AERA報道 「自主避難者」住宅の無償提供が打ち切り!福島県「17年3月まで」と発表 フリーライター・吉田千亜氏
- karitoshi2011
- 3392
- 1
- 1
- 19
AERA 2015年7月6日号「自主避難者」住宅の無償提供が打ち切り! 福島県「17年3月まで」と発表 by フリーライター・吉田千亜 (更新 2015/6/29 16:20 (以下引用)
2015-07-02 19:08:50引用1 河井さん宅に取材に行ったのは午後3時ごろ。母の目線の先には、近所の子どもたちと遊ぶ娘の姿が。子どもたちには「避難者」かどうかは関係ない(撮影/写真部・植田真紗美)
2015-07-02 19:09:54引用2 福島県は6月15日、いわゆる「自主避難者」への住宅無償提供を2017年3月で打ち切ると発表した。復興の加速と帰還促進を目指す国の意思だという。(フリーライター・吉田千亜)
2015-07-02 19:10:10引用3 「うるせぇ! 帰るところがあるヤツは、帰れ!」 スポーツセンターの広いロビーに、初老の男性の怒号が響いた。身をすくめる子どもたち。言葉を向けられた河井加緒理さん(33)も咄嗟(とっさ)に返す言葉がない。
2015-07-02 19:10:29引用4 「私たちは、認められない存在なんだ……」 そう自覚した瞬間だった。2011年3月下旬。栃木県内のスポーツセンターでのことだ。
2015-07-02 19:10:52引用5東日本大震災に伴う原発事故からの避難者が身を寄せていた。誰もが同様の境遇なら、冒頭の発言はなかったかもしれない。だが、避難者は政府による避難指示の有無によって、自宅に帰りたくても帰れない「強制避難者」と、物理的には帰ることが可能だが避難を選んだ「自主避難者」に二分されていた
2015-07-02 19:11:28引用6 「原発が爆発して、安全なはずがない」 と、当時5歳と3歳の子どもを連れて福島県いわき市の自宅を出発、この避難所へ来た河井さんは、後者だった。
2015-07-02 19:11:45引用7 1カ月後の4月に埼玉県へ。現在まで、災害救助法に基づく福島県による住宅の無償提供を受けて公営住宅に暮らしてきた。その無償提供が16年度いっぱいで打ち切られる。河井さんは言う。
2015-07-02 19:12:01引用8 「このままでは、追いつめられた親は子どもと路上生活するしかない。『もう大丈夫。ありがとう』と言える日まで、家を追い出さないでほしい」 自主避難者にとって今回の決定は、「2度目の切り捨て」とも受け取れるものだった。
2015-07-02 19:12:19引用9 最初の「切り捨て」は、政府が原発事故後、避難指示を出す基準を「年間被曝(ひばく)線量20ミリシーベルト」と定めたことだ。
2015-07-02 19:12:39引用10 ●国の避難指示出ると信じた 原発事故以前の日本の年間被曝限度は1ミリシーベルト。原発事故後は、これが20倍になった。自主避難者の多い福島県の中通りやいわき市の事故直後の放射線量は、この基準には達しないものの、平時の数百倍から1千倍。
2015-07-02 19:12:56引用11 正確な放射線量や被曝の影響についての情報が錯綜(さくそう)する中、自分の住む地域にも避難指示が出ると信じて避難した人も多くいた。
2015-07-02 19:13:13引用12 6月15日の記者会見で内堀雅雄・福島県知事は無償提供打ち切りを「帰還や自立を促すため」と説明したが、戻る場所がないケースや自立できないケースも少なくない。
2015-07-02 19:13:31引用13 「原発離婚」という言葉がある。子どもの被曝リスクを減らすために避難を選択した妻と、避難は必要ないと考えた夫。避難生活を支えるために離れて暮らすうち、気持ちがすれ違ってしまった家族。取材の過程で多くの避難者に出会ったが、原発事故後に離婚したという夫婦は5組や10組ではない
2015-07-02 19:13:52引用14 冒頭の河井さんも避難を巡る意見の食い違いで夫と離婚していた。栃木県内の避難所、親戚宅などを転々としてたどり着いた埼玉県の公営住宅。避難に否定的だった夫は同行せず、避難先での生活費も自分で工面するしかなかった。
2015-07-02 19:14:23引用15 すぐに保育園と仕事を探し、病院の看護助手としてフルタイムで働き始めた。慣れない土地での生活。仕事をしながらの孤独な子育て。夜が来るたびに泣いて過ごす半年間を経て、11年11月に離婚した。
2015-07-02 19:14:44引用16 酒浸りになった時期もある。一番守りたかった子どもたちに一日中留守番をさせてでも働かざるをえず、精神的に追いつめられ、思わず子どもに手を上げかけた。
2015-07-02 19:15:19引用17 そんな毎日を少しでも明るくしたくて、思いきってカーテンを買い替えたとき。新しいカーテンを見た近所に住む女性に投げかけられたのは、こんな言葉だった。 「避難者はいいわね、お金がもらえて」
2015-07-02 19:15:42引用18 そもそも自主避難者は、複数の共通する困難を抱えている。 一つは、経済的な困難。「すべての避難者には東京電力から高額な賠償金が支払われている」という誤解があるが、強制避難者なのか自主避難者なのかによって、受け取れる賠償金や支援には大きな違いがある。
2015-07-02 19:15:59引用19 例えば、帰還困難区域から避難している4人世帯の賠償実績は、2013年時点で1億円(財物・就労不能損害・精神的損害)。これが自主避難者の場合、18歳以下の子どもと妊婦は1人につき68万円、大人は1人につき8万円が基本。
2015-07-02 19:16:18引用20 河井さんが手にしたのはこれにわずかな追加賠償を加えた約150万円のみだ。 母子3人の避難生活を支える金額としては、あまりにも少ない。住宅の無償提供は、自主避難者に対するほとんど唯一の経済的支援だった。
2015-07-02 19:16:37引用21 二つ目は、孤独や孤立という困難。原発事故以前のコミュニティーから切り離され、河井さんがそうだったように、避難先では「勝手に避難してお金をもらっている人たち」という視線にもさらされている。
2015-07-02 19:17:00引用22 三つ目は、未来の生活を描けないという困難だ。自宅のある地域の放射線量は、今後どう推移するのか。どこまで下がったら戻るのか。このまま下がらなかったら、避難先に永住するのか。避難先の人に「いつ帰るの?」と聞かれて困惑したという話はよく聞く。
2015-07-02 19:17:16引用24 ●私のせいじゃなかったはず 磯貝潤子さん(41)は、2人の娘とともに福島県郡山市から新潟県に避難し、現在もそこで暮らしている。避難を決めた当時、自宅の放射線量は、原発事故前の30~50倍。部分的には500倍にもなった。
2015-07-02 19:19:04