権力者への制裁の不在―社会的地位=「制裁からの自由」⇒集合的無責任

メモ 「集合的無責任」体制をキーワードに日本の統治機構の戦中と敗戦後を顧みる http://togetter.com/li/820484
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社虫太郎 @kabutoyama_taro

ていうか百田発言でもフジテレビの捏造でもそうだが、明確な違法行為ではないが明らかに社会的に不適切な言動に対する「制裁」というものが果たしていかにして可能なのかというアポリアのほうが最近は気になって仕方がない。そもそも制裁が可能なのだという想定じたい幻想なのではないか?

2015-06-29 01:06:39
社虫太郎 @kabutoyama_taro

英国のノーベル賞学者がセクハラ発言でクビになった事件は記憶に新しいが、そもそも日本の場合、社会的地位・威信の高さとはまず第一に「制裁からの自由」の程度を意味しているのではないか。これ前にも書いたことがあると思うのだが。

2015-06-29 01:13:14
社虫太郎 @kabutoyama_taro

江戸期の切腹文化が良いというわけではないが、どうも明治以降の日本のエリート文化は、この「社会的地位=制裁からの自由」という文化の確立にこそ最大の血道を注いできたのではないかと思えるほど、近代日本には権力者に対する制裁や粛清の類が見られない。これも何度も書いたことだが。

2015-06-29 01:23:50
社虫太郎 @kabutoyama_taro

ぶっちゃけ今も連中が引き摺ってる東京裁判への恨み節にしても、この「粛清されないのが当たり前」という文化をベッタリ自明視しているがゆえの逆ギレでしかないように思える。

2015-06-29 01:27:44
社虫太郎 @kabutoyama_taro

なにせ陶片追放がそうであったように民主主義とは要するに権力者に対する制裁の仕組みに他ならない(それは国家の土台が暴力装置であるということとパラレル)わけで、そもそも制裁の実効性がないところで民主主義がどうこうと言ってもそんなものは砂上の楼閣でしかないだろうと気がしてならない昨今。

2015-06-29 01:41:44
社虫太郎 @kabutoyama_taro

制裁の仕組みがない世界での「民主主義」など、それこそ橋下がバカの一つ覚えで「民意」と叫び続けたように、むしろ権力者のヘゲモニーを支える道具としてご都合主義的に収奪されるだけではないか。

2015-06-29 01:45:40
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

誰かがひどい暴言を吐いたり他人を恫喝する態度をとった時、昔なら社会的な制裁を受けて地位を失うことが多かったが、最近は「暴言や恫喝の何が悪い」と居直る人間が、社会のいろんな場所で制裁も受けずに、堂々と地位を保っている。そういう人間が、「美しい国」などの正反対の言葉を好んで口にする。

2015-06-28 13:53:12
Mami Tanaka @mami_tanaka

美しい国などといいながら暴言や恫喝を繰り返した石原慎太郎を不問にしてきたツケだと思う。「美しい国日本」は石原慎太郎が言い出したんじゃないのかな。 city.gotemba.shizuoka.jp/information/ad… pic.twitter.com/j0XFi87Djc

2015-06-29 08:19:54
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社虫太郎 @kabutoyama_taro

twitter.com/kabutoyama_tar… 制裁なき文化の究極型が、完全に自己完結的人事権を有する自律集団たる日本の官僚組織。 諸外国じゃ程度の差こそあれ高級官僚はあくまで政治任用で、それが事実上の粛清を意味している。 kantei.go.jp/jp/singi/koumu…

2015-07-17 00:59:04
社虫太郎 @kabutoyama_taro

日本じゃ官僚組織のトップたる事務次官人事にすら議会(国会)はタッチできない。およそ驚異的というか何この統帥権不干犯状態。今も太政官制が続いていると言い得る所以。 民主党政権はここにメスを入れようとして潰された。仮に国会が一致団結してやろうとしたら本物のクーデター起こすだろうな。

2015-07-17 01:11:11