山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神⑤】企業家精神の持ち主はチェンジ・テーカー(変化を受ける人)ではなく、チェンジ・メーカー(変化を作り出す人)

山本七平『1990年代の日本』/変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神/チェンジ・メーカー/126頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【チェンジ・メーカー】「企業家精神」の持ち主は「変化を受ける人」(チェンジ・テーカー)ではなく「変化を作り出す人」(チェンジ・メーカー)である。 戦国武将でいえば…織田信長がそうであり、江戸時代では前に述べた上杉鷹山がそうであった。<『1990年代の日本』

2015-06-12 15:08:55
山本七平bot @yamamoto7hei

②鷹山の場合、「士農工商」の身分制度が厳然としていた時代に、武士を農耕、植林、養蚕等の農民のやる仕事に従事させるというようなことまでやった。 これは、ゴーイング・コンサーン(事業が継続する経営組織)としての藩を存続させるためには必要な政策であった。

2015-06-12 15:39:01
山本七平bot @yamamoto7hei

③鷹山にみられるように、すぐれたリーダーにはステーツマン(経世家)としての側面と、アントルプルヌール(企業家)の側面との両方の側面があることを忘れてはなるまい。

2015-06-12 16:08:55
山本七平bot @yamamoto7hei

④明治維新期に活躍した下級武士をみると、興味深い事には経済活動に従事していた人が少なくなかった。 この事はもっと注目されてよいと思う。 例えば土佐の坂本龍馬がそうである。 彼は武士であると同時に質屋の子供であった。 従って資金融通の重要性を誰よりも良く知っていたと思われる。

2015-06-12 16:39:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤軍隊でもあり、後の商社の源流になる海援隊を組織し、統率していくには、資金調達の能力は欠かせないが、龍馬はその方面でも力量を遺憾なく発揮している。 これは彼の生まれ育った環境とは全く無縁である筈がない。 龍馬の経済的側面での後継者が岩崎弥太郎であった。

2015-06-12 17:08:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥三菱財閥の創設者となった岩崎もまた、土佐の龍馬と同じく下級武士の出身であった。 日本の「企業家精神」は、形を変えながらも脈々と受け継がれている。 現在は、たしかに大きな変革期であり、多数の「企業家精神」をもった人を必要としている。

2015-06-12 17:39:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦そして、それは、これまでの偉大な先達がそうであったように、先のことをよく見通すことのできる「テレオクラ―卜」(teleocrat)型の「企業家」である。

2015-06-12 18:08:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧この「企業家精神」と「勤労のエートス」のある限り、日本経済は今後もダイナミックに発展してゆくだろう。 だが、ここで注意しなければならぬのは明治の企業家、政治家の情報への対処の仕方である。 これについては「不易」と「流行」で記し、ここで科学技術という問題を取り上げよう。

2015-06-12 18:39:05