日本海軍の魁、江戸幕府海軍

日本の近代的海軍の始祖の始祖、江戸幕府海軍について扇さん(@ougi1515)が語ります
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@ougi1515

第二次世界大戦中、世界最強を誇った旧日本帝国海軍。艦これブームもあって旧海軍に憧れ、勉強する人も多くなった。 今日はその帝国海軍の最初の最初。まだ日本帝国海軍じゃなかった時代の話しをしようか。 時代は幕末に遡る。当時、欧米列強の軍事力の象徴は軍艦だった。軍艦が全ての時代だった。

2015-06-20 22:07:25
@ougi1515

1853年、ペリー率いるアメリカ艦隊が来航。サスケハナを旗艦としたアメリカ艦隊は日本にその軍事力の強大さをまざまざと見せつけた。 四面を海に囲まれた日本の海防を充実させるには黒船に勝る軍艦を持たないといけない。江戸幕府はそれまであった大船建造禁令を解除し、軍艦建造を奨励する。

2015-06-20 22:12:24
@ougi1515

軍艦といっても太平洋戦争中みたいな巨大な鉄の塊ではない。当時の軍艦は木造船でありスクリューで動かす所謂蒸気船が主流だった。しかし未だに帆を張っている船は多かった。 そんな中江戸幕府が一番最初に模倣で作った西洋軍艦が鳳凰丸である。蒸気船ではない普通の帆船だったために輸送船で使われた

2015-06-20 22:17:33
@ougi1515

鳳凰丸が僅か8ヶ月という驚異的な早さで作られている中、ペリーの要求通り開国するか否か江戸幕府は武士から町人まで広く意見を募った。その中で日本も海軍を創設し、そのために軍艦購入と海軍生を養成すべきであるという意見が幕府の目に留まる。 この海防論を書いた人物こそ、勝海舟であった。

2015-06-20 22:23:34
@ougi1515

幕府は早速海軍創設に着手。最も友好国だったオランダに軍艦の発注、操練所の開設を取り付けた。 1855年、オランダから観光丸が寄贈される。早速幕府はこの船を練習艦として使用、長崎に操練所も開設した。これが長崎海軍伝習所である。伝習所は後に生徒が増えたため江戸に近い築地に移転する。

2015-06-20 22:29:20
@ougi1515

この海軍伝習所出身には勝海舟を初め榎本武揚、沢太郎左衛門、五代友厚、佐野常民、松本良順など明治維新に貢献する人物が沢山いた。 ちなみに伝習所が築地に移転されたのが1859年と日米修交通商条約を結んだ僅か1年後であり、いかに幕府の対応、生徒の習熟能力が高かったかを伺い知れる。

2015-06-20 22:34:09
@ougi1515

1860年には遣米使節団がポーハタン号にて太平洋を横断。随行した咸臨丸も太平洋を横断した。 1862年には日本初の国産軍艦千代田形丸の建造、最新鋭軍艦の開陽丸、甲鉄艦の海外発注、回天丸、蟠龍丸など中古軍艦の大量配備、榎本武揚や沢太郎左衛門ら海軍幹部候補生の外国留学などを実施した。

2015-06-20 22:38:55
@ougi1515

1866年には総裁制度が導入され海軍局が設置。従来の海軍組織の上に乗るかたちで老中格の海軍総裁が置かれた。また軍艦奉行の上に海軍奉行が新設された。海軍階級制度が出来、軍服も制定された。築地の軍艦操練所は海軍所と改称された。この頃にはすでに後の大日本帝国海軍の基盤が出来上がっていた

2015-06-20 22:42:31
@ougi1515

幕府海軍は欧米列強から見れば多国籍軍みたいになっていた 蟠龍丸は英国、回天丸はプロシア、開陽丸はオランダ、甲鉄艦はアメリカと建造国がバラバラだった 気がつけば1867年を迎える頃には幕府海軍はアジア最強の海軍になっており、少なくとも開陽丸や富士山丸に敵う軍艦は他藩に存在しなかった

2015-06-20 22:46:44
@ougi1515

【徳川幕府海軍艦船一覧①】 軍艦…開陽丸、回天丸、蟠龍丸、千代田形丸、富士山丸、朝陽丸、観光丸 輸送船…咸臨丸、千歳丸、神速丸、太江丸、鵬翔丸、千秋丸、順動丸、長崎丸、太平丸、翔鶴丸、黒龍丸、美賀保丸、鶴港丸、龍翔丸、長鯨丸、奇捷丸、行速丸、飛龍丸、鳳凰丸、昇平丸、旭日丸、先登丸

2015-06-20 22:55:53
@ougi1515

【徳川幕府海軍艦船一覧②】 輸送船… 君沢形(ロシア船ヘダ号を模して建造した輸送船。君沢形建造に携わった多くの船大工が後年の造船を支える)十隻 箱館形(箱館奉行が独自に建造した西洋式輸送船)二隻 長崎形(長崎海軍伝習所で建造された西洋式輸送船) 豊島形(詳細不明の輸送船)四隻

2015-06-20 23:00:29
@ougi1515

時代によって異なるがこの時代にはまだ戦艦とか重巡洋艦などの艦船は存在せず、戦列艦、フリゲート、コルベット、スループの四種類が主だった。備砲が多い順で種類が変わり、日本が持っていたフリゲート艦は開陽丸ただ一隻でほとんどコルベットやスループだった。

2015-06-20 23:05:49
@ougi1515

1868年に戊辰戦争が始まり結果旧幕府勢力が敗北すると明治政府は幕府陸海軍を吸収する。幕府に限らず他藩の軍も吸収した。幕府の海軍伝習所は諸藩の伝習生の受け入れも行ったため、幕府海軍だけでなく有力諸藩も海軍を整備出来、政府は幕府艦は64隻、諸藩合計で127隻の洋式艦船を取得出来た。

2015-06-20 23:10:01
@ougi1515

私がガチで詳しく話せるのはここまでw 明治に入ると帝国海軍、帝国陸軍として整備されていった。 海軍は東郷平八郎、山本権兵衛などの薩摩出身、陸軍は山縣有朋などの長州出身で固められ、明治6年の政変から西南戦争が勃発すると薩摩派の勢いが衰えるのと同じに海軍も一時衰え、陸軍の時代を迎える

2015-06-20 23:14:39
@ougi1515

海軍に再びスポットが当たるのは日清、日露戦争時でありこれまで陸軍の陰に隠れていた海軍が大活躍であった。ちなみに連合艦隊が出来上がったのが日清戦争の頃で日露戦争以降常設となる。 この辺り、これ以降の海軍史や戦艦は大体色んな書店行ったら詳しい本売ってますので勉強しやすいかな?

2015-06-20 23:20:15