刀工国広と山伏中心堀川派考察
- NayutaKoryu
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堀川国広の先祖について読み返してたら「藤原」のアレ書いてあったアーーーー! pic.twitter.com/EwhL7KhuT3
2015-04-06 01:11:34田中国広って基本交流する相手の年齢が10以上離れた年下ばっかりなんだよね〜 それに弟子を多くとったというし面倒見がいいのかな マンショの件はわりと推測の粋を出ないものだけど、それが事実とすればさもありなん
2015-04-28 11:37:39そういえばこれはすこぶるどうでもいい話なんだけど、田中国広って長尾顕長から槍を褒美としてもらってるんだけど、国広の獲物って槍だったのかしらん?
2015-04-28 11:30:40足軽大将やってた時が槍隊だったかもしれないな 獲物じゃなけりゃ下げ渡す理由も特にないし…長尾顕長が槍使ってたってこともないし…
2015-04-28 11:41:09贋作といえば虎徹だけど国広にもたくさん贋作があってな 釜山打ちとか言われる刀は今のところすべて贋作、佐和山銘も贋作、実際に朝鮮に行ったとか佐和山で鍛刀してたとかいう説はあるけどそこで作られたとされる真作の刀はまだ一振も見つかってないっていう
2015-05-10 02:48:41新刀を代表する虎徹と国広はその江戸の流行りの脆く装飾過多な美しいだけの刀とは違って、よく斬れるし刃は美しいしで、だからこそ高値だったよう
2015-05-12 11:51:50「国広」とだけ銘の切られている刀は堀川国広(田中国広)とは違う人物、例えば二代目国広だとかいう説もあったりする(銘の字体が少し違うらしい)
2015-06-06 21:22:27字も綺麗で言葉選びも洒落てて、足利学校行ってたくらいなので頭も良くて老体でも戦に参加するほどアクティブで武士の心得とは何なのかを理解し巧みな彫り物を施すことができ、切れ味鋭く美しい刀を鍛えられる刀工国広とかいうチート性能
2015-06-29 13:45:33んん~~む そういえば伊東崩れ、義祐が「奢侈に流れて内政を疎かにするのを忠告した家臣を遠ざけて、自分の都合のいい家臣だけを身の回りに置いていた結果裏切り寝返りが多発した」ってんだけど
2015-09-26 02:45:53いや、むしろマンショの親が国広に任せたんじゃ?っておもったらマンショのお父上、豊後落ちの道中で亡くなった(かも)とか出てきて???もしそうならマンショがローマ行くまでずっと付き人やっててもおかしくないよな
2015-09-26 02:57:25山伏国広考察
山伏って生まれがそもそも修行中に作られたものだから美術品としてか修行かしか存在を見出だせないとかだったらやべーなって今思って「すべてを笑い飛ばせるほどに強くなりたく」の言葉を反芻しながら寝てる(寝てない)
2015-01-26 03:52:33!!!!!!!!!!!待って今更なんだけど山伏戦闘の立ち絵さ、負傷すると刺青濃くなってる!!!!!!!!!!!!!!! pic.twitter.com/8uTMfOWmWX
2015-04-19 00:24:03常に平静を保とうとしている山伏にとって感情の起伏によって刺青の濃さが目に見えて分かるっていうのは実際においてその身を焦がすような気分なのでは????自分自身を焼くカルラ炎??????
2015-04-21 14:47:05そういえば、なんとなく思ってたんだけど、山伏の「二月彼岸」っていうのをみると、まあなんとなくなんだけど、弔いや供養っていう意思が強く感じる気がする
2015-04-27 12:54:08山伏が実戦刀であったかどうかについて 彫り物で強度が落ちるとか、そも弔いのための刀だった説とかあるけど、やっぱり何より国広の時代ではすでに太刀は主流ではなく、古刀は磨り上げて打刀のように使っていて、新たに太刀を造るとするなら奉納だとか祭事関係になるというのがありますね
2015-05-07 10:06:58