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山本七平bot @yamamoto7hei
①以上のように見ていくと、あらゆる面における大正の課題は、このパイロット・プラントを、何とかして全国的プラントにすることであった。 では方法があったのか。 「歴史にifはない」が、「もし、仮りに……」と考えることは、将来を考える場合の一つの示唆になることは事実である。
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②そこで、もし「日本的ニュー・ディール政策」をやったらどうなったかを考えてみよう。 というのは前記の渋沢栄一のような発想をしていた人間もいたのだから、アメリカのニュー・ディール政策の行方をじっと見て、先方の景気が回復して来たのを見定めてから、それによる日本の景気回復に乗じて(続
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③続>有効需要の創出、生産拡大、軍事費の削減による財政投融資の拡大、一雇用の拡大へと進んでいったらどうであったろう。 当時の日本の経済力は貧弱であったとはいえ、終戦直後のようなゼロではない。
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④勿論インフレ、外貨危機、円の切下げ等は生じたであろうが、当時の1ドル2円が360円に切り下げられる程の状態にはなるまい。戦争で全てを浪費しつくし、かけがえの無い人材を失い、挙句の果ては国土を灰燼に帰し、殺人的インフレで苦しめられた事を思えば、その選択は考慮の余地がないであろう。
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⑤ではなぜそれができなかったのか。 ここで考えねばならぬことが、渋沢秀雄氏の言われる「不易」と「流行」である。
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⑥日本が、自由主義・資本主義の方向へと進むという方針が「不易」であれば、それは当然に「大正自由主義的パイロット・プラント」の「全国的プラント」化への方向づけができ、そのための新しい行き方という「流行」への情報を的確につかみ得たであろう。
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⑦これが、もし、 「渋沢栄一がアメリカに行ってニュー・ディール政策を見たならば」 と前章で記した理由である。
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⑧だが昭和はこの点に於て大きくぐらついた。 ソビエトが出現すれば左に傾き、ついでナチスが台頭すれば右に傾き、大正自由主義の反動が頭をもたげて、自由主義・資本主義は「悪」と規定され、基本的方針はもはや「不易」とはいえぬ状態になった。
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⑨それと同時に、真の意味の「流行」への敏感さがなくなり、情報を的確につかんでそれを自らのものとして活用する道を失ってしまった。 そしてその背後にあるものは 「西欧自由主義国から学ぶべきものは学んでしまった。これらの国々が既に行きづまっている」 という錯覚である。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑩この錯覚もまた戦後にうけつがれたが、ここで忘れていた事は「人間は対等の友人からも学べる、その場合には相互に、学びかつ学ばれる」という事なのである。 現在アメリカは日本から学べると考えているが、日本もまたアメリカから学べる点がある筈である。 だがそれには、その態度が必要であろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑪もちろん現在は大正時代と同じではない。 しかしそれは「不易」と「流行」との関係が変わったという事ではない。 日本が「自由主義・資本主義国の一員」を「不易」とし、その方向に日本の未来を開こうとする基本方針を崩さなければ「流行」に対応すべき情報は的確に獲得でき、それを活用できる。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑫だが基本をはっきり意識して把握していなければ、昭和5年から15年までのように、一切の情報に盲目になるであろう。

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