 ここが欧米の銀行と日本の銀行の一大差異であって、日本の実業家の思想が単にマネービルにあるのではなく、国民国家の成立と産業立国とが結びつき、時には…経世家精神的な行動もみられた。

2015-06-11 17:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

③「バンカー」というイメージは日本とイギリスでは非常に違う。 欧米では、銀行家はシャイロックの末裔であり、地位が一段と低い。 日本では旧藩での社会的地位がそのままその地域社会の地位へと平行移動した。

2015-06-11 17:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

④従って銀行家は地域社会のリーダーとして、地域社会へ貢献する事が当然のように期待されたし、銀行家の方もこれに応えようと努力した。 先程、明治時代の典型的な「企業家精神」の持ち主として渋沢を挙げたが、渋沢がパリ万国博の徳川ミッションの随員として行った際に舶来したものは少なくない。

2015-06-11 18:09:21
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤例えば今の株式会社に相当する「合本組織」、あるいは保険にあたる「請合」なども渋沢が日本にもってきた観念である。

2015-06-11 18:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥ところで、他の随員が気付かないのにヨーロッパでの社会組織や慣行がすぐ理解できたのは、渋沢が、それまでの農民とは違って、産業資本の観念を当時すでに自らの実践のうちに身につけていたからである。

2015-06-11 19:09:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦渋沢の創設した第一銀行の「請合」部が後の東京海上火災になるわけであるが、その初代社長は、旧藩主であったし、第十五銀行の初代頭取も旧藩主であった。 この時代の産業主義の担い手、たとえば、渋沢にしろ、福沢諭吉にしろ、旧時代との「断絶」がなかった。

2015-06-11 19:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧ということは、渋沢に見るように、すでに一部の農民の間にさえ、単純再生産だけではなく、拡大再生産を志向し、所得の余剰があれば、これを再投資にあて未来の所得を拡大するという経営者的農民の発想が、あったからである。

2015-06-11 20:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨従って、明治維新は、世界史上の画期的な大転換であったにもかかわらず、そこには試行錯誤がほとんどみられなかった。 「断絶」もなかった。

2015-06-11 20:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩そこに「機能主義者」である日本人の姿が投影されているわけであるが、「殖産興業」、「富国強兵」の路線が、いったん設定されると、このゴールに向って邁進していくという「機能主義者」の日本人は少なくなかった。

2015-06-11 21:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪「和魂洋才」というのは言い得て妙であるが、「洋才」は、藩の経営にタッチした主計将校団、渋沢栄一のような「経営者的農民」、あるいは、大阪堂島の商人にみられるような情報価値を重視した商人たちには、容易に導入できる方法であり、彼らには新しい変化に対応する準備が整っていたのである。

2015-06-11 21:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫一般の市民の生活も同様であった。会津若松城が陥落した明治初年から十年までの十年間は、昭和二十年の敗戦から昭和三十年までの十年間に匹敵する変革期であった。 この期間に行燈から石油ランプに変わっているが、この生活上の変化も試行錯誤なしに行っている。

2015-06-11 22:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬この変革は、日常生活においてばかりでなく、生産面への変化をも意味している。 行燈には菜種が必要であるが、ランプには石油の生産が必要になってくる。 菜種から石油の切り換えを大した抵抗なしにやり、しかも、全く自己流にいわば「土法」で石油を掘り出している。

2015-06-11 22:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭それに関する明治4年の新聞記事は少々驚きである。 そして「洋法」が入ってくるのはやっと明治11年である。 こういう国民は、そう多くない。 このプラグマティックな精神が、日本人の「企業家精神」を生み出す土壌となっている。

2015-06-11 23:09:14